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【中国】碑林 (西安碑林博物館)

場所:中国陝西省西安市
時代:主に秦漢から隋唐代

西安碑林

碑林とは中国歴代の石碑や刻石を集めているところで、西安市にある西安碑林博物館が、中国の碑林の中では最もたくさんのコレクションを有する。西安碑林の起源は、唐代の石碑を収蔵するために1087年に設立されたもので、1944年には西安碑林博物館としてオープンしている。所蔵する文物は全部で1万1千点以上にのぼり、石碑だけでも1千点以上ある。昔から東西交流の拠点として発展したことから、シルクロードの商人からもたらされたローマの貨幣や、遣唐使が持って行ったであろう日本の和同開珎も含まれている。
ここを訪れたのは2009年の大晦日の日だったが開館していた。そういえば中国は旧暦の新年を祝うので、西暦の新年はあまり関係ないのか。

碑の台座部分

大秦景教流行中国碑

この碑林博物館でいちばん見たかったのがこれ。17世紀初めに長安の崇聖寺境内から出土した古碑で、唐代に伝わったキリスト教ネストリウス派の教義が書かれている。ネストリウス派は、431年のエフェソス公会議で異端として迫害されたため、東方の西アジアや中央アジアの国々に伝わっていった。635年にアッシリア東方教会の使者が唐に伝え、皇帝の庇護を受けて中国各地に伝わり、781年には中央アジア出身の伊斯という人物により、長安の大秦寺にこの碑が建立された。しかし9世紀半ばになって、武宗皇帝による会昌の廃仏によって景教も弾圧を受け、大秦寺も破壊された。このときに碑はうまく土中に埋没した、または埋められたと考えられている。
碑の出土については、当時中国に滞在していたポルトガルの宣教師に記録され、碑文の西洋語訳がヨーロッパに紹介されるくらい、東洋でのキリスト教に対する関心の高さが窺える。12世紀から語られていた東方にいるという、伝説のキリスト教徒(ネストリウス派とされている)の王プレスター・ジョンを意識してのことかどうかは不明。
さてこの石碑は、学生時代の教科書にも載っていた有名な碑であり、碑林博物館を訪れたのはこれを見るためだと言ってもいいくらいだった。とにかく碑に接近して見られるのはうれしいが、残念なことに碑文はほぼ全体を保護ガラスで覆っているので、写真を撮るとどうしても光が反射してきれいに撮ることができなかった。見学中に碑の拓本を取っている専門家の方がいるので、記念に欲しいなと思っていたら、何とミュージアムショップで販売しており、もちろんこの碑の拓本を購入した(現在は碑を保護するため、複製の碑から拓本を取っているとのこと)。

拓本を取っているところ1
拓本を取っているところ2

開成石経

温故知新の碑

唐代の837年に建立された儒教経典の石刻で、学生時代に漢文で習ったであろう論語の有名な言葉「子曰、温故而知新、可以爲師矣」が読み取れる。

西安市内の碑林の位置


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