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【ドイツ】アーヘン大聖堂 (2・3回目)

場所:ドイツ西部、アーヘン
時代:カロリング朝フランク王国(8~9世紀)
1回目の記事では、アーヘン大聖堂についての概略とカロリング期の礼拝堂ドーム内について言及したが、礼拝堂1階の祭壇がある15世紀の拡張部分(クワイヤホール)には、教会の重要な宝物が置かれている。さらに2階に上がるとシャルルマーニュ大帝の玉座が当時そのままに鎮座しており、これらは聖堂内のガイド付きツアーに参加すれば間近で見ることができる。1回目訪問時には残念ながらツアー参加に時間が割けず見ることができなかったが、2回目と3回目ではツアー参加が目的でもあったので、十分に見ることができた。

クワイヤ(聖歌隊)ホール
大帝没後600年を記念して1414年に完成した、クワイヤホールと呼ばれている礼拝堂拡張部分には、やはりツアー参加者のみ拝観できるシャルルマーニュの遺骨が納められた金色の石棺カールシュラインと、イエス関連の聖遺物が納められた黄金の聖櫃マリエンシュラインがある。これはフリードリヒ2世のときに大帝の遺骨を黄金の石棺に移して改葬したもの。主祭壇の正面は、11世紀初頭に制作されたと思われる黄金のパラドーロがある。ホール南側中二階部分には、11世紀初頭に制作された黄金色に輝く、ハインリヒ2世のアンボ(初期キリスト教会の説教壇)がある。

クワイヤホール
黄金色に輝く主祭壇
カールシュライン
ハインリヒ2世の説教壇

シャルルマーニュ大帝の玉座
聖堂内の煌びやかなモザイクや大理石の色彩に比べ、6段の大理石の階段の上にある同じ大理石の石版を青銅製の留め金で組み立てただけの象牙色の玉座は、シンプルというよりかなり質素に見える。しかしこの玉座の大理石は、エルサレムから運ばれてきたものとされていて、しかも神聖ローマ帝国の時代である10世紀から16世紀の間に、30人の皇帝の戴冠式に用いられていたという、輝かしい歴史があった。また2階の吹き抜け部分を仕切っている青銅製の格子も創建当時のもの。

シャルルマーニュ大帝の玉座
カロリング朝時代の青銅製格子

大聖堂の正門の大きな青銅製の扉(狼の扉)
大聖堂建造のとき資金難に陥り、悪魔に最初にこの扉から入った者の魂と引き換えにという条件で資金を提供してもらったが、人間ではなく狼を入れ、悪魔は悔しがったという伝説のある扉。扉には悪魔の指の跡と言われている凹みがあり、聖堂入口には悪魔に魂を取られて胸の部分に穴の開いた狼の銅像がある。古代ローマの扉を模倣した高さは4m近くある巨大な青銅製の扉は、大聖堂創建当時の800年ごろに制作されたもの。

大聖堂正面
狼の扉
狼の扉に残る悪魔の指の跡(右上の凹み部分)

宝物館
1000年ごろ制作されたロタールの十字架、大帝の頭骨を納めるために金銀細工で覆われたシャルルマーニュ大帝の胸像、大帝の腕の骨を納めた腕の形をしたものと、3本の尖塔の形をした聖遺物容器、ローマ時代の大理石製石棺で大帝の遺体を納めていたといわれているプロセルピナの石棺、象牙の狩猟用笛とシャルルマーニュのナイフなど多くの宝物が展示されている。

左上:ロタールの十字架、右上:大帝の胸像、左下/右下:大帝の遺骨を納めた聖遺物容器
左上:プロセルピナの石棺、右上:象牙の笛と大帝のナイフ、左/右下:象牙の彫刻
アーヘン大聖堂宝物館



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