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「光る君へ」 第28回 一帝二后

今さらだけど、わかってしまった。
「ソウルメイトパート」が少なければそれなりに見られるということを!
これってこのドラマのメインストーリーを全否定してるも同然で、視聴続ける上で致命的なことなんだけど、あー気づいてしまったどうしよう(棒)。


【今日の行成】
道長と主上の板挟みで苦悩する。
このドラマでは板挟みというより、あくまでも道長寄りな感じだけど。
主上と道長(時に詮子)の間を行ったり来たり、あげく主上の意向を早まって伝えて慌てて説得に及ぶ(行成の方が過労で倒れるわ)…今日の一連の行成の動きはほぼ「権記」の記載通り。
それも立后が決定してやっと「実はこうだった」とその間の出来事を回想して書いてるんだよな。
うっかり書いて慌てて墨塗りする道長と違ってあくまでも慎重(小心?)な行成であったw


長保元年〜2年は本当に目まぐるしくいろんなことがあったので整理してみた(他女御は省略、定子様と彰子の動向中心に)。

長保元~2年(彰子立后~定子様崩御まで)の動き
(参考資料:倉本一宏「一条天皇」)

※クリックで拡大(スマホでは見にくいかも🙇)

さて例によって雑な感想を。

  • 詮子、主上の言葉が効いてて若干しおらしい。
    でも「女御のまま捨て置かれた」とかまだ言ってる。
    「すごいこと考えるようになったわね」って、それ考えたの晴明だから!

  • 行成、詮子の文を持参するも主上に否定される。
    実際は現実的思考で長保元年12月頃(昌子内親王崩御がきっかけか?)主上の方から相談を持ちかけたようだ。もちろん道長の「空気」を読んでだろう。

  • 彰子のもとを訪れる主上。笛は聴くもので見るものではないエピは栄花物語から。主上の御手が美しい!
    でも主上自ら彰子12歳に「中宮になりたいか?」って聞かないと思うよ。。
    それにあの場面から「彰子が親の言いなりで可哀想」→「形だけの后にしてやってもいい」になるのは唐突じゃない?なんでそうなる。

  • 主上の言葉を受けてさっそく道長に伝える行成。
    そうなる前段階の流れを省いて「中宮にしてもよいとはっきり仰せになりました」ってちょっと行成、盛ったね?
    実はキミ、何もしてないよね(あとで必死に説得するけど)。
    ああいう言い方されちゃ道長も行成のおかげかと思うよな。
    行成に最大限の賛辞。
    この瞬間は本心だったとしてもほとんど反故にされてしまうんだよな。
    道長は後年の行成にはむしろ冷たいし、兄弟の如くと言った頼通が行成の最期に取った態度は酷い。

  • 道長が日記書くシーン初出。
    ドラマでは晴明が先回りして立后日を決めてたけど、実際は1/10、道長が主上の心が決まったと早合点してウッキウキで立后日を晴明に勘申させた。
    ところが実はまだ逡巡してると聞いて慌てて日記に書いたその部分を墨塗り抹消。
    ドラマでは書き込んだ直後に自ら「まだ詔は降りていない」と気づいて消したことになってたけど、実際は、勘申結果を書き込んだのとは別の日に消してるはず。
    だからあんな冷静に消したんじゃないと思うけどな(そこまでも漂白か…)。
    絶対「ヤベェ!」って慌てて消したはず。
    顔色変えて慌てて墨を塗る道長の方が面白かったのに。

  • 宣孝が道長のもとを訪れる。宣孝は意図的に子が生まれたことを伝えたけど、あれ道長はピンときてたんだろうか?表情からはよくわからなかったな。

  • 立后の儀。実資が宣命を読んでたけど、上卿は顕光だったんだよな。
    主上の黄櫨染姿は新鮮だった。
    でもこの主上には黒の装束が一番映えると思う。

  • 本宮の儀。道長と倫子が横で立ってたのが舞台袖で見守るステージパパ・ママみたいだったw

  • 高松殿。頼宗、顕信、能信、生まれたての寛子勢揃い。
    「入内して幸せなことはない」まだ無欲路線引っ張るの、無理ない?
    そして道長、倒れる。
    前回も今回も不調の前振りはあったけど、ここは倫子と明子を引き合わせてのドロドロ愛憎場面(とまひろとの夢での逢瀬)と明子にまひろの存在を気づかせるのがメイン目的?
    相関図の明子の紹介文にある「まひろの存在に鬱屈がたまっていく」を「なんで?」と思ってたけどこういうわけか。ヤバい相手に知られたぞまひろw
    ほんとにこういう粘着な筋書き好きだよね脚本家。
    実際に倫子が高松殿に向かうなんてことがあるとは思えんが。
    あってもせいぜい文か歌のやり取りくらいでは(道綱母と時姫みたいに)。

  • 倫子「祝着至極」。これ、平安ドラマでは本当に違和感なんだけど。
    にしても家族一同、快癒を喜んでるのに道長のあの微妙な顔は何なの。
    道長こそ不実な男だよな。

  • 実際も道長は長保2年4月下旬〜5月にかけて病悩し、一時は嫡男頼通のことを行成に託すほど弱気になり、5/9上表、8月まで参内しなかったり、除目奉仕を辞退したりしてる。
    5/19には道兼の霊が取り憑いた。
    メルヘンファンタジーよりこっちの方が面白かったのに!

  • 定子様とききょう。あの「いつも いつも」って唱和はかつてソウルメイトが言ってたやつだよね。
    あれはソウルメイトの合言葉なの?

  • 不吉な「歩障雲」「不祥雲」を思わせるショットから出産を待つ伊周と隆家。
    ききょうが呼びにくる。
    ここちょっとおかしいんだよな。
    伊周が「皇子様か?」と聞いてるってことはまだ生まれてなかった(産声が聞こえてない)。
    でも呼ばれて行ったら定子様はすでに亡くなっている。
    ところがそこに流れるナレは「姫皇子を出産し世を去った」。
    いつ生まれたんだ?そして相変わらず人がいない。

  • 伊周はもうとにかくこういう描き方なんだな。。。
    最期くらい恨みつらみばかりじゃなくてもっと純粋に肉親として悲しむシーン描けないもの?隆家もどっか行っちゃわないでさ。

  • 実際は媄子様誕生は12/15で翌16日の早朝、後産が降りずに崩御。
    なんかずいぶん端折ってるというか雑なあっさりな描き方だったな。
    そして『夜もすがら契りしことを忘れずは恋ひむ涙の色ぞゆかしき』は出たけど『煙とも雲ともならぬ身なりとも草葉の露をそれとながめよ』をやらなかったということは!
    主上崩御の『露の身の風の宿りに君を置きて塵を出でぬる事ぞ悲しき』もスルーもしくは彰子に向けて詠んだってことにされるってこと?
    主上(役)の方のインタビューであの遺詠の道長と行成の解釈違いに触れてたのでシーン自体はあるっぽい?

  • 公式Xくんは権記ポスト連投してたけど、定子様崩御時、参内を命じられたにも関わらず道長はそれほど危急の事態でもない病悩中の詮子の方に参上したという部分はまたも省略してた。


【今日のソウルメイト】
本日唯一の2人のシーンがあのベタなファンタジーシーン。
考えたら妻2人が心配してるのに、当人は夢で別の女と逢っていてそいつの呼びかけで「戻る」って酷いよな。
「…まひろ!?」吹き出したわ。光の中にまひろが現れちゃってる。
わざと古臭い手法で笑い取ろうとしてるのかマジでやってるのかどっちなんだろ(たぶんマジな方)。
平安らしさがみじんもない。
あの光の演出ってむしろ西洋的な天国っぽいイメージじゃないか?
三途の川はどうした!行成の夢みたいに不動明王とかが出ないと!


このドラマ、権力争いのドロドロ「も」を描くとか言ってた気がするけど、一般社会(もちろん朝廷でも)や人間関係に普通にある「嫌いだけど仕事面では評価」とか「好きだけどこれは間違ってる」とかが全くなくて好きか嫌いか、いいやつか悪いやつかの単純な2択でしか描かれないから薄っぺらで幼稚なんだろうな。

* * * * * *

そういえば主上と定子様ご出演土スタ。
トークの合間の振り返り映像が思いのほかキツかった。
道隆と伊周の皇子産め、枕草子誕生秘話、主上職務怠慢。
封印してた無念さが蘇ってきた。
スタジオトークとオフショット、共演者メッセージだけ見たかったな。
でもトークでも出演者(司会者含む)の誰からも「実際は違ったみたいですけど」とか「これはあくまでもドラマですから」って言葉が出なかった。
あまつさえ「枕草子にあんな背景があったとは」なんて言葉まで。
いやいや、そんな背景ないから
あんな風にFAXみたいに1日に一枚ずつ届いたのも事実だと思ってる?

「枕草子は定子様だけに宛てて書かれたもの」っていうのが定説化しそうなのがものすごくイヤだ。
そして定子様を「かわいそうな人」とだけ印象づけるような「ひとりぼっち」「唯一の味方」「定子様だけに向けて」などのお涙頂戴な言葉
燃え盛る局やら刃物を持っての立ち回りやら大げさなメロドラマチックな演出にも辟易してたけど、定子様の見事なサロンの女主人ぶりや茶目っ気のあるところをスルーしてただただ主上の愛にすがることしか出来ない哀れな女性としてしか描かれなかった。
それこそ清少納言が枕草子を書いた意図と真逆を行くものなのに。
そういう薄っぺらい感傷的な捉え方は定子様にも清少納言にも失礼極まりない。
枕草子まで自分のシナリオに合うような部分だけつまみ食い・デフォルメして陳腐なストーリーに利用しないでほしかった。

あと、今さらだけどやっぱり自分の定子様は「ていし」であって「さだこ」じゃないんだよな〜。
訓読みの方が正しくても長年染みついたものはどうしようもない。
これもこのドラマに入り込めない一因。

返す返すも初の平安大河が今作だったのは残念でならない。
知名度の低い平安時代(脚本家曰く「誰も知らない時代」)だからこそ第1作目はまともな、スタンダードな“大河”であってほしかった。
このドラマが平安を知らない視聴者とっての「平安時代」のベースになってしまうというのが本当に無念。
おかしな演出を「事実」と思われるなら「誰も知らない」方がマシだった、なんて思う日がくるとは。


第29回予告 「母として」

定子様崩御で道長への憎悪爆発の伊周。呪詛っぽいことしてたけど、早くない!?
少なくとも発覚したのは彰子に敦成生まれてからだよね。あと9年もあるんだが。
その間ずっと呪詛し続けてた?
あと詮子の四十の賀の田鶴君(頼通)と巌君(頼宗)の童舞で道長(倫子?)ヘソを曲げる事件もある模様(漂白演出があるみたい)。
次回は敦康親王と伊周妻とここにきてやっと道雅が登場する。道隆が道雅を可愛がるところを見たかった。。

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