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甲子園白色編〇●●●~平和の白球

 「45年前のきょう、全国の高校球児を悲嘆にくれさせる決定が流れた」
 1986年7月に書いた記事を思い出しました。8月10日に「第103回全国高等学校野球選手権大会」が開幕し、熱戦が始まったときです。
 記事は「白球にかける青春の貴さ」と題したコラムでした。1941年7月12日、文部省が次官通牒(つうちょう)で「全国的運動競技大会中止命令」を出したことで、全国中等野球大会も中止されたのです。
 1915年(大正4年)に始まった大会は、1918年(大正7年)の米騒動により中止。2回目の中止は、日本が戦争の道を歩むなかでの決定でした。
 愛知の東邦商業(現東邦高校)は、その年の春の選抜大会で、真田重蔵(和歌山・海草中)や別所毅彦(兵庫・滝川中)ら好投手のいるなかで、3回目の優勝をしていました。夏の大会は全国の球児が「打倒・東邦商」を目指して集まるはずでした。
 東邦商のエースで、のちに阪神に入団した安居(旧姓玉置)玉一さんに当時、話を聞きました。同期の多くは兵役にとられ、南方戦線など戦地で亡くなっています。
 安居さんは「当時のメンバーで生き残れたのは4~5人だけだった。『球友』に甲子園で野球をやらせてやりたかった」と無念そうでした。
 第68回愛知大会(1986年)を前に読んだ本があります。陸軍特攻隊で戦死した元プロ野球朝日軍選手、渡辺静さんの「白球にかけた青春」(中島正直著)です。信州・佐久市の出版社「櫟(いちい)」から出た本です。
 渡辺さんは信州・小諸商野球部の4番の強打者でした。1941年6月には東邦商を迎えて練習試合をし、延長12回3-3で引き分けています。この本の筆者は、運命の7月12日のことを、「球児たちに降りそそいだ氷雨」と表現していたのが印象的でした。野球に限らず、学徒動員で多くの優秀な学生が戦場で貴い命を落としていきました。 
 今年も戦争を知らない世代が、白球を追っています。筆者もあらためて、平和の意味と白球にかけた青春の貴さをかみしめたいと思うのです。
(2021年8月14日)
 〈あと文〉4回にわたる高校野球をテーマにした連載です。1回目は平和を象徴する白球に思う「白色編」。2回目は日航機が緑深き御巣鷹山に墜落した夏のエピソードをまとめた「深緑編」。3回目は甲子園大会で深紅の優勝旗を目指した球児たちの明暗を見つめた「深紅編」。最後の4回目は、球児たちがそれぞれ旅立ち、人生のメダルを目指している「空色編」です。いずれも筆者の取材体験を盛り込んでいます。若きジャーナリストのみなさまの参考になれば幸いです。(表題の色は大辞泉カラーチャート色名より)

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