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【フランス】キルデリク1世の遺宝
場所:フランス国立図書館(BnFミュージアム)
時代:5世紀
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キルデリク1世は、メロヴィング朝フランク王国初代の王クローヴィス1世の父で、その墓は1653年にベルギーのトゥルネーで発見されました。発見された副葬品は、多くの金製品や宝飾品で、ウィーンのハプスブルク家にわたり、その後フランス国王ルイ14世に贈られ、国王はこれらの宝物を王立図書館に保管しました。革命後、ナポレオンによって宝物の中の黄金の蜂は、従来の王家のシンボルであったアイリス(フルール・ド・リス)に代わるものとして、フランス帝国のシンボルとなりました。
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しかし、1831年9月5日から6日にかけての夜間、図書館からこれらの宝物が盗まれ、ほとんどの金製品は溶かされて金塊にされてしまいました。盗難前の宝物の記録は、発見当時の版画に詳細に残されており、またハプスブルク家によって製作された精巧な複製品が存在しており、BnFミュージアムにはそれらが展示されています。キルデリク1世の墓が発見されたトゥルネーには2007年9月に訪れましたが、ここにある考古学博物館にもこの蜂の複製品は展示されていました。
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そもそもキルデリクは、435年頃にサリ族の伝説の王メロヴィクスの子として生まれ、一度フランク族から追放されながらも戻って父の王位を引き継ぎ、サリ族の王で且つ当地のローマ帝国属州総督として活躍し、フランク族領内に侵攻してくるゴート人やサクソン人を撃退し、ローマ帝国の権威のもと領土を広げていきました。キルデリク1世は481年または482年に死去し、トルナクム(現トゥルネー)に埋葬されました。
墓は1653年、トゥルネーの聖ブリス教会の隣で建物建設中に未盗掘の状態で発見されました。墓からは、黄金にガーネットが嵌め込まれた宝飾品、ローマ帝国の金貨、フィブラ、剣などの武器、金の雄牛の頭、ローマ帝国の印璽、そして王の名(CHILDIRICI REGIS)が刻まれた指輪(シグネットリング)、300個ほどの金の蜂などの副葬品が見つかりました。キルデリクの後を継いだクローヴィスは、フランク王国の本拠地をパリに移したため、いつしかトゥルネーの埋葬地も忘れ去られ、運良く盗掘を免れたものと考えられます。
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