【マジで使える】ショーペンハウエルの哲学。【ニーチェがわからない人へ。】
最近、ニーチェが注目されているみたい。
でも、ニーチェってめちゃくちゃわかりにくいんですね。著作全部が。
特に『ツァラトゥストラ』とかはもう怪文書レベルの難易度です。
ただ、ニーチェと同じ『生の哲学』を主張し出したのはニーチェだけではありません。
アルトゥル・ショーペンハウエルも生の哲学を主張したひとりです。(しかも、ニーチェよりわかりやすい。)
ということで、ショーペンハウエルの『幸福について』を引用しつつ、生の方法について紹介していきたいと思います。
盲目的意志
ショーペンハウエルは著作の中で常々こう言ってるんですね。
『生きたい!!』と強く思えば思うほど辛いことがあったときに凹んじゃう。
じゃあ、無条件に生きたいなんて思わずに将来の苦痛を出来るだけ避けようと対策する。
今の辛さは将来の苦痛の前借りだと考えて、淡々と今を生きる。
よく考えてみてください。
毎日をめっちゃ楽しんでる子供たち。
彼・彼女らは『生きたい!!』なんて考えながら生きてますかね?
もしくは『死にたくない、、、』なんて考えながら隠れんぼしてますか?
当たり前ですけど、そんなこと考えてないんです。
つまり、盲目的に物事を捉えていない。あるがままに物事を捉えている。
だから幸せなのです。
はっきり言って、生きるも死ぬも考える必要ありません。
『いま生きているという実感と感謝だけでよくね?』
ショーペンハウエルはこう言っています。
勇気
盲目的意志を捨てたあと、一体何に頼ればいいのか?
どこぞのラブコメだと、イケメンな主人公がヒロインに向かって『俺についてこればいい。』なんて言いますよね。
でも、実際にそんなこと言える奴そういません。
じゃあ、一体何を信じればいいのか?
それは『自分』だとショーペンハウエルは言っています。
自分というと『今の自分』とか『この記事を読んでる私』を想像するのではなく、自分の可能性を信じるということ。
別に自己肯定感なんて低くてOKなんです。
大事なのは見えていない将来の可能性を本気で信じきれるかどうか?
『今の自分の状態』なんてどうだっていいわけです。
目が見えてなくても、足がついてなくても訳のわかんない病気に罹ってても、もう何だっていいのです。
『今はヤベェ。』けど『将来は大丈夫。』。
こう思える勇気があるかどうかが鍵であり、ずっと心配してても意味なんてないのです。
つまり、今の前提に意味なんてない。
前提が人を苦悩させる。
第一にいま知ってる・思ってることを軸に考えるのが問題でもある。
人の細胞は毎日何万と死に、生まれている。
嫌な考えも時間が立てば脳が忘れさせてくれる。(これは生物学的な機能)
それなのに人間は過去・今みたいな終わった物事をリコール(思い出し)して、嫌な記憶を自分で強めている。
アドラーも言ってますが、人生が辛いのではなく、自分で辛くしているのです。
進歩は自己否定にあり、自分を否定するからこそ前を向ける。
そう思えば、自分を否定しちゃうじぶんを好きになることもできるんじゃないですか?
結論:強く生きたいと思っている人にオススメ。いい感じに調整される。
生きることに詰めすぎちゃってる方にショーペンハウエルはオススメ。
特に『幸福について』はいいと思います。
ショーペンハウエルといえば『悲観主義』なんかで有名。
『なんかネガティブだな〜』と思わされる節がありますけど、ショーペンハウエル自身はポジティブでもネガティブでもなく、中立的に物事を見よう派のひと。
『死にかけてる人』か『生きすぎてる人』には刺さると思いますよ。
あと、生きるか死ぬか、みたいに二分思考しちゃってる人にもオススメかな。