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第2章 文化圏と美術館♪「信濃の国」の文化と経済(note2)

                               
~目次~
第1章 県歌「信濃の国」秘話
第2章 文化圏と美術館★
第3章 2022年の大遭遇~伝統の祭り
第4章 個性的な企業群
第5章 地場産業
第6章 食と農
第7章 人国記~「信濃の国」では
第8章 教育県とは
第9章 長野県人会の活動
最終章 あとがきにかえて~名古屋と長野県との一体感
  
第2章 文化圏と美術館♪「信濃の国」の文化と経済(note2)
■日本一の美術館・博物館を探訪
 旅先の美術館や博物館、書店を訪ねることで、その地域の風土や歴史にふれることができると思っています。2018年度社会教育統計表(文部科学省)によると、長野県は美術館・博物館の数が345館で日本一でした。2位は北海道の331館、3位が東京都の312館です。私が感動した「美博」や、これから訪ねてみたいところを紹介します。
【北信(ほくしん)】
 まず北信の長野県立美術館(長野市)から。「長野県民手帳」(長野県統計協会)の表紙を開くと、「信州の自然・山並みと調和した景観を創り出す<ランドスケープ・ミュージアム>」として、2021年4月開館が紹介されています。元は長野県信濃美術館として1966年に開館しました。その後、日本画家東山魁夷から作品の寄贈を受けて、1990年に東山魁夷館を併設。開館50年を経て建て替え、新築オープンしました。北アルプスに溶け込んだような外観もアートです。
【東信(とうしん)】
 戦没した画学生の遺作を収集展示した「戦没画学生慰霊美術館 無言館」(上田市)です。NHKの日曜美術館でも紹介されたことがありました。信濃デッサン館の分館として1997年開設。館主の美術評論家、窪島誠一郎さんが呼びかけて戦没者した画学生の作品を展示し、その思いを無言のうちに伝えようとしています。ホームページに「一度だけでいい あなたに見せたい絵がある」とありました。訪ねたい美術館です。
 このほか、名古屋長野県人会の法人会員で、県人会の懇親会にも参加されている「豪商の館 田中本家博物館」(須坂市)、北斎館(小布施町)、美ヶ原高原美術館(上田市)など。
【中信(ちゅうしん)】
 松本市美術館は草間彌生に尽きます。美術館の外観(写真は2019年5月に撮影)に驚き、館内の展示に感動しました。2021年度は大規模改修のため休館しています。
 このエリアには、碌山美術館、安曇野ちひろ美術館(いずれも安曇野市)、高橋まゆみ人形館(大町市)など訪れたい場所です。
【南信(なんしん)】
 飯田市美術博物館は、飯田出身の日本画家で「落葉」「黒き猫」(いずれも重要文化財)で知られる菱田春草の絵画や遺族から寄贈された下絵、スケッチなどを常設展示しています。建物は、南アルプスの山並みをイメージした壮大な景観で、1989年に全館オープンしました。のちに京都駅ビルを設計した原広司さんの作品になります。近くには民俗学の柳田国男邸を移築した資料館や詩人日夏耿之介の家も保存されており、私が好きなエリアです。
 このほか、川本喜八郎人形美術館(飯田市)や、ガラス工芸品収蔵で知られる北澤美術館、原田泰治美術館(いずれも諏訪市)、イルフ童話館、宮坂製糸所が稼働する岡谷製糸博物館(いずれも岡谷市)など盛りだくさんです。
 県歌に歌われた「四つの平」ですが、実際には長野県観光機構(長野市)発行の「長野県観光マップ」の六つの区分けが便利です。「北信濃」「東信州」「日本アルプス・松本平」「木曽」「諏訪」「伊那路」が、より地域性を感じられます。長野県は北海道に次ぐ温泉が多い都道府県です。アートと温泉の組み合わせを楽しめるのも信州旅行のしあわせです。
■なぜ信州か
 信州にはなぜ、個性的な美術館や博物館が多いのでしょうか。以下、私論です。
 信州人は文化芸術を大切にして、教育に生かしてきた土地柄だと感じています。信州を舞台にした小説や四季を描いた画家も多く、東山魁夷のような寄贈作品も多くあります。
 また、人形浄瑠璃や人形劇を大切にしてきたことで作品を寄贈いただいて開館した川本喜八郎人形美術館の例もあります。
 文物に関心が深く、知識欲が高かったことも理由の一つだと思います。最近出版された「博覧男爵」(志川節子著、祥伝社)にヒントがありました。東京・上野に博物館と動物園の開設に尽力し、「博物館の父」といわれる田中芳男です。
 田中は信州飯田藩から尾張藩の蘭方医、伊藤圭介の門下に入り本草学を学びました。伊藤圭介はシーボルトに学び、日本の植物学の基礎を築いた人です。田中はやがて幕府の下で動植物や鉱物の見本を集める仕事に就きました。幕末の1867年、パリ万国博覧会の出展を担当し、海路パリに渡ります。NHK大河ドラマ「青天を衝け」の7月4日放送は、ちょうど徳川15代将軍慶喜公の異母弟、徳川昭武公を名代にしてパリに向かう場面でした。
 田中はパリで自然史博物館や動植物園を視察して感銘を受けて帰国します。国内でもウィーン万博(1873年)出展に先立ち、名古屋城の金のしゃちほこなど各地から集めた文物を東京で展示する湯島聖堂博覧会を開いています。写真は、noteで書いた「名古屋城からはじまる植物物語」(2021年4月29日)で使った湯島聖堂博覧会の写真です。伊藤圭介の隣に写っているのが若き日の田中芳男(前列右から2番目)です。

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 どこの都道府県にも進取の気持ちを持つ人はいますが、信州人には特に「大海をのぞむ」という気質が強い気がします。山国に生まれ育った私自身も、好奇心や新たな道を切り拓いていく努力を惜しんではならないと教えられてきたからです
 旅の途中に訪ねた美術館や博物館のいわれを知るのは、アートの楽しみのひとつです。
(2021年7月11日)
 このリポートは、長野県の文化や経済について人からたずねられたときに、関心を持ってもらえるようにと、個人的にまとめたものです。タイトルにある「信濃の国」は、1900年に発表された県民の唱歌で、のちに県歌に制定されました。多くの長野県民によって今も歌い継がれています。この歌詞を話の軸にして、信州の文化と経済を考えてみようと思います。少しでもご参考になれば幸いです。

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