あんまり名作が出てこないアートヒストリー

白川さんに初めて出会ったのは前橋に越してきて3年目に入った頃だったろうか。

前橋に来ることになったきっかけは知り合いの大学教授が教えている大学院で社会学を勉強するためで、東京の会社を辞め、しばらくは東京から通っていたのだが、時間と交通費を考えると前橋に住んじゃった方がいいや、と決断した。大学院で学ぶうち、授業をとっていた教授の紹介で地元のデザイナーの寺澤さんと出会い、彼が関わっていた中心市街地の活性化するための県の事業に携わることになり、何人かのメンバーと初めて前橋の市街地を歩いた時だったように思う。弁天通りの今のアートセンターのya-ginsになっている場所にあった、カフェya-mansの前で、店主のヤーマンに話を聞いているときにサンダル履きの不思議なおじさんが通りかかってちょっとだけ挨拶したのが、今思えば白川さんだった。

その県の事業の中で、アーツ前橋の立ち上げのために前橋に来始めていた住友さんに出会い、誘われて開館前のアーツ前橋のプレイベントなどに関わるようになる。大学院に通いながら、前橋に来る前に書籍の編集の仕事をやっていたことを買われプレイベントの記録をまとめた冊子を作ったり、開館に先駆けて始まったアーティストインレジデンスのコーディネーターをやったりしていた。そしてやはりそのアーツ前橋のプレイベントとして企画された『駅家の木馬祭り』の冊子の編集を頼まれた時が、白川さんとの二回目の出会いとなる。

冊子を作ることになり最初の打ち合わせでデザイナーの寺澤さんと白川さんのアトリエを訪ねた。夏の始まりの頃で、蒸し暑い中、小さいアトリエの二階で白川さんとどんな冊子にするか話をした。白川さんは刊行されたばかりの『西洋美術史を解体する』を別れぎわにくれた。

木馬祭りの冊子が出来上がり、白川さんと、物語の中に出てくる煎餅屋さんや焼きまんじゅう屋さんに一緒に渡しに行った。白川さんが運転する車の中で白川さんの今までの活動の話を聞いているうちに、現代美術に対して詳しくない私でもなんとなく知っていたヨーゼフ・ボイスやナムジュン・パイクの名前が出てきて、どうやらこの人はそういった歴史的なアーティストたちのごく身近にいて、彼らと交流しながら創作活動をしていたらしいということがおぼろげながらに分かってきて、この人はただものではないぞ、となんだかゾクゾクしてきたことを覚えている。

白川さんの活動歴については、日本美術オーラルヒストリーアーカイブにとても詳しいインタビューがある。白川さんの人生と活動のユニークさ、創作への思考の深さに圧倒される。

木馬祭りの物語に出てくる架空の祭りを現実の祭りとして「復活」させた「驛家の木馬祭り」は、2011年秋に始まり、物語が書き足され、変化しながらほぼ毎年続けられ、来年で10周年を迎える。今年も、コロナ騒動の中、かなり迷いながらも人数を絞り人と人との距離を開ける形で、弁天さまを利根川に迎えに行く春の木馬まつりが無事執り行われた。

コロナ騒動で、前橋工科大学での白川さんの美術史の授業も遠隔となり、いつの頃からか白川さんの作業を手伝うようになっていた私は、遠隔用にその講義を動画にすることになった。前に白川さんにもらった『西洋美術史を解体する』をテキストにしたその講義は、本を読んだ時にも、新しい美術史の見方に興奮したが、本を補う様々なエピソードや、創造行為の歴史としての美術史を語る白川さんの熱い想いが伝わってきて、とても素晴らしい。大学の授業用のものなので、直接そのリンクを貼ることはできないが、その素晴らしさを少しでも多くの人と共有したくて、このイベントを企画した。コロナ騒動の余波で、たくさんの人に参加してもらうことはできないが、後で録画を公開するのでぜひ見て欲しい。また、7人限定で抽選にはなってしまうが、白川さんに直接話を聴ける機会でもあるので、ぜひ参加して欲しい。応募をお待ちしています。


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