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チェルノブイリと生きる

アイルランドはとにかく雨の日が多い。

いや、正確には毎日がくもりなのだが、1日のうちに何度か小雨が降る。

「今日も雨かぁ、まったく参っちまうよなぁ」

そう声を掛け合いながら行きつけのパブに向かい、セッションを聴きながら一杯のスタウトで粘るのがアイルランドの習わしなのだが、この日は近所のスーパーで瓶ビールを確保してからカティアと堤防に向かった。ベラルーシ出身のカティアは、アイルランドのホストファミリーの元でホームステイをしながら子供たちのベビーシッターをしている。

ほとんどのパブではたいていビール1パイント€5のところ、地元の生ビールが€2.5という破格で飲める店も見つけたのだが、若者にとってはやはり安くはない。そんなわけでこの辺の若者は各々お気に入りの堤防スポットを見つけ、酒を持ち込んでは仲間と語り合う。やはりそれも大概霧の中なのだが。。

豊富な雨がアイルランドを緑豊かにしているとはいえ、秋には雲ひとつない日が続く“十勝晴れ”で有名な生粋の十勝人の僕にとっては、やはり灰色の景色が続くと心細く感じる。

その日もやはりくもりで、霧のような小雨が降っていた。

お気に入りの堤防に腰掛け、

「ナズタローヴィア!」とロシア語で乾杯する。

“健康のために!”という意味だと教えてくれた。

「そうか、酒は健康のためだよな」と乾杯するたびにいい言葉だとつくづく想う。

黒の革ジャンがよく似合うカティアはサンドイッチを頬ばりながらよく飲む。どれだけ飲んでもちっとも酔わない。聞けば11歳から酒を飲んできたらしいのだが、それが文化的なものなのか、彼女本人の個性なのかはついにわからなかった。そんな彼女にとってビールで酔っ払うことは不可能だと、すぐ酔っ払って顔を赤くする東洋人を羨ましそうに眺めながらよく口にしていた。

何本目かのキルケニーを飲み干した後、カティアが聞いてきた。

「Chernobyl?」

珍しく酔っ払って急にロシア語で話し始めたのかと笑うと、今度はゆっくり、そしてはっきりと言った。

「チェルノブイリは知ってる?」

その地名をロシア語で聞いたのははじめてだった。

もっと言うと、ロシア語を話す、つまり旧ソ連圏出身の人間とセンシティブすぎるそのトピックについて語ったことはこれまでになかった。

「フクシマは今どうなっているの?」

フクシマ。

あれから5年と少し。

瓦礫と土砂の山はたくさんの募金とボランティア活動によって片付けられたし、洗い流されたコンクリートの代わりには眩しいほどの草木緑が戻って来た。テレビの中では、被災地で採れた野菜をどこかのイケメン俳優が美味しそうに頬張っていた。数年後にはオリンピックの開催だって決定しているのだ。フクシマは“復興”を遂げている。はずだった。

「私は、ベラルーシで生まれたの」

カティアは静かに話しはじめた。

霧の向こうに見えるダブリンの雲と海は相変わらず灰色だった。

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カティアの母親もベラルーシで生まれた。やがて地元で働く男性と結婚し、裕福ではないが、穏やかに暮らしていた。しばらくして、お腹の中に子供がいることがわかった。幸せの絶頂にいたふたりに訪れたのが、あのチェルノブイリ原子力発電所での事故。

事故が起きた後、避難した先で生まれた女の子がカティア。生まれつきの甲状腺癌だった。

比較的元気に育ったカティアだが、それよりも深刻だったのは、その後に生まれた弟だった。姉と同じく甲状腺癌を患っているだけでなく、足に奇形があり歩くことを困難にしていた。

やがて父は酒に溺れ、母は体調を崩した。

両親が別れた後、足の不自由な弟は施設に入り、姉のカティアは里子となった。いくつかの場所を転々とした後、アイルランドの家庭に招き入れられたということだった。

「ここでの生活は、そんなに悪くないわ。ビールも美味しいし」

一通り話した後、カティアはビールを飲み干した。生まれてからずっと共に生きて来たチェルノブイリ。慣れっこなのかこちらの心配をよそに案外けろっとしている。

「私、いつか声が出なくなるんじゃないかっていつも心配なの。それと生まれた子が甲状腺癌だったら、って。そもそも、こんな身体で子どもが産めるかもわからない。それに、、、もし病気のせいでビールが飲めなくなったらどうしろっていうの!?」

そう笑いながら立ち上がった。

「私、アイルランドの雨、嫌いじゃないわ。虹もたくさん見れるし。」

この夏故郷の弟に会いに里帰りするのが楽しみだと言った。

自分と同世代のカティアの弟。

いまどんな暮らしをしているのだろうか。

フクシマは、フクシマはこれからどうなっていくのだろうか。

彼女のように、多くの子どもたちが癌と共に生きることになるのだろうか。

彼女の弟のように施設の中でしか暮らすことができない子どもたちが増えていくのだろうか。

そして彼らのその子どもたちは。。

それが何世代に渡って影響を及ぼすのかなんて誰にもわからない。

「フクシマはこれからよ」

カティアはそうはっきりと言った。

遠くにアイスクリーム屋がカランコロンとベルを鳴らしながら歩いてくる。こんな天気で売れるのかと心配になるのだが、事実売れているから不思議である。アイルランドは夏に近づいているのだ。

フクシマの“復興”は、これからだ。

そう自分に言い聞かせながらアイルランドの空を眺めていた。こんな日には虹の一つや二つ出てくれてもいいものだが、空はやっぱりどこまでも灰色だった。

「ナズタローヴィア!」

彼女の健康を想いながら、最後の瓶を開けた。

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