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【キルギスタン】アク・ベシム遺跡(Suyab)

場所:トクマク近郊、チュイ州
時代:6~10世紀ごろ

アク・ベシム(スイアブ)遺跡について

遺跡周囲が土手のように高くなっている城壁跡

シルクロード天山北路の通過点として古くから存在していた都市で、6世紀にこの地を拠点に遊牧民国家突厥が登場してから、突厥が西方進出するための軍事要塞の町として栄えた。町はソグド商人などの交易の場として発展し、また突厥が東西分裂した後も、西突厥の本拠地となった。679年には西域に進出してきた中国(唐)に占領され、名称もスイアブ(碎葉鎮)と改称された。唐代の資料にはスイアブを音写した碎葉や素葉などと記録されている。城塞内部には、大雲寺など仏教寺院をはじめ、ネストリウス派東方キリスト教修道院、ゾロアスター教納骨堂などが存在しており、シルクロード上の拠点として国際色豊かな都市だった。

発掘された部分

この遺跡は発掘当初、モンゴル帝国による接収後、14世紀に戦乱によって滅んだ西遼(カラ・キタイ)の都ベラサグンとされていた。しかしアク・ベシムは11世紀にはすでに滅亡しており、また後に遺跡から出土した碑文の中に「碎葉鎮」の文字が刻まれていたことで、ここがアク・ベシム(スイアブ)であると特定された。この碑文は現在、ビシュケク市内のキルギス・ロシア・スラブ大学(KPCY)の付属博物館に保管されている。これを見たくて私が唐突に訪れたにもかかわらず、大学では専門の先生のご都合、および通訳として英語のできる観光局の方を手配していただくなど、ご厚意に預かることができ幸運だった。

発掘された部分

アク・ベシム遺跡への行き方
過去にここを訪れた方のサイト記事を読むと、ビシュケクからトクマクへ乗り合いバスなどで行き、トクマクからタクシーと交渉して行くという方法だった。この遺跡は位置的にはチョルポン・アタからビシュケクへ行く途中にあるので、私の場合は送迎サービスの会社と交渉して、近くのブラナの塔を含めてここを経由してビシュケクまで送ってもらうことにした。
限られた短い日程の中で早く確実に移動するため、価格は少々高くても、あらかじめ予約した送迎サービスの車を使った。だが運転手さんはビシュケクの人なのだが、観光地としても有名なブラナの塔は知っていても、アク・ベシム遺跡は知らなかった。アク・ベシムの村には着いたが、遺跡がどこにあるのかわからない。そこでGoogleマップの出番となりそれに従って行ったら、途中からトラクターの轍が深く刻まれたぬかるみ道で、普通の乗用車では難しいとんでもない悪路を通ることになってしまった。それでも運転手さんの腕でなんとか乗り切ったが、あとでサービス会社から追加料金(約3,300円)を請求される羽目になってしまった。
このとき、Googleマップでトクマクから「アク・ベシム遺跡」への経路を検索すると、確かにアク・ベシムの村の南をぐるっと迂回する道で距離は16kmとある(下の地図右)。ところが後で、同じ場所なのだが「Suyab(遺跡名)」で検索してみると、アク・ベシムの村から西へ行く道を示し、距離はたった6.5kmしかない(地図左)。しかも悪路ではない。最初からこの道を行けばよかったが気付かず、おかげで1時間半以上ロスしてしまった。Googleマップがたまに存在しない道や、とんでもない道を指すことがあるのはこれまでにも経験していたが、今回ばかりは痛恨のミスだった。それでもなんとかたどり着けたのだが、広大な遺跡を小走りで巡ることになった。

アク・ベシム遺跡内部

遺跡に入ったところ、本当に何もない

遺跡の面積はおよそ30ヘクタール(東京ドーム6.4個分)あるらしいが、これまでに発掘されているのはほんの一部だけ。道路脇には小さな駐車場(ただの空き地)があり、そこに簡単な案内板が設置されている。

この遺跡唯一の案内板

そこから台地状に広がる遺跡へ歩くことになるが、最初は本当に何もない。一応遺跡の中は、通路のようになっている草がない道が延びており、また遺跡の周囲は盛り上がった土手のようになっていて、周回することができる。ときどき馬に乗った地元の人が羊を追う様子が見えるのどかな風景。
発掘された遺跡、と言っても掘った穴に崩れかかった土壁が、仕切りのように見えているだけという場所は、遺跡の端の方にぽつんと何カ所かある。そのうちのひとつが寺院跡だというが、考古学者ではない私には全くわからない。防護柵や説明板もなければ風雨除けの屋根もない。ただ草原の中にむき出しの発掘現場(穴)が点在するといったところか。有名なギリシャやローマ遺跡のそれと比べると、あまりの差に愕然としてしまう。

発掘された建物 (詳細不明)
発掘された建物 (詳細不明)
発掘された建物 (おそらく仏教寺院跡と思われる)

ここアク・ベシムは、唐の時代かの玄奘三蔵がインドへ赴く際滞在した場所で、また唐の有名な詩人、李白生誕の地と言われている。そんな由緒ある場所だけに、訪れる人は中国人と日本人が多いらしいが、ツアーで訪れた日本人の中には想像していたのと違うのか、がっかりして帰る人が多いらしい。私が行ったときもここで出会った人は、たった一人だったが中国からの旅行者だった。この方が乗ってきたタクシーの運転手が、駐車場で暇そうに待機していた。後でこの中国人旅行者の方に聞いたところ、この遺跡があまりにも広く、訪れてもほとんど何もわからなかったそうだ。
私は厳しい暑さの中、根性でとことん歩いたので、おおよその発掘地点は見たつもりだが、もしここを訪れる予定の方がいるなら、ひとつアドバイスを。たいていの方はスマホを持っていると思うが、現地に着いたら、Googleマップの地図の種類をデフォルトから航空写真に変えると、この広大な遺跡の中でどこが発掘された場所なのか一目でわかるようになる。ただしどの発掘地点が仏教寺院なのか、キリスト教教会跡なのか、案内板のひとつもなくさっぱりだった。何とももったいない観光資源である。

遺跡の中で放牧が行われている
トクマクからアク・ベシム遺跡への行き方 (左が正しいルート、右は過酷な道)


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