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『STILL WAKES THE DEEP』の九州弁について考える

『STILL WAKES THE DEEP』は、ウォーキングシミュレーターというジャンル名が生まれるきっかけとなった『Dear Esther』で知られるThe Chinese Room開発のホラーアドベンチャーゲームだ。1975年、スコットランド沖合にある石油掘削施設(リグ)で作業員として働く主人公・カズとなり、深海から現れた脅威の中を生き延びる……というストーリーで、プレイヤーは銃を撃ったり殴ったり蹴ったりできないので、敵から隠れながらジャンプしたり柱にしがみついたりして崩壊しつつあるリグを縦横無尽に駆けまわる。時に油まみれの海中を泳ぎ、高所にある細い足場を慎重に歩く。戦闘要素がないぶん恐怖の種類は豊富に用意されている。

このゲームは配信開始から日本でちょっとした話題になった。というのも日本語字幕が、けっこう強めの「九州弁(九州弁という概念はあまり一般的ではないが、翻訳者のSNSで使用されているため、本記事では同作の字幕で使用されている方言を九州弁と呼称する)」で表記されているからだ。日本語字幕にはこの九州弁のバージョンのみが存在し、日本語吹き替えも存在しないため、実質的に日本語話者は皆この九州弁バージョンを遊ぶこととなる。

まず前提として、九州弁以外の部分でも本作の翻訳はちょっと気になる。道中でのこまごまとした語句選びで、「まあわかるけど、わかりにくい」というのがちょこちょこあり、かなり重要な場面で、ライターを点火するLIGHTの訳語として「電源を入れる」と出た時は、さすがにもうちょっと適切な単語があるのでは……となってしまった。

私は母が佐賀西部出身ということもありある程度までは九州弁に馴染みがあるものの、この作品の方言はかなり程度が強く、知らない単語もいくつか存在し、文意をとることができずにゲームプレイに集中できない場面も少なからずあった。長崎をはじめとした九州弁、と紹介されているように、このゲームの翻訳のベースは長崎の言葉が使用されている。余談だが、私は「かわいい」という意味の「みじょか」という言葉を知らず、「むぞうか」という広く九州全域で使用されている形容詞を思い出してはじめて意味に気づいた。

この方言の使用については賛否が分かれているが、Steamレビューなどを見る限りにおいてはやはり遊びやすさの点で批判もなされており、「標準語」での字幕を要請するレビューもいくつか見られる。
ただし、この「標準語」は明治維新以降に制定された極めて人工的な概念であることにも留意したい。日本語について体系的に述べた「日本語百科大事典」には、明治時代における標準語と方言の扱いについて以下のような記述がある。

ところで、明治30年代以降、富国強兵の国策に応じた学校教育の中で、標準語の強制に関して、かなりのゆきすぎがあったことは否めない事実である。これは、一日も早く欧米諸国と肩を並べる国になりたいというかなしいあせりを背景に生じたものではあるが、しかしそのために方言は「悪いことば」、標準語は「良いことば」という誤った社会的評価が定着し、国家統一・中央集権を御旗にしての方言撲滅の運動さえもが起こるに至ったのである。そして、地方の多くの方言使用者がいわれなき差別の中で苦しんだのである。

日本語百科大事典(大修館書店、1988年)編:金田一 春彦、柴田 武、林 大

本作の翻訳について「訛っている」という指摘もあるが、そもそも「訛っている」という表現が標準語の支配的な地位を象徴しているとも言える。話者にとっては「訛っている」わけではなく、まったく正しいアクセントなのである。ちなみに、「標準語」という言葉に関する抵抗感は1980年前後までは全国的に広く共有されていたようで、「標準語」に代わり「共通語」という概念が使用されることが多かった。

以上の歴史的経緯を鑑みると、ゲーム翻訳で特定の方言を使う、という判断は、日本語の実態を考える上でも重要な試みであると個人的には考える。
はじめ、私は1970年代の石油掘削施設を舞台にしたゲームに九州北西部の言葉を使用することには一定以上の妥当性があると考えていた。というのも同地域には歴史的に重要な地位を占める炭鉱がいくつも存在しているからだ。福岡の三池炭鉱や長崎の軍艦島(まさしく、海によって隔絶された燃料供給拠点だ)などは高度経済成長に大きく寄与した場所でありながら、労働者たちの過酷な労働環境や強制徴用といった負の歴史もそこには横たわっている。近代化のための燃料を確保する命賭けの業務、という状況はゲームの内容とかなり重なる……のだが、どうやらこれは私の考えすぎだったようだ。

そしてこの方言の使用は、ゲーム制作チームの意向によるものが大きいことも明らかになっている。本作のパブリッシャー、Secret ModeのSocial Media ManagerであるSarah Dyerは、この九州弁の使用について「ワーキングクラス」で「田舎者」のスコティッシュアクセントの翻訳には非常にふさわしいものだと論じている。

そうですよね?!(九州弁は)ワーキングクラスの日本人のアクセントでもあると思いますし、このアクセントの人は時に「田舎者」とみなされることが多いから、ぴったりなんです。このアクセントがわかりにくいと言う日本のひとびともいますが、それはスコティッシュ版でも同じです!

Secret ModeのSocial Media Manager、Sarah DyerのXよりhttps://x.com/pikapies/status/1803355598269845775

正直、この発言には非常に危ういものを感じる。日本語に関する事情があまりよくわからないのは仕方ないにしろ(私も海外の作品を見る時には絶対にいろいろな勘違いをしているし、それを自覚するのはものすごく難しい)、ちょっと無邪気すぎないか?と。
前述したように、日本語の方言に対する考え方は、明治時代以来の標準語の勃興によって「標準語/方言」という関係性で明確化してきたものであり、個別の方言と階級との直接的な連想をする機会は現代ではあまりない。もちろん、メディアによって流布した「関西弁=お笑い好き」「博多弁=かわいい」などの(時に実態を伴わない)イメージが各方言に付随していることもある。集団就職など、各地の方言と標準語の交流が盛んに生じた時代においては、特定の方言の使用者に対する差別(前述した「日本語百科大事典」では、特に沖縄県において方言禁止の強制力が強く働いたとの記述がある)があったことも、忘れてはならない。

だからこそ、日本における方言の捉え方を認識せずに、パブリッシャーが特に検討もなく、九州弁を「ワーキングクラス」の「田舎者」の言葉として採用したことには、単純に無神経さを感じてしまう。スコティッシュアクセントにまつわるイメージを「方言」という大きな枠組みで援用し、翻訳した結果として、本作の日本語版は「標準語/方言」という前述した明治時代の国策に伴う感覚を無自覚に反復した上で、その感覚を「九州弁=ワーキングクラス」という、現代の日本では広く共有されていない前提に還元しているのだ。
標準語を強制されない場、隔離空間としてのリグの中での気心の知れた仲間同士の雰囲気は確かにゲーム内の「濃い」九州弁からは感じ取れる(ただ、方言の強弱のグラデーション、一人称や語尾の書き分けがあまりないため、皆が皆、近隣の地域の生まれ、同一世代のように見えてしまう点は気になった。役割語や語尾の変化によるキャラクターイメージなどが豊富な標準語にはない難しさで、これは方言のみの翻訳を採用する際の大きなハードルだろう)。しかし少なくとも、この九州弁を「ワーキングクラス」「田舎者」という属性と繋げられて理解する人はあまりいないように思う。本作のスコティッシュアクセントのボイスアクトの狙いと、翻訳の意図が、ここでは必ずしも一致していないのだ。
ゆえに、前述したような歴史的背景を前提とせずに、「九州弁はワーキングクラスのアクセントだから使いました」という説明は、やはり受け入れがたいものに感じられる。

繰り返すが、個人的には、多様な地域の言語を当たり前のようにゲームやアニメ、ドラマなどで使用することは、私達の生きる場所の実態を反映したものを作り出すことに繋がる。実際に、日本国内のさまざまなメディアで方言は使われているし、「方言指導」という役職は映画やドラマなどでは非常に重要な存在だ。方言指導者は脚本における方言での言葉遣いや役者のアクセントの指導をするほか、方言のままでは伝わりにくい表現を方言使用者以外にも理解しやすいよう修正するなどの作業を行っている。つまりそれだけ方言の扱いはセンシティブで難しいということでもある。しかしパブリッシャーの発言を鑑みるに、『STILL WAKES THE DEEP』のローカライズにおいてはその意義や重要性はかなり軽んじられている(というか開発側にはあんまり伝わっていない)ように見えて、やはりその点は残念に感じてしまうのだった。


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