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バンクシー展から~息を吹き返した「名古屋ボストン美術館」への問いかけ

 旧「名古屋ボストン美術館」(名古屋市中区金山町)が、2年4か月ぶりに開館しました。世界6都市で100万人以上を動員したという「バンクシー展 天才か反逆者か」の展覧会のおかげです。

 2月2日に内覧会が開かれました。美術館入り口で、赤いハート型の風船と少女の絵「ガールズ・ウィズ・バルーン」が出迎えてくれました。

 バンクシーは英国を中心に活躍する正体不明のアーティストです。会場に入るとすぐ、彼のスタジオを再現した空間が出現します。路上で素早く描くために多用しているスプレー缶が並び、雑然とした雰囲気が醸し出されています。展示室では、弱者を現したというバンクシー定番のネズミの絵に始まり、70点以上の絵が社会風刺や政治批判のメッセージを投げかけてきます。ストリート・アートの作品を見ている臨場感です。

 筆者は、この美術館が構想されたころから取材してきました。美術館の友の会にも入っていました。それだけに美術館本来のしごとを取り戻し、かつての姿をみせていることに感慨もひとしおです。

 この美術館は誕生から今日まで、苦難の連続でした。そもそも旧東海銀行の創業50周年の記念事業として構想されたことがきっかけでした。その後、名古屋商工会議所を中心とした地元財界のプロジェクトとなり、1995年に名古屋国際芸術文化交流財団を設立、米国のボストン美術館の姉妹館として準備されてきました。

 ただ、名古屋商議所内でも推進する会頭派と、米ボストン側の契約条件の厳しさを懸念する副会頭派とで激論が続きました。1999年に開館にこぎ着けたものの、ボストン美術館側が持ち込む専門的な企画展が続いたこともあって、2001年度の入場者は早くも初年度の70万人を大幅に下回る30万人にまで減少していました。運用財産も取り崩され、ついに存続問題に火がつき始めます。2018年10月に最後の企画展を終えています。

 ターミナル駅に隣接する申し分のない立地ですが、美術館としてレイアウトされているうえ、賃貸料も高く、オフィスとしての借り手がなかなか見つからないのが現状です。

 バンクシー展は、旧美術館がどうあるべきかを問う良い機会です。本場の米ボストン美術館に行ったときに、名古屋ボストン美術館友の会の会員特典として無料で入館することができました。2日通いましたが、東洋美術に限らず、収蔵品の質と量に驚かされました。

 そうした個性的な収蔵品が姉妹館の名古屋に貸し出されてきたのですが、ときにはアメリカのプエブロ・インディアンの陶器展など、なじみの薄い企画展もあり、名古屋で受け入れられなかったのも事実です。当時、地元財界が「もっと浮世絵や印象派を展示すべきだ」と注文をつけていたことを何度も聞いています。

 展示内容の問題か、美術館を支えようとするファンの力が足らなかったのか、あるいは美術館の「箱」が大きすぎたのか。名古屋商議所が名古屋ボストン美術館設立準備委員会の設置を決めたのは1991年。バブル経済が水面下で、そろそろ終わりを告げようとしていたときです。当初の勢いを、バブル崩壊後も持ち続けてしまったことも根底にあったかもしれません。

 バンクシー展は5月31日まで続きます。その後、混雑緩和のため6月20日までの延長が発表されました。
 自由に撮影できる展覧会です。せかく美術館としてのチャンスをもらった名古屋ボストン美術館です。入場者の力を借りて、名古屋にとどまらず、世界中に情報が発信されることを期待したいものです。

 「ガールズ・ウィズ・バルーン」は、様々な解釈を生んでいる作品です。筆者には、風船が少女の手を離れたのではなく、少女の手に風船が近づいてきてくれたのではないかと思えて来ました。もちろん、少女の姿は、名古屋ボストン美術館の姿であってほしいのですが。
(2021年2月5日)


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