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高寺山伝説のこと

五月に会津坂下町の心清水八幡神社でご祈祷を受けてきた。
昔から折々にお参りに訪れていたけど、ご祈祷を受けるのははじめてで、どきどきしながら待合室で心清水さんの由緒などが書かれたチラシを読んでいたら、坂下町の高寺山伝説(正史の仏教伝来以前に会津に梁から渡来した青巌という僧が同町の高寺山に寺院を開き、仏教を広めたというもの)について興味深い説が載っていた。
明治の廃仏毀釈時に、そういう謂れをつけて箔をつけることで周辺の寺を守ったというようなことが書かれていた。
去年、坂下町の埋蔵文化財センターに訪れたときに、高寺山の発掘調査についての展示があり、仏教伝来以前のものはまだ出てきていないらしかったが9世紀ぐらいのものが色々出てきているようであった。(最近の調査はわからないけど)
高寺山伝説にはロマンが詰まっていて、もしその頃の何かが出てきたら?と思うとわくわくするし、その線もないわけではないと思うっているが、明治の廃仏毀釈時に~という説が私には今のところ一番しっくりくる。
かといって坂下町近辺や会津の古代を考えたときに、高寺山の存在は色褪せることは決してないだろうと思う。
杵が森古墳や青津古墳群、喜多方の灰塚山古墳(近年の発掘調査で人骨が出、DNAから人物像が復元された)など、近辺には3世紀末~5世紀近くの古墳や遺跡が多く残っており、会津の歴史を考えるうえで、坂下町近辺の歴史の魅力は失われることはないし、9世紀にあの場所に実際に仏教寺院があったことはとても大事な意味を持つと思う。

しかしそれより何よりも私が感動したのは、それが事実であるならば寺社を残すため奔放してくれた先人たちがいたということで、その先人たちの想いに深い敬意と感謝を抱くばかりなのである。

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