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沖縄1日目(2020/02)

2月のはじめに2泊3日で沖縄へ行った。1月のとても寒い日に友だちが暖かいところへ行きたいと言ったのがきっかけだった。彼らと旅行に行くのは久々だったこともあり、たとえ間隔が開いたとしても信頼している人たちと旅行する流れが人生のなかにあることを嬉しく思った。

はじめて沖縄に行ったのは2017年の夏で、そのときは美ら海水族館へ行ったりスタンドアップパドルボードを体験したりA1ソースでステーキを食べたり、いわゆる沖縄的な観光を特になんの考えもなくこなして帰ってきた。そのせいか旅行を終えた段階での沖縄に対する認識は「海がきれいな地方都市」くらいのものだった。あれから2年半の間、沖縄について主体的に考えたり調べたりすることはなかったけれど、日々触れている作品に登場したり報道で見聞きするなかで自分のなかに沖縄の断片が積もっていた。そしてそのおかげで(あくまでごく個人的に)沖縄と向き合い、自分との関係性を整理するべきかもしれないという思いが生まれていた。とはいえ、沖縄について僕が持っている知識はニュースや新聞で見出しになっているものくらいで、また旅行までは1週間程度の猶予しかなかった。それでも出来るだけの準備はしたかったので岸政彦さんの『はじめての沖縄』を読んで旅行に臨んだ。

行きの飛行機ではKindleで大童澄瞳さんの『映像研には手を出すな!』の1巻を読んだ。内容はアニメで先んじて見ていた部分だった。金森さんの「寝る子なので育ちました。」みたいな小気味よく挟まれるユーモアはとてもうまくアニメーションに落とし込まれているんだなと思った。

飛行機は気流の関係で40分ほど遅れて那覇空港に到着した。飛行機を降りると同行の友だちが喫煙所へ行く、僕だけが煙草を吸わないから旅行の間ひとりでボーッとする時間が何回かできた。これは退屈な場合もあったけれど、区切り区切りで考えごとをするための時間になることもあった。煙草を吸いたいと思うことはないけど、マンションのベランダで薄曇りの夕方に煙草を吸うみたいな情緒だけは欲しい。レンタカー屋のリムジンバスで営業所まで行き、車を借りた。この頃には昼過ぎになっていたので昼食をとることにした。全会一致でハンバーガーを食べようということになった。A&WとかJEFみたいな沖縄のチェーン店ではなくて東京で例えるなら代官山文化圏にありそうな小洒落たハンバーガーショップに入り、スタンダードなハンバーガーを選んだ。食事中に友だちがビーチサンダルを買いたいと言いだした、沖縄といえど2月で気温も20℃弱だったのでビーチサンダルを履くほどではないと思ったけど、そういうのは雰囲気の問題らしかった。ハンバーガーショップから国際通りまで10分ほど歩いて出た。想像していた以上にアジア圏からの観光客の姿が見えない。僕が行ったときはまだ沖縄でのCOVID-19の感染者は確認されていなかったけど、国際通りを歩いていたのは見た印象では九割が日本人観光客だった。それに前回に比べてかなり人が少ない印象だった。あるいは単に春節の直後だから反動で観光客が少なかったのかもしれない。そしてまた国際通りには前回来たときにはなかった大きなホテルが建っていた。台湾資本の会社が建てたホテルらしかった。いくら現在の沖縄経済が観光によって回っているとはいえ、地域主導でない開発や発展は最終的に沖縄を陳腐にしてしまうのではと思ったが、その会社の代表は台湾人の父親とウチナーンチュの母親をもつ方らしかった。沖縄における多様な文化の複合は観光産業の発展によってさらに複雑になっていくのかもしれない。

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島ぞうりを買うのに入ったお店は地元の土産屋とかではなく、国際通りのドン・キホーテだった。靴売り場にたどり着き、色々と物色しながら友だちが「この建物は安藤忠雄の設計だったと思う」と言った。僕はいやいやここはドン・キホーテだよと思いながらもググってみた。すると確かに安藤忠雄さんの設計だった。元は那覇OPAというショッピングモールで、今はベージュのペンキで塗られている壁も完成当初はコンクリート打ちっぱなしだったらしい。知ってから周りを眺めると、今は取ってつけた様な屋根が設置されているが当時は吹き抜けであったろう天井や階上のエスカレーターとの近さに安藤忠雄さんの設計を感じられる部分がいくつか見つけられた。友だちが島ぞうりを買い終えて、国際通りを南へ向けて歩いていく。先の大きなホテル以外は2017年と大きな違いはないように感じた。ブルーシールアイスでクッキーバニラと塩ちんすこうのダブルをジュニアで頼んで食べた。カップかコーンかを選べるときはいつもコーンを選ぶ、カップは食べられないから。それから最近何度か自分のタイムラインで見かけたパレットくもじの屋上に行った。良い場所だった。コンクリートで造られた南国植物の庭園のなかで、パレットくもじ内で働いている人たちが制服のまま煙草を吸っていたり、地元の高校生3人組が寝転びながらスマートフォンをいじったりしていた。向かいにある那覇市役所がそこから見えるかと思ったけれど見えなかったので降りてから那覇市役所の前まで歩いて見にいく、何度見ても格好いい建物だ。公共性の高い那覇市役所は建設当初から概ね変わりなくある一方で、現ドン・キホーテがベージュに塗られ、屋根を付けられているのをみると商業施設で建築家の理想を追求することの難しいんだなと思った。

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翌日に雨予報が出ていたので暗くなる前に砂浜に寄ってから、宿へ向かう事にした。砂浜近くのコンビニでオリオンビールが出しているクラフトビールを買い、砂浜のある公園へ行った。公園にはマリーンの家族だろう女性とその子供たちが多く、日本人は釣り人と鉄棒で背筋を鍛えているトレーニーくらいだった。砂浜には浮きや流木のほかにハリセンボンが打ち上げられていた。海を見ていて、沖縄の海は東京の海に比べて磯の匂いがしないなと思った。沖縄の海も東京の海も見ているのは楽しい。なんでときどき無性に海を見たくなるんだろう、わからない。もう陽が傾いていて、日没間近だった。夕食のことは宿でゆっくり考えようと20分ほど海を眺めたあと宿に戻った。宿は友だちがAirbnbで予約した宜野湾市にある一軒家で、海と普天間基地の近くにあった。りうぼうという地元のスーパーでお酒やおつまみを買った。沖縄ではどこへ行ってもA&Wを見かける気がした。近くのキングタコスでタコライスを2つとタコスを6つ買った。店内で食べている人もテイクアウトで頼みに来る人も沖縄の人らしかった。宿に帰ると、棚に入っている食器から適当な皿を取り出して洗い、買ってきたタコライスやおつまみを盛り付けてリビングのテーブルに並べた。音楽を小さい音で流す。マックミラーの新譜。2年前に亡くなった彼が残した音源、徹頭徹尾彼が作った音楽とはいえないかもしれないが、それでも素晴らしい。

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沖縄の古民家だからなのか宿には浴槽はなく、海の家みたいなシャワーだけがあった。僕らは翌日のあさに近くのスーパー銭湯に行くことにして、2時前くらいまで話していた。何を話していたかはほどんど覚えていない。沖縄の話、最近面白いと思った漫才の話、『映像研には手を出すな!』の話、仕事の話。僕らが仕事の話をするなんて信じられなかった。僕は気がつくとリビングのソファで眠っていて、友だちは知らぬ間にベッドルームで眠っていた。

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