【EP2-10】「いつか晴れた日に」|アッバンドーネはまだ知らない
Arcanamusicaスピンオフ小説② 「アッバンドーネはまだ知らない」(伊調 弦八&川和 静)
著:衣南 かのん
10.
ピコン、と、スマホの通知音が鳴る。
表示されたアルカナムジカからの通知を開くと、いくつかの新規コメントを見つけられた。どれも好意的なものばかりで、その反響に思わず笑みをこぼす。
川和とのデュエット曲は、bet数もコメントも好調だった。あれだけ悩んだ表現も、『聴いているだけで涙が出てきた…』など、誰かの心を揺さぶる結果を生むことができているらしい。
その一方で、……斑目からの感想は、まだ届いていなかった。
(雨、多いなあ、最近……)
バイオリンが濡れないように少し傘を傾けると、わずかに視界が開ける。
川和とのデュエットで伊調の何かが変わったかというと、正直、何も変わらなかった。
相変わらず自分の音楽とか、自分らしい音色とか、そういうのはわからないし、バイオリンのレッスンも楽しいか、と聞かれるとわからない。子どもの頃みたいに、夢中になって弾くような時間を取り戻せたわけでもない。
そろそろ決めなくてはならない進路も、まだはっきりとは決めかねていて悩むことや迷うことばかりだ。
だけど最近の伊調は、妙にすっきりとしている。
そのおかげか、斑目からの連絡がないことも、焦らず受け止めることができていた。
忙しいのかもしれないし、まだ聞いていないのかもしれない。……或いは、伊調の歌に、もう興味をなくしたのかも——。
一瞬浮かんだ考えには、まだずきり、と心臓が痛んだ。
「あっ、いたいた。弦八くん」
「お疲れ様です、静さん」
「……やっぱ、アリアくん、じゃだめか? 若干自分の振る舞いにアウトな香りを感じる……」
「外でアルカナネーム呼ばれたくないって言ったの、静さんじゃないですか」
「いや、そうなんだけど、それは俺側の話で……俺は別に、アリアくんのままでいいんじゃないのか?」
「アリア、の方がどちらかというと名前っぽくないでしょ。僕だって本名の方が落ち着きます」
「うーん……」
どこか納得のいかない様子の川和を、「早く行きますよ」と急き立てる。
レコーディングの日に川和から打ち上げの誘いを受けて、今日はその約束の日だった。
川和の休日を待っていたら、あっという間に時間が経ってしまったのだ。
「静さん、働き方考えた方がいいんじゃないですか? 二週間くらい休みなかったですよね」
「大人は大変なんです。特に、俺みたいな小市民は」
「ふうん。で、今日は何をご馳走してくれるんですか? 僕、洋食がいいなあ」
「坊ちゃんが贅沢言いやがって……つーか、俺はレコーディング帰りにちょっとラーメンでも食ってくか、くらいのノリで言ったんだよ。
なんでわざわざ別日に待ち合わせて奢ることになってるんだよ」
「いいじゃないですか。僕のほうにきた感想のメッセージとか、コメントとか、共有できますし」
「俺の方にも来てるけど……ていうか、アリア、ってめちゃくちゃ人気な歌い手だったんだな……ソロ曲よりも反応良くてびっくりした」
「アプリ使い始めて長いですからね。つまり、静さんより先輩です」
「未成年が……」
川和と過ごすのは、なんだか楽だった。
川和があまり、伊調に遠慮しないせいかもしれない。伊調も川和に対して遠慮の必要を感じないので、気軽に過ごせる。
曲作りの中で色々な話をしたことも、一度、恥ずかしいくらい思いきり自分をぶつけてしまったことも影響しているのかもしれない。
雨の中を歩いていると、川和がある店の前で足を止めた。
緑色の看板が目立つファミリーレストランで、伊調も名前は聞いたことがある場所だ。
「……おっ。ちょうどいいところがあった。ここにしよう。ここなら好きなもの、なんでも食べていいぞ」
「僕、初めて入ります。このお店」
「えっ!? 男子高校生やってるのに!? 高校生の定番レストランだろ、ここ」
「……いいでしょ、行ったことなくても」
「いやあ……真の上流階級ってやつを感じるわ……」
ガラス戸を開けて、中に入る。
バイオリンを自分より奥に置いて、早速川和におすすめを聞きながらメニューを選んだ。
(……なんか、楽しいかも)
周りを見ると自分と同じ年ごろの集団も何組かいて、なるほど、川和が言っているのはこういうことかと納得する。
「本当に高校生が多いんですね……静さんも、よく来るんですか?」
「金がない社会人の定番でもあるからな。今日はさすがにしないけど、酒も安いしメニューがつまみにもなるんだよ」
「へえ……」
「……そんなに目をキラキラさせるな、なんか、未成年に悪いことを教えてる気になってくる……」
しばらくして到着したドリアやピザを食べていると、川和のスマホが鳴った。
「……うげっ」
「どうしたんですか?」
「あー、仕事……ごめん、ちょっと出てくる」
大きなため息をつきながら、川和が席を立って外へ向かう。
(ジュナさんとは、こういうところ、来たことないもんな)
一緒に食事に行ったことも、自分から誘ったこともあるけれど、なんとなく背伸びした店ばかり選んでいた。
(そもそも、ジュナさんとファミレスって似合わない……ううん、ジュナさんはファミレスにいていい人じゃない!)
憧れとか、執着とか、依存とか。
斑目に対して自分が今どう思っているのかは自分でもわからない。だから、連絡が来ていないことにどこかほっとしてもいる。
次に連絡が来た時には、——何かが、決定的に変わってしまいそうで。
「……ごめん、仕事入った」
「ええ……」
戻ってきた川和は、暗い顔でそう言うと残っていたピザを一切れつまんで、「会計はしておくから、ゆっくりしていって」と言って出ていってしまった。
残された伊調は、せっかくなので一人でもう少しゆっくりしていくことにする。
どうせ外は雨だし、ちょうどいい。どうやらドリンクは何度おかわりしてもいいようなので。
「あの人、ブラック会社員ってやつなのかな……大丈夫なのかな、すごく顔色悪くなってたけど」
去っていった川和を気にしながらアイスティーを飲んでいると、ピコン、とスマホが震える。
またアルムジの通知だろうか、と見てみると——斑目からの、メッセージだった。
ひゅっと、一瞬喉が鳴って……ドキドキしながら、それでもすぐに画面を開いてしまう。
短い吹き出しに続いて、また、しゅぼん、とメッセージが表れる。
そこまで送られてきて、メッセージは途切れた。
ドキドキと、心臓の音がうるさく鳴っている。斑目からの言葉はどれも、伊調を認めるものではなかった。
がっかり、させてしまったのかもしれない。
彼の大切な川和とデュエットをしておいて——この程度かと、思ったのかも。
すぐに、言い訳のようなメッセージを重ねたくなる。どこが悪かったのか、何が気になったのか。次は気を付けるから、また聴いてほしいと——そう、打ち込みそうになって、やめた。
(……一回、落ち着こう)
斑目の評価が、すべてじゃない。
少なくとも川和と伊調は二人で満足のいく歌を歌えたと思っているし……アプリの中でも、評価が高い。
(でも、ジュナさんにいいと思ってもらえなきゃ……意味がない……)
そんな気持ちも浮かんできたけれど大きく首を横に振って、一度、深呼吸をする。
「……帰ろう」
音楽が嫌いだ、と言った伊調に、斑目は「そのままの音楽を聴かせてほしい」と言った。
だけど、あの曲を歌っている時の伊調は——音楽が嫌いだなんて、思っていなかった。
それがもしかしたら、期待外れだったのかもしれない。
何が悪かったのか、ぐるぐる考えながら歩いていたら——足元に、陽が射していることに気づいた。
「……あれ」
いつの間にか晴れていたようで、顔を上げればまだ灰色の雲間から光が射しこんでいる。
「……雨、止んでたんだ」
ずっと地面を見ていたから、気づかなかった。
「晴れ……」
久しぶりの晴れ間だった。だからだろうか、あのデュエットの、歌詞を思い出す。そうして、また自分が——心地の良さに溺れて、戻ってはいけない場所に戻ろうとしていたことに気づいた。
斑目に求められることはうれしかったし、幸せだった。
いつしか自分を見てくれていないことには気づいていたけれど、それでも優しい言葉だけはくれていたから——伊調は、斑目の求めるものが自分の音楽なんだと、それを続けていればいいんだと、勘違いし続けることができた。
それは、とても楽で。
傷つくこともなくて。
斑目に、すべてを委ねて——依りどころとすれば、立っていられたから。
だけどもう、それじゃ駄目なんだとわかりはじめている。伊調の求めるものを、斑目がすべてくれるわけじゃない。斑目の求めるものを、伊調が差し出せないように。
「ちゃんと、自分で……歩かないと」
あの歌を、『いつか晴れた日に』を、自分は満足して歌うことができた。今自分にできる、精一杯だったと思う。
もちろんまだまだ未熟なところはあるし、未だに悩むことも、見つからないものもたくさんあるけど——
それでも、あの時感じた充実感まで、嘘にしたくない。
一言だけのメッセージを書いて、送信する。
既読はついたけれど、斑目からの返事はなかった。
(いいんだ、これで)
きっとまだ、迷うことだらけだけど。
うまくいかないことだらけだけど。
また立ち止まってしまうこともあるけど。
僕は、もう、僕の道を歩いていかないと。
——ちゃんと、自分で決めて。
見上げた空の眩しさはまだ目に痛かったけれど、伊調はもう、俯かなかった。
END
伊調 弦八 & 川和 静 歌唱曲
『いつか晴れた日に』
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