人は誰もが誰かの複製である。
最近YouTuberのモーニングルーティンを見るのにハマっている。
(この人俺と同じことしてるな。)
(あれ?俺はこれやってない。俺もやってみようかな。)
なんて思って見ている。
無意識のうちに、気になった人や憧れの人の行動を真似しようとしてる自分がいた。しかし、成功している人のモーニングルーティンはやはり凄い。
「百獣の王」で知られている武井壮さんは朝起きて、まず全身の体温を測る。どんな状態で覚醒状態に入ったかが分かり、それによってその日の睡眠の質などが理解できるそう。(本当にすごい。。)
そして、ベットからリビングまでの移動は全部逆立ち。(笑)
とても面白いのでみなさんも是非!
それでは、本題に。
「誰もが誰かの複製である」
そもそも誰も参考にしていない。全てがオリジナルで今まで人の真似をしたことがない。そんな人はいないと思っている。
何かがオリジナル。はあっても、全てがオリジナルは無理。
私はある本でこんな言葉を学んだ。
人は見聞きした言葉でしか、話せない。
人は食べたものでしか、排泄できない。
人は自分が優しくされた方法でしか、優しくできない。
人は人から受けた愛しか、人に愛を与えられない。
そうだとすれば、
嫌なことをする人は、嫌なことをする人の周りで育ってきた。
ポジティブな人は、ポジティブな言葉に囲まれて生きてきた。
と、考えることもできる。
皆さんはどうでしょうか。
「模倣は正義」
誰かの複製を重ねて、ようやく『その人らしさ』が完成するんだと私は思う。
Apple創設者のスティーブ・ジョブズですら、「彼は人のアイデアを盗む天才だ」と言われていた。コービー・ブライアントだってマイケル・ジョーダンを熱心に研究していた。
私自身、バスケットをしていた頃、上二人の兄のプレーをYouTubeで見まくっていた。
「人は誰もが誰かの複製」
だとするなら、
「自分で最初から考える」
よりも
「模倣の天才」になったほうが良いと私は思った。
もちろん「自分で考える」ということも大切。
恥ずかしがらずに憧れた人の意見を取り入れ、良いと思ったらすぐに行動してその考えや技術を盗む。それでもし合わなかったらすぐに取り替えればいい。
それを卑怯だとか、セコいだとか、そういう視点で見てしまうと何かもったいない気がする。
マネして生きることも大事。
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