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【港区】台場公園(第三台場)

現在の地図
国指定史跡 台場公園

台場公園に行ってまいりました。国指定史跡は東京で20あまりなので実はかなり珍しい場所。

前からずっと行きたかったのですが、ここに来るまでお台場近辺の駅からも結構遠いんですよね。
わざわざここに来る人は少ないと思います。お台場は若いころからたまーに来ていますがここにくるのは初です。

結果、おすすめスポットです。(わたしがおすすめするまでもないですが・・・)

20年前にあった未来感(お台場は20年前は未来感がすごくありました。)と江戸末期の空気感を台場で味わうことができます。

台場を調べるまでに一つ誤解があって、太平洋戦争時に敵の侵入を防ぐためだと思い込んでいました。

しかし、ここは1853年のペリー来航によって仰天した幕府が黒船を迎え撃つために作ったもので、この第三砲台は1854年にできています。結局内戦状態になったのでこの砲台から弾は発射されていません。

1853年、ペリー来航
1860年、桜田門外の変
1867年、大政奉還
1868年、戊辰戦争

ペリー来航後、わずか15年あまりで全く国の体制が変わったので
ペリー来航は起点になった出来事ですね。ですのでそれに黒船の襲来に備えたというこの台場も日本の歴史的遺物です。だから国の指定史跡なんですね。

台場公園の砲台跡 今日はここから東京時層地図です。

砲台跡 当時のものと思わせつつ、昭和3年として公園として開園後、昭和8年に当時の資料を基に復元 ということはレプリカの砲身もあったかもしれません。(砲身は靖国神社の遊就館にあるありますがこの場所のものかはわかりません) 
自撮り。晴れていたのですが、到着したとたんに土砂降りになってそうそうに退散。ぐるりと一周したかったです。記念碑があるらしいです。

では東京時層地図で明治期から追っていきましょう。

明治初期
明治後期
大正期
戦前昭和初期

史蹟公園の表記があります。昭和3年に公園として公開。公園といっても気軽に行けないですよね。船屋さんに船だしてもらうしかない。もしかすると船便がでていたのかもしれません。

防波堤もできています。関東大震災と東京大空襲では御遺体がたくさん流れ着き、平成5年までは慰霊祭が行われていたとのこと。

高度成長期以前
バブル期

昭和3年に初期に史跡公園となった第三砲台跡ですが、地図をみると変じゃないですか?

そもそも道がない公園ってあります??これじゃいけないじゃないですか。

資料がありました。昭和2年発刊

第三台場

海上の公園、第三台場。

現在は陣屋跡として残るだけですが当時は休憩所があるようです。

この本によると、この公園は史蹟、名跡、天然記念物の保存を目的とし第六台場は絶対保存、第三台場は相対保存ということを旨としているようです。

そして公園といっても目的は保存にあるため、著しい現行の変更は許されない、特殊な史蹟公園ということでした。

なるほど、第六台場は立ち入り禁止、第三台場には座るベンチもないしなんとなくほったらかし感があるんですね。当時は無人島だったから屋根付き休憩所があってもいいけど、今のように陸続きで屋根付き休憩場なんてあったら風紀的に問題なんでしょうね。ということで、陣屋跡としてあるのみ。

昭和初期の設定が今も息づいている場所と言えると思います。

真ん中に見えるのが陣屋跡 レインボーブリッジも見えます。
緑に覆われています。
奥にあるのはクロマツかな?松は海辺でも強いということを様々なサイトで学びました。
公園案内もあります。
雨が降り始めてきました。多少は歩きやすいように整備されています。ベンチ等はないですが、案内板に「お台場におこしの際は足を運んでみてください」と書かれているので、シートをもってお弁当を食べるというのはOK?でしょうか。
旧防波堤からフジテレビを眺めながら 当時は対岸の袖ケ浦とか木更津が見えたのかな。
お台場一のおすすめスポットですね。

お台場は近年できた新興の埋め立て地のようでありながら、江戸末期ペリー来航とともに台場がつくられ、昭和初期には海上公園となり、実は日本の歴史の変換点である場所でもありました。


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