和痛分娩記録

※和痛分娩を選んだ話と、和痛ってどんなもんかという覚書です。

予定日過ぎてもなかなか出てこない赤子だった。

数歩歩くと常にお腹が張るような状態&微妙にお腹が痛いことが続いていた為、「これで出てこないんかい」みたいな気持ちでずっといた。
ある夜、なんだかじょわ~っと織物のようなものが出た気がした。
しかし気にしないでその日はそのまま寝た。
じつはその前に「破水した!?」と勘違いして病院にタクシーで行ったことがあったため(結構遠いので5000円かかった)、もうフライング入院はしたくなかったのだ。

でも、念のために翌朝、病院に相談だけはした。すると「破水かどうか自己判断はできない。来てください」と言われた。
ええ…と思いながらバスで30分かけて参院に向かう。
もうこの辺のランチは食べつくしたので、行くところがないな~と思いつつ。
しかし、検査の結果は破水だった。
陣痛はなかったが入院、母と夫に連絡した。

陣痛は始まっていなかったが、破水をしているため48時間以内に産まなくてはいけない。ちょっと焦ってくる。

陣痛が怖くて、ずっと不安だったが、そんなことは言ってられない、と覚悟を決める。
産院で出されたご飯がちらし寿司で、すごくおいしくて、盛り付けもきれいで、ちょっと泣きそうになりながら「頑張ろう」と思える。
入院中もずっと、ご飯には助けられた。

和通分娩の用意のため、麻酔用のカテーテルを入れた。
硬殻外麻酔の準備である。
出産レポを見ていて、このカテーテルを入れる前にする局所麻酔が痛い、と聞いていたので入れる前に泣きそうになりながら母にメールすると、来てくれると言ってくれた。
しかし幸運なことに、ほとんど痛くなかった。ちく、くらいなもんで、逆にびっくりした。
ほっとした。本当に助かった、と思った。
その後母が来て、おしゃべりしながら気を紛らわす。
本当に母にはにお世話になった。

そのあとは夫が来てくれ、母は帰った。
二人で落ち着かない時間を過ごす。
普段は見ないTVを見た。Youは何しに日本へ?を見た。
昨日は行ってQ!を見たので、外国づいてるなぁ(?)と思う。
いつかこの赤子と一緒に海外旅行に行けるだろうか、
なんて話をする。

夜になった。夫は家に帰った。
私は明日から促進剤を入れての出産なので、寝るように言われた。
しかし気が高ぶって眠れない。
初産なので、促進剤を入れてもうまく進まないこともあると言われたので、心配だった。
私の場合すでに破水しているから、あまり猶予はないのだ。
これで陣痛が来ず、帝王切開とかになったら…と心配になり始めた。

陣痛よこい、と祈りながら、しょっちゅう張るお腹とともに、部屋を歩き回った。
深夜三時ごろに横になったが、お腹の痛みは消えなかった。
うまいこと産気づいてきて、5時ごろには10分間隔になっていた。
これが陣痛か~とぼんやり思う程度で、そこまで痛くない。
ずっとこんなもんだといいのになぁと思う
ハイになっていたので眠くはなかった。

6時くらいになって、陣痛来ました、と助産師さんに伝えた。
まじめそうな助産師さんだった。

朝ご飯を食べるかどうか聞かれた。
麻酔を入れる場合、ご飯の前後2時間はご飯を食べられないらしい。
二時間の間に堪えられなくなったらこわいし、不安と痛みの合間にご飯を食べるのは難しいと思ったので断る。

「陣痛は進んでいるが、もっと進ませないとだめかも」ということで、助産師さんが促進剤を入れる。麻酔で陣痛が遠のくこともあるからだ。

陣痛はお腹がぎゅう~っと圧迫さ
れるような痛みだった。
下痢っぽいけど、お腹の上の方が痛い感じ。
持参した下履きを二枚穿き、お腹や太ももをホッカイロで温めると、痛みはやわらいだ。

また、ソフロロジーを思い出して、陣痛のない時間はきれいなビーチを思い浮かべた。
白い砂浜、そこにつく足跡、海のきらめき、そこで見つけた見たことのない植物の葉。

一つのイメージでは飽きてしまうので、思いつくものをとにかくイメージすることに集中した。
あとはとにかく息を吐いた。
おなかの赤ちゃんに話しかけるといいというのも読んだが、話しかけていられたのは最初の1~2時間くらいだった。
なるべく時計を見ないようにした。

たまに助産師さんが来てくれて、陣痛の波を見ながら「頑張ってますね」「いい陣痛来てますよ」と励ましてくれる。
内診(ずぼっと指を入れて子宮口の幅を指で図る。痛い)をしてもらう回数が増えるにつれ、順調に大きさも広がってきた。

昨日はぜんぜん広がっていなかったので「子宮、空気読んでくれてありがとう」と思う。

続く

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