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小学2年生が隣の市まで歩いた話

私が小学2年生の頃の話です。

その当時は夏休み最後の週、猛暑日で熱中症警報が出ているほどでした。

最後の週まで夏休みの宿題を溜める派だった私はその日ついに母親に「宿題をやれ」と怒られました。

しかし、いつまで経っても宿題をやらない私は母親の会社に連れて行ってもらうはずだったのに、家に置いてかれました。

母親としてはいつものように怒った程度だったらしいのですが、当時の私にとっては今まで置いてかれた経験がなかったためか、“置いていかれた”という出来事が非常にショックで、相当怒らせてしまったのだと思っていました。

そこで私は母親に謝るために、母親の会社に向かうことを決意しました。

距離は8.6km 橋を渡り、山を登った先に会社はありました。

道のりは車窓から見た記憶を頼って歩きました。今思えばよく道を覚えていたなと思います。

普段、友達の家に行く時すら何も持たない私も流石にヤバいことを察したのか、250mlの水筒にアクエリアスを入れ、帽子を被り、靴だと暑いと思ったのかクロックスを履き、家を出ました。

母親曰く「少しズレている子」だったらしいので、「なぜめちゃめちゃ歩くのに2Lの水筒にしなかったのか」や「なぜめちゃめちゃ歩くのに靴を履かないのか」などは「少しズレているから」としかお答えできません(笑)

また、「自転車で行こうかな」という迷いはあったのですが、「帰りは自転車どうしよう」と思ったので歩きを選びました。しかし、小学2年生の小さい自転車なら車の荷台に乗せられるのではないかという考えには発展しませんでした。

出発後は特に問題もなく、順調な滑り出しでしたが、40分くらい経ったあたりの急な下り坂で何故か高校生に話しかけられました。その高校生は「どこ行くの?」と話しかけてくれたので心配させてはならないと思い、「橋の向こうの友達の家に行く」と嘘をついた覚えがあります。

何故話しかけてくれたのかはいまだにわかりません。

そして、歩き始めて1時間ほど経ったあたりで道に悩みました。どちらのルートも会社にたどり着けることは分かっていたのですが、会社に早く着くルートは橋に歩道があったか否かが曖昧でした。

悩んだ末に木の棒を倒して、遠回りになるが確実に橋に歩道があるルートを選びました。実際、当時は早く着くルートの橋には歩道はなく、そっちのルートに行ったら迷っていたと思います。

その後もどんどん進み、橋を渡り終わったあたりで、クロックスが不幸を呼び、足の皮がむけ、持続的な痛みが伴いました。

時を同じくして250mlの水筒も無くなってしまい、帰るか帰らないかを近くにあった神社で休みながら決めました。また、神頼みの靴飛ばしを行い、靴が表だったので、進むことに決めました。

ただ、喉の渇きは耐えれても、足の痛みが絶えず襲ってきました。また、会社少し手前の急な勾配の坂道に突入していたのもあって、より痛かったです。

坂道を登り切るのは大変だったのですが、途中で「裸足になろう」となぜかひらめき、歩いたところ足の痛みが無くなり、スムーズに進むことができました。

そのまま、会社になんとかたどり着きました。会社のドアを開けると、母が状況を察して、涙目で向かってきました。私は「全然怒ってないじゃん」と思い、少し損をした気分になりました。

帰りは車で、道中の話をしながら帰りました。今となってはいい思い出ですが、夏休みの宿題がどうなったのかは誰にもわかりません。


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