読書メモ(19)有川浩『レインツリーの国』より、「垢抜けた」と伝えること

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

先日、高校生に「なんか初めて会った頃と比べて垢抜けましたね」と言われました。
初めて会ったのは半年前なので、それほど経っていません。
何が変わったのか話し合った所、メガネをかけているかどうかということでした。
実は8月にメガネを失くしてしまったので、以来裸眼でがんばっています。

さて、そんな何気ない日常で思い出したのが、有川浩『レインツリーの国』です。
主人公が相手の女性に「今のままだと野暮ったく見えて勿体無い」や「ショートカットにした方が絶対に垢抜ける」などとメールで伝えます。
そして次のメールで「自分で読み返して思ったけど、めっちゃ失礼なこと言ってんなぁ」と反省しています。
この本を初めて読んだのは中学生の頃ですが、「垢抜けた」という表現は以前の状態が野暮ったかったことを暗示するのだということを学びました。
まあ現実では「かわいくなったね!」みたいな言い方をすると全然マイナスのニュアンスは感じないように思います。
「垢」という言葉がマイナスイメージに繋がるのでしょうか?わかりません。

これと少し似ているのが、複数人いる時に「かわいくなったね!」と伝えることです。
「かわいい」以外にも何か色々と褒める時、複数人いる中で誰かを褒めると、褒めていない誰かを作ってしまいます。
私はお世辞や嘘を言うことができないので、例えば「すごい」と思っていないのに「すごい」と言うことができません。
その場にいる全員に対して「すごい」と思えたら全員に「すごい」と言えるのですが、そういう場合ばかりではありません。
他人を上げる時、相対的に誰かを下げてしまうということは、気にした方が良い場面がよくあるなぁと思います。
では二人きりの時であれば褒めることができるのかというと、また別の理由でそうもいきません。まあこちらについては妥当でないと思うようになったので少しずつ改善していきたいと思っているところです。

と、まあこんな感じで「垢抜けた」という表現から連想してこんなことを考えました。
不思議だなぁと思うのは、有川浩『レインツリーの国』を最後に読んだのは恐らく映画化した6年前で、中学の頃の初読を含めて2回しか読んでいません。
それなのに、言葉一つで場面を思い出せたのが不思議です。
ふとした時、物語の力を借りて連想の糸が繋がるのは小説の魅力かなぁと思います。 

ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。

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