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リニア中央新幹線と飯田線~飯田駅開業100周年で考えたこと

 南信州・飯田駅100周年とリニア中央新幹線についての考察です。
線路は続くよいつまでも♬
 JR飯田線の飯田駅の開業100周年を祝う記念式典(飯田市とJR飯田駅共催)が8月3日にありました。関係者約100人がお祝いに駆け付けました。
 JR飯田線は、1923年(大正12年)8月3日に元善光寺駅から飯田駅間が開業し、辰野駅につながる路線となりました。現在は愛知県豊橋市まで山あいを抜ける風景や鉄道愛好家が秘境駅を巡る路線として人気があります。
 記念式典には飯田線の前身「伊那電気鉄道」の開設に尽力した伊原五郎兵衛翁(1880~1952年)の孫、江太郞さん(75)(東京都八王子市)も参列しました。

伊原五郎兵衛翁の記念碑の前で孫の江太郎さん

 式典後、駅前にある五郎兵衛翁の記念碑前で写真を撮らせてもらいました。江太郎さんは各地の赤字ローカル線を念頭に、駅からの多様な交通アクセスを整備することで利用客を増やす必要性を訴えていました。
■最速リニアと渓谷路線
 飯田市の佐藤健市長は、リニア中央新幹線(東京・品川~名古屋)の世界最速の鉄道と、渓谷を走る飯田線とを対比しながら「JR飯田線が観光路線として愛されることを願っている」とあいさつしました。
 10月1日、赤字ローカル線の存続や廃止にかかわる改正地域公共交通活性化・再生法が施行されました。長野県にはJR大糸線の利用を地域だけでなく鉄道ファンにも呼びかける「大糸線応援隊」が活動中です。

大糸線応援隊の隊員証

■線路は「いつまで」続くのか?
 飯田線も他人事ではありません。かつては地域の公共交通の要として飯田駅はにぎわいをみせ、電車内は通勤通学や行商の人ら多彩でした。今は沿線人口減少と電車離れが進んでいます。
 「線路は続くよどこまでも♪」。懐かしいメロディーを歌い継ぐことができるでしょうか。
リニア先行開業への備えを 
 リニア中央新幹線は、2027年開業予定が厳しくなっています。静岡工区の遅れが一因です。飯田~中津川~名古屋区間が完成し、東京・品川~神奈川~山梨~静岡(南アルプストンネル部分)が工事中の場合は、全線がつながるまで待つことになるのでしょうか。
 9月27日に名古屋商工会議所で開かれた嶋尾正会頭記者会見で、嶋尾会頭は飯田~名古屋の先行開業について「あまり経済合理性は考えられないような気がします」と答えています。
 理由のひとつは、防災を考慮した鉄道の多重化です。豪雨などで東海道新幹線への影響が多発しているなか、嶋尾会頭は「経済的に一番影響のある関東、中部、関西のルートを多重化するというのが必須になってきた」と指摘しました。
 公式見解は、2027年全線開業です。ただ、沿線自治体や経済界は、名古屋から車両基地のある中津川、そして飯田までの先行開業の可能性をゼロとせず、先行開業の「経済合理性」を裏付ける準備をしておくことも必要です。
■「防災疎開」の受け入れ議論を
 持論です。リニア開業前から飯田・中津川を南海トラフ巨大地震に備えた住民や工場機能の一時避難所(防災疎開地)として整備する。
 名古屋市周辺の海抜ゼロメートル地帯、豊橋市の工業団地の水没や田原市の太平洋側の津波への恐怖。臨時情報が出されると高台への非難が始まりますが、要介護支援者や高齢者を優先するとなると、避難所や駐車場は足りないことが予想されます。近くのホテルや高台の親戚宅、知り合いの家への広域避難は、限られています。
 自治体は臨時情報に備えて、あらかじめ自治体や大学などと提携して、余裕をもって数週間滞在できる場所を用意することが理想的です。
 信州の伊那谷も南海トラフ地震で大きな揺れが来ますが、事前に空き家や廃工場などの耐震補強を済ませ、一時的な移住先として受け入れることを提案します。車で行き来できるように駐車場を確保することも必須です。
 日頃から、「防災交流人口」を増やす試みも重要です。例えば、余力があれば名古屋市に軸足を置きながら、定期的に飯田市に来て交流を深めておくといった防災の2地域居住も選択肢のひとつです。
 中小企業にとっては、機械設備の一部を事前に避難させて、2拠点で製造を続けておくのも一案です。税制面の配慮など誘致のインセンティブも欠かせません。
 信州は太平洋戦争で多くの子どもたちの疎開を受け入れています。飯田市には劇作家の岸田國士親子や画家ら文化人が来ました。その後の伊那谷の文化交流に弾みがつくなど、思いがけない効果も生まれています。
 リニア新幹線と飯田線の役割が増してきます。まずは議論を始めてみませんか。
(2023年10月13日)

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