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【EP1-6】「証明したいんだ」|オレらのグレイテスト・ステージ!

Arcanamusicaスピンオフ小説① 「オレらのグレイテスト・ステージ!」(渋吉 陸玖&切沢 玲央斗)

著:衣南 かのん

6.

「体、いって~……」

 夜行バスに揺られること、半日以上。
 昼過ぎに地元駅に到着した渋吉しぶよしは、固まった体をなんとか大きく伸ばした。

(上京した時はあまり感じなかったのに……やっぱあの時は興奮してたからかなあ)

 久しぶりに味わう故郷の空気に、どこか不思議な感覚に陥る。懐かしいような、気恥ずかしいような……。

「有名になるまで帰らないって決めて出たからなあ……」

 こんなふうに帰ってくることになるなんて思わなかった。
 急いで家に向かいたいところだが、待っている弟や妹たちに少しカッコもつけたい。慌てていたので東京土産もろくに買えなかった渋吉は、駅の中でいくつかお菓子を買っていくことにした。

 そして、駅舎へ歩きだそうとしたその時。


「……え?」


 このあたりではあまり見ない、体格のいい後ろ姿に足が止まった。
 赤い髪に、広い背中。よく見慣れた、あれは——

(……玲央斗れおと!? なんでここに!?)

 ここ数日、ずっと考え続けていた相手が目の前にいる。
 戸惑って動けずにいると、ふいに切沢きりさわがこちらを振り向いた。目が合って、切沢も渋吉に気づいたのだとわかる。

陸玖りく……?」

 驚きに目を丸くする切沢に、渋吉の頭の中では一気にいろんなことが駆け巡った。

 レッジェに言われたこと、切沢と最後に交わした言葉、——自分がずっと隠し続けていたこと。


(……チャンス、かも)


 ここで会ったのは偶然だけど、何かの巡り合わせかもしれない。

「れ、玲央斗……!」

 咄嗟に伸ばした手で、切沢の腕を強く掴む。今ここで何もできなかったら、きっと、ずっとこのままだ。

 レッジェに言われてから、ずっと考えていた。
 切沢に対して、自分がどう思っているのか。どう、向き合いたいのか。

(オレは……玲央斗と、もう一回、あの頃みたいに笑い合いたい)

 そのために、ちゃんと——本音で、向き合いたい。


「お願いが、あるんだ」

 震えそうな声をなんとか堪えて絞り出す。

「オレと、一緒に、来てほしい……!」


   *


 駅前からバスを乗り継いで、三十分ほど。
 閑静な住宅街にたどり着いた二人は、並んで歩きながらもずっと無言だった。

 切沢は渋吉の言葉に応じて一緒に来てはくれているけれど、今、何を考えているのかはわからない。
 渋吉も——これから自分が明かそうとしていることに緊張して、切沢の表情を窺うことはできなかった。

 十分ほど歩いたところで、少し開けた場所に到着する。広いとは決して言えない庭と、古びた門。
 汚れた表札には、『おひさまホーム』という文字が刻まれている。

「……ここは?」

 驚きと共にこぼす切沢に、渋吉はへへ、と小さく笑った。

「オレの……実家」

 引き戸が開いて、中から現れた壮年の男性が少し慌てたように近づいてくる。

「陸玖!? どうしたんだ急に、帰ってくるなら一言言えばいいのに!」

「こっちの台詞だよ、昨日連絡があって、母さんが倒れたって……」

「ああ……宗也そうやだな? まったく、大げさなんだから。ちょっと貧血を起こして検査入院をしてるだけだよ。心配ない」

 その言葉に、昨日からの心配事の一つが一気に解消される。
 昨日連絡をしてきた宗也こと「弟」は、渋吉に慌てた様子で母さんが倒れて入院することになった、と言っていた。
 年も年だし、あまりにも電話の声が焦っていたから緊急事態じゃないかと急いで夜行バスを取り、はるばる駆けつけたというのに——。


「もー、なんだ……びっくりしたあ。なんでもないなら良かったよ」

「いや、すまなかったな。……そちらの方は?」

「あっ、えっと……」

 隣で呆然としていた切沢が、ハッとした様子で頭を下げる。

「切沢玲央斗です。仕事でたまたまこっちに来ていたんですけど、陸玖に偶然会って……突然訪ねてしまって、すみません」

「いやいや、うれしいですよ。陸玖が友達を連れてくることなんてなかったからね。上がっていきなさい、お茶くらい出そう」

 渋吉が父と呼ぶその男性に案内されて、二人は家の中へと進んだ——。



 久しぶりでも、家の中の空気や匂いは変わらないんだな、と実感する。

 『おひさまホーム』は、身よりのない子どもたちを預かる養護施設だ。 
 ここまで案内してくれた男性ともう一人、今は入院している女性が夫婦で経営していて、古民家を改装した家の中では、小学生から高校生まで、六人ほどの子どもが生活している。


「えっと、改めて……こちら、オレの父親代わりの……日野ひの匡史まさしさん。オレは、父さんって呼んでる」

「初めまして、日野です。……さっきは気づかなかったけど、切沢くんはもしかして、よくテレビに出ている切沢くんかな?」

「あ、はい……一応」

 いつもの堂々とした様子とは打って変わって、まるで借りてきた猫のようになっている切沢が、そんな場合ではないとわかっていても少しおかしかった。

「やっぱり! ちょうどね、朝の番組を見ていたよ。今日、市場の取材に来てただろう? もしかして、その帰りかい?」

「えっ、そうだったの?」

「ああ……まあ、はい」

「遠いところまでご苦労さまだね。大方、陸玖が無理やり連れてきたんだろう? 私はちょっと席を外すけど……二人で、ゆっくりしててね」

 そう言うと、日野は席を立って部屋を出ていった。この時間は、おそらく自分の部屋での仕事があるんだろう。

 もう間もなく、小学生組が帰ってくるはずだ。そうしたら慌ただしくて、ゆっくり話はできない。そう思って、渋吉は改めて切沢に向き直った。

「……びっくりした?」

「……イマイチ、どういうことかわかってねえ」


 久しぶりに続いた会話に、これだけのことなのに少し嬉しくなってしまう。
 大切なのは、この後の話だというのに。

「オレさ、ずっと玲央斗に、大家族の出身だって言ってただろ。弟と妹がいて、毎日どたばたで大変だったんだーって」

「ああ」

「あれさ、……嘘なんだ」

「え」

「嘘っていうか……本当のことを言ってなかった、っていうか。——施設育ちってやつなんだよね、オレ」

 ずっと閉じ込めていた言葉は、表に出してみると驚くほどあっけなかった。


   *


 物心がついた時には、既に施設暮らしだった。
 母親は生まれたばかりの渋吉を乳児院に預けて以来音沙汰がなく、かろうじて知っているのは「陸玖」という名前は、母親が付けてくれたものらしい、ということだけ。

 幼児の頃は『おひさまホーム』よりももう少し大きい、同世代がたくさんいるような施設にいたけれど、小学生に上がる頃には日野夫妻が経営する『おひさまホーム』が渋吉の帰る場所になった。

 施設では「先生」や「施設長」と呼ぶ大人たちと一緒に過ごしていた渋吉にとって、日野夫妻を「父さん」や「母さん」、年の離れた子どもたちを兄弟と呼ぶことのできる『おひさまホーム』は初めてできた家族のようで——うれしかった。

「たださ、やっぱり、家族同然、と本物の家族、って違うんだよね。あくまでもオレたちは、預けられてる子どもだから」

 例えば、この家では誰の誕生日も祝わない。みんな戸籍上の誕生日はあるけれど、施設に決められたものだったりして正確なところはわからない子もいる、というのがその理由だった。

 他にも、家の中での役割分担が明確に決まっているし、家にいられるのはどんなに長くても成人するまでだ。
 大学に行こうと思うとどうしたって奨学金が必要になるし、県外に出ようと思えば自分で自立資金を貯める必要がある。

 門限は厳守だし、お小遣いは少しはあるけれど多くはない。同世代の子どもは多いけれど、友達でも、本当の兄弟でもない。

 兄弟同然に生活していた子どもが誰かに引き取られていったり、何かの理由で他の施設に移ったりすることもあった。自分もいつ、この場所から出ていくことになるかもしれない、と思いながらの生活は、本当の家族だったらあまりないものだろう。

 洋服や日用品はお下がりや誰かからもらうものがほとんどで、自分だけのもの、というのを持つこともバイトをするまではなかなかなかった。


「小学校とか中学校は、学区内に皆で通うんだけど……中には、施設育ち、ってあまり良く思わない人もいたりして。いじめ……ってほどじゃないんだけど、友達作るのも、ちょっと大変だったりね」

 だからこそ、できた友達は絶対に大事にしたかった。

 その結果として、——あの、万引き事件のようなことが起こってしまった、とも言えるのかもしれない。


「全部を施設育ちのせいにはしたくなかったし、それは一生懸命育ててくれている父さんや母さんにも失礼だなって思ったから……中学からは、あまり自分からは家のことは話さないようになって」

 施設育ちだからかわいそう、と思われないように、渋吉は努めて明るく振る舞った。

 誰かが困っていたら積極的に声をかけたし、ノートを写させてほしいとか、委員会の仕事を代わってほしいとか、そういうのも嫌な顔一つせずに引き受けた。

 皆が笑ってくれるなら、と思って、クラスの中でも面白いことを言ってみたり、行事があったらできるだけみんながやりたがらない係に立候補したり。

 ある時、クラスの友人たちが渋吉の話をしているところを聞いてしまったことがある。
 何もかもを渋吉に任せる男友達に対して、クラスの女子が苦言を呈した様子だった。


『大丈夫だって。あいつ、いっつも笑ってるからさ、そういうの気にしねえよ』


 悪気のない言葉だったのかもしれない。だけど、自分は友人から、友人として大切には思われていないのだろうな、と実感した。

「でも……それでよかったんだ。笑ってくれているんじゃなくて、笑われてるだけだったとしても」

 都合がいいと思われたとしても、居場所を作っておきたかった。

「高校は、少し離れたところを選んだから……オレのことを施設育ちって知ってる人もいなくなって。大家族なんだ、って話すようになったのは、そこから」

 少しずつ、嘘を重ねた。
 下の子の面倒を見ている話を、弟や妹の話に置き換えて。
 ホーム内であったちょっとした諍いを、面白おかしく兄弟喧嘩のネタとして話して。

 大家族だけど楽しくて、皆仲が良くて、両親からも兄弟からも愛されている、幸せな自分。
 育ちのいい、まっすぐで純粋で、素直な自分。

 そんな自分を、作り上げていった。
 本当は、嘘だらけだったのに。

「本当の家族がどういうふうに過ごしているのか、なんてわからないから……テレビとか、マンガとか、ネットとか、そういうところで見たものをそのまま、それっぽく話したりして」

「知ってるやつはいなかったのか? その……高校では」

「うん、いなかった。ていうか、嘘がバレないようにと思ってあまり深い付き合いはできなかったからさ……ずっと続いているような友達って、いないんだよね」

 SNSで繋がっている友達はたくさんいる。メッセージアプリにも、かつての同級生の名前はたくさん並んでいる。

 だけどそのうちの誰一人として、本当の渋吉陸玖を知らない。
 ——だから渋吉には、ずっと、「友達」と呼べる存在はいなかった。


「上京したらやめよう、って思ってたんだけど……養成所でも、芸人になってからも、エピソードトークを求められたら大家族のネタに走るの、やめられなくて」

「別に、他の話題だってあっただろ」

「いや、なんていうか……高校の頃から練りに練ったエピソードばかりだったから、ある意味すごい仕上がってたっていうか……話し慣れてたから、どんな時でも対応できたし……」

「ああ……」

 何かを思い出している様子で、切沢が小さく頷く。

「たしかにお前……家族のネタの時だけは、やたらペラペラ話してたな」

「へへ……」

「……馬鹿が」

 その馬鹿、には昔のような優しさが少し含まれているような気がして、ちょっとだけ、嬉しくなる。

「あれだけペラペラ話してたら……いい家族の中で、愛されて育ってきたんだろうなって思うだろうが、俺も」

「あ、ほんと? 玲央斗もそう思ってた?」

「当たり前だろ……聞いてねえんだから」

「へへ、ごめん。玲央斗には言おうって、……言わなきゃって、ずっと思ってたんだけど」


 作り上げた家族像、嘘で固めたエピソード。
 言わなきゃと思う度、何かが渋吉を押し留めた。

「かわいそうって思われたり、同情されたり……あと、逆に……変なやつなんじゃないかって思われたり、そういうこと、多かったから」

 切沢に限ってそれはないとわかっていても、二人の関係に余計なものを入れたくなかった。
 キラキラとまっすぐに光って見えた、綺麗なものだけでずっと付き合っていたかった。

 ——それが結局、本音で向き合っていないということだったのだと気づいたのは、この間レッジェに言われてからだ。


「ずっと、どっか嘘の自分で玲央斗と一緒にいる気がしてた。だから……玲央斗にああ言われた時、答えられなかったんだ」

『相方だろうがなんだろうが、言えねえことくらいあるだろ』

『お前みたいに、能天気に生きてるやつばっかじゃねえんだよ』

『なんで怒らねえんだよ、こういう時くらい怒れよ! お前のチャンスも台無しにしたんだぞ、俺は……』

『そうやって、いつも笑ってごまかして』

『……本当のこと言わねえのは、お前も同じじゃねえか』


 どちらの言葉も、渋吉に刺さるものだった。

 言えないことがあるのは同じで、だけど甘えている渋吉は、いつか切沢が気づいて、聞いてくれたら、なんて思っていた。だからあの時、切沢に問い詰めた。
 自分だったらそうされたいから。そうされたら、きっと、言ってしまうから。——言ってしまえるだろうから。

 それを拒まれて、ぎこちなくなって——切沢との距離が、わからなくなって。

 笑ってごまかして、本当のことを語るのをやめた。
 本当は、たぶん、怒るべきだったんだ。友達なら。

 どんな事情があったにせよ、コンテストに真剣に向き合わずに臨んで失敗した切沢に……「このままじゃ駄目だ」って、「一緒に頑張るから、もう一回来年挑戦できるようにしよう」って。

 ちゃんと怒って、向き合って、話して、ぶつかるべきだった。
 本当に、玲央斗が大切だったんだから。

「……お前が、一生懸命作ってきたものなんだろ。話してきた家族のことも、お前自身のことも」

「……え?」

「嘘のお前だなんて、思わねえよ。お前、かわいそうだと思われたくないとか、同情されたくないとか……そんなふうに自分をずるいやつみたいな言い方したけど、違うだろ」

 真剣な眼差しで、切沢が渋吉を見る。まっすぐに、揺らぐことなく。

「周りにいらない気を遣わせたくないとか、それを特別なことと思われたくないとか、この家のことを悪く言われたくないとか……そういうのが本当のところだろ、お前のことだから」


(……なんで、そんなふうに言ってくれるんだよ)


「お前なりに……守りたいものを、守るためのものだったんだろ。それも全部ひっくるめて……陸玖だろ」

 低い声は穏やかで優しく渋吉に響く。
 あの頃と同じ、切沢だった。いつだって渋吉を見ていて、渋吉が押し隠そうとする気遣いもちゃんと受け止めてくれる、切沢だった。
 
 一つ、ずっと後悔していることがある。

 あの万引き事件の後。「不自由な思いをさせて申し訳ない」「だけど、こういうことは絶対しちゃいけないんだよ」と叱ってくれた育ての親たちに、自分はやっていないんだ、と否定できなかったこと。

 何か悪いことをしたら、それはそのまま、優しいこの人たちの評価になるんだと思い知った。
 だったら、いい子でいればいい。明るくて、友達が多くて、何も問題がないように見える——そういう人間であろうと思った。
 この場所を離れた後も、ずっと。


「玲央斗、あのさ……オレ、もう一回ちゃんと、おまえと一緒にやりたいんだ」

 かつてはお笑いだった。二人で朝から晩まで話し合ってネタを作って、練習して、何度もステージに立った。


 ——今回は。


「あのデュエット曲……ちゃんと、完成させたい。玲央斗と、二人で」

 最高で、最強で、無敵のBuddy。
 まるで見てきたかのように、あの頃の自分たちにぴったりの、あの曲。
 過去のものだ、と、諦めたくなかった。

「今のオレたちだって、あの曲を……めちゃくちゃカッコよく歌えるって、一緒に、証明したいんだ」

 渋吉は、もう絶対、切沢から目を逸らさなかった。
 何を言われても、たとえ断られても……絶対に、退かないと決めた。

 やっぱり、どれだけ考えても、切沢は渋吉にとって大切な存在だから。絶対に、切れたくない相手だから。

「……それをするなら……」

 渋吉から切沢も目を逸らさず、口を開く。
 少しバツが悪そうに笑う、久々に見る切沢の笑顔だった。


「俺もちゃんと、つけなきゃなんねえケジメがあるな」



To be continued…

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