新雪の丘
こんにちは。札幌で英語講師をしているアラと言います。年度を跨いで働き方を変えたのでnoteを書く暇がなかったのですが、とりあえずひと段落したのでまた英語について文章を書いていこうと思います。改めてどうぞご贔屓に。
精神科医 益田祐介先生のYouTubeチャンネル
今日は、新雪の丘、という例え話について思ったことです。新雪の丘の例え話というのは、精神科医の益田祐介先生がやっていらっしゃるYouTubeチャンネルでよく出てくる話です。僕は精神疾患を持っているわけではない(と思うの)ですが、大学生の頃にニューアカデミズムの残り滓に足元を掬われて青春を台無しにした男ですから、フロイトとかの話が好きなんです。益田先生のチャンネルではそういう話も出てくるので楽しんで見ています。(そして改めてニューアカって碌でもねえって思いますね。僕は25歳くらいまでニューアカかぶれでした。お恥ずかしい。)
ニューアカデミズムに御用心
いきなり余談ですけど、雨宮純『あなたを陰謀論者にする言葉』でも、ニューアカデミズムが怪しい活動の入り口になっていたことが書かれています。大学生のみなさん、気をつけてくださいね。もうニューアカも絶滅危惧種でしょうけれど、学校というところもやっぱり人間関係で動いていますから、古い人間関係がいつまでも残っていることもありますので。
未来への不安ってだいたい根拠ないですよね
閑話休題。夜になると気分が落ち込むとか、常に将来が不安だとか、誰もが経験のあることだと思いますが、そういう思考のパターンは、過去の記憶から未来を推測してしまっている状態なんだそうです。昔こうだったから今回もこうなるだろう、というように。そして、最初の記憶というのは長く残りやすい傾向があるとか。益田先生はよくラーメン二郎の例をあげていますが、最初のラーメンが美味しいと感じたらラーメン好きになるけれど、たまたま美味しくないと感じたら、以降ラーメンが苦手になる、それくらい最初の記憶は強く刻まれるわけです。そして、新雪が積もっている丘に一筋のスキーの跡が残っていると、次に滑る人もその跡をなぞるように滑りがち。それと似て、将来について考え始めると、自然と子供の頃のネガティブな記憶、つまり強く刻まれたいつものコースを辿ってしまい、いつもの不安に行き着いてしまうのだそうです。
英文読解は大変な作業
この話を聞いた時、なるほどなーと深く納得するとともに、これって英語の授業でもあるあるだよな、と思いました。人間の脳はAIとは違うので、次にくる言葉を確率的に予測する能力に限界がありますから、「確率」ではなく「法則性」に基づいて文を読んだり聞いたりする必要があります。その法則性のことを文法と呼ぶわけですが、その文法を学ぶにはただ問題集を解けばいいわけではなく、各種の文法範疇(文法事項)が話し手のどんな気持ち・感覚・判断を表現するために用いられるのか、という点を意識して勉強する必要があります。そしてこれがものすごく難しい。人間の言葉は文脈の中で初めて正しく理解されるので、文法問題集のように短い文の中だけでアレコレ考えても形式的で表面的な理解に留まってしまいます。じゃあ長く複雑な文章で学べば良いかというと、そういう学習をするためには膨大な量の単語の知識が必要になり、中高生がいきなり手を出せるわけではありません。
たぶん、この点を乗り越えるのは、指導者との出会いを含め、さまざまな環境的な条件が満たされないと難しいんじゃないかと思います。ただ、毎度毎度5文型の悪口を言ってますけど、学習用の英文法を整備すれば状況は改善するとは思います。5文型は19世紀の学説です。19世紀の学説をそのまま正解として教えている科目は英語だけです。古典文法でさえ戦後に整備されたものですから、それと同じように英文法も学者先生にお願いして学びやすい文法体系を作って貰えばいいんです。(古文や口語の文法も再整備してほしいですけどね。連用修飾語なんて呼び名は混乱を招くだけです。)
英語なんて簡単だ。三ヶ月でTOEIC800点取れる!
また脱線してしまった。再び閑話休題。中高生が英語を学ぶには上記のような難しさがあるわけですが、いざ英文を前にした中高生は、夜になると将来が不安に感じられる人のように、「いつものコース」を一直線で滑り降りていきます。その「いつものコース」は「英語なんて簡単だ」というものです。ここ数年は落ち着いていますが、以前は「英語は簡単」という考えが社会通念といっていいほど広まっていたと思います(いや、これは言い過ぎかも)。ある文科大臣が「中高と6年英語を習ったが私は英語を話せない。」というようなこと言ったことがありましたが、この発言には英語なんて何年かやれば話せるようになるもんだ、という前提が感じられますよね。これは他の科目では考えられない話です。数学を6年習えば複素数平面なんて簡単にマスター…….できますか? 倫理の授業を一年受ければ、善悪の判断について間違うことはない……ですか?
受験英語と普通の英語の距離は縮まっている
受験屋さん(おもに英語担当)の僕からすれば、英語ができない一番の理由は勉強不足です。学校文法に問題点はあると思いますし、学校教材にはぎこちない例文がちらほらあるとも思います。しかし、特に教材は年々良くなっています。従来は、複数の文法事項としてバラバラに教えられていたものが、教材製作者の工夫でより統一的に提示される、なんてことが実際に行われています(Wh-名詞節のことです)。
また、大学入試が変わらなければ英語学習のあり方も変わらない、という説も根強いですが、実際の入試問題はとっくに普通の英語になっています。(ただ受験生は教材の制限もあって昔ながらの受験英語のアプローチをとるしかない場合が多いでしょう。)最近、順天堂大学医学部の問題を解いてみましたが、英文がそもそもYouTubeのTED-Edの動画をベースにしたものでした。(僕の授業スタイルはまさにYouTubeの教育系チャンネルの英語を読解していくものなので、我が意をえたり、でしたね。)YouTubeで見ることができる医療や科学、歴史の番組の英語が分かることは、今の若者が目指す価値のあることでしょう。大学の授業を英語で受講する練習にもなりますし。大学側はもうすでにそういう英語を出題してきています。だから今の入試の英語はとても難しい。当然、対策には時間も手間もかかります。「英語なんて簡単だ」という姿勢では到底太刀打ちできないのです。
なので、目の前にある英文は難しいのに「いつものコース」を進んでしまうと、「簡単なはずなのにわからない」という答えに到達し、それがやがていつもの答えになってしまいます。あるいは、「なんとなくわかったから問題ない」というのがいつもの答えになってしまっている子もいます。後者の方がタチが悪いですね。こういう現実の難しさを前にして「いつものコース」に戻ってしまう子に、僕は毎日、そうじゃない、文法的に読め! と言っているわけです。単語の訳を並べるだけじゃなくて、文法から生まれてくる意味も汲め! と。そうすると、授業の中ではみんなちゃんと文法を反映させた訳ができるようになるのですが、一週間後の授業ではまた最初から「文法的に読め!」と言い直さなくてはいけません。自習するときは素早く、雰囲気でなんとなく読んでしまっているのです。そういう中高生と接していると、彼らの心の中に「英語なんて簡単。パッと理解できて当たり前。わからないところがあっても雰囲気でOK。」という「いつものコース」が根強くあるんだなあと感じます。そしてそこからなかなか抜け出せない。個人的な経験では、早い子でも考えが変わるまで半年はかかるし、2年くらいかかる子も多いです。受験には間に合わなかった子も少なくない。先程の「なんとなくわかったから問題ない」の子たちは間に合わないことが多いです。
英語という科目の異様さ
これが数学であれば、その異様さにすぐに気づくと思います。「極限値と微分係数なんて簡単。パッと理解できて当たり前。わからないことがあっても雰囲気でOK。」そんな姿勢で数IIBを勉強している受験生が難関大学、例えば北大に合格するでしょうか? ま、文系ならなんとか共通テストを潜り抜ければあり得るでしょう。(二次試験で英語がんばればね。)でも結局、「雰囲気でOK」ならその科目は捨てているも同然です。3年生の秋で現役合格にこだわるのであれば、そういう決断もありでしょう。受験は実力も重要ですけど、やっぱり作戦も重要ですから。でも、ちゃんと勉強して大学に行きたいのなら(大人が思う以上にこういう子は多いです)、時間をちゃんと使って「いつものコース」から抜け出し、自分で選んだ課題に正面から挑んでいってほしいものです。そもそもそのほうが楽しいですしね。YouTubeの動画が教材になっちゃうんだから。
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