行成はどこから少納言のところに来た?
今週は都知事選のため休止。
クールダウンが必要だったのと石山寺でのあれを七夕放映にぶつける目論見(邪推)が阻止されてよかった。
今日はちょっと気になったことについて。
第24回でついに行成と清少納言が直接会話するシーンが登場した。
でもただの蔵人頭と取次女房の会話で、どこが「遠江の浜柳」(切っても切れない仲)じゃ!!って感じだった。
そういえば行成ラジオの少納言ゲスト回でも枕草子の2人エピなしに言及してた。
そんな気はしつつも、それでも毎回「もしや!?」と期待してたんだけど。
諦めた。トンチキ創作描写されるならなくていい。
「うた恋い」があるからいいや。
さて。
最近「行成は女のところから朝帰りしたその足で少納言の顔を覗き見した」みたいなSNSを見た(ウロ覚え。探したけど見つけられず。幻かもしれん)。
まじめで愛妻家の「行成だってやることやってる」的なニュアンス。
果たして行成は本当に朝帰りの足で少納言の元に向かったのか?
有能、能書、誠実、実直、愛妻家、子煩悩…
行成のイメージはいつもこんな感じ。
結婚記念日を覚えている「最古」(?)の人物でもある。
以前「枕草子周辺論」(下玉利百合子先生)からの行成エピソードを取り上げた。
「権記」の記述を見れば愛妻家・家族思いであったのはわかるけど、それが現代の愛妻家とイコールかはわからない(たぶん違う)。
なんといっても彼はあくまでも平安人。
確かに同時代の他の公卿に比べれば女性関係は活発な方ではないみたいだけど、妻(二人。姉妹)との他に橘為政女との間にも子どもを儲けている。
そもそも清少納言との仲を取りざたされているわけだし、彼女と同じく記録には残っていない相手が他にいてもおかしくはない。
「行成だってやることやってる」だろう普通に。
(我ながら何を言ってるんだ…)
だから朝帰りの足で少納言の局に向かっても「行成…幻滅〜!」には全然ならないんだけどw、否定的なニュアンスを見たので枕草子のあの場面を検証してみたい。
枕草子 第四十六段 『職の御曹司の西面の立蔀のもとにて』
行成が少納言の顔を覗き見したことが出てくるのはこの段の最後のほう。
御簾の隙間から見えた簀子敷にいる黒っぽい人影を則隆(則光の同母弟)と思って油断していたら「いとよく笑みたる顔のさし出たる」(ひどくにこにこした顔がぬっと出てきた)、それは則隆ではなく行成の顔だった。
この段はタイムラインが異なる3部構成になっている。
前章:職御曹司でどこかの女房と立ち話中の行成に話しかける少納言。定子様が職御曹司にいて、かつ、行成が「頭弁」であった時。
→長徳3年6月22日〜同4年10月23日中章:行成の性格〜行成とのこれまでのつきあいの様子〜顔を見せる見せないから軽い絶交状態へ。
→前章より遡る長徳元年8月29日の蔵人頭補任〜後章の直前後章:3月の月末頃「式部のおもと」と「小廂」の局で寝ていたところ、主上と定子様がお出ましになり北の陣を出入りする者たちをこっそり眺めて笑う。お二人が出られた後の局で上記垣間見のやりとりが起こる。
小廂は一条院北二対に増築した間で、定子様が一条院北二対を御在所としたのは長保2年2月11日〜3月27日。
→長保2年3月26日〜3月27日の生昌三条宅出御以前(萩谷説は26日)
寝起きの顔が「めったに見られない(貴重な)もの」か「とても良いもの」かはさておき。
あらためて行成の言葉を確認。
『先に「ある人の局」に行って顔の覗き見が成功したので、少納言の顔「も」覗き見できるかもと思った』
(覗き魔の成功体験か、供述か!?)
まず気になるのが「ある人の局」というところ。
ある人とは誰?
前述SNSではこれを行成の通う相手と考えたフシがある。
萩谷先生は「権記」3月25日条に『参内候宿』とあることから、この後章の出来事を『行成が一条院内裏に宿直した翌26日の朝』のことと断定している。
25日は前年亡くなった行成の妻の父(源 泰清)の法事や石清水八幡宮と住吉社参詣に出ていた詮子の帰京など忙しい1日だった。
そして、その夜、宿直しているのだ。お仕事だったのだ。
※ちなみに26日は日記を記していない。
宿直の夜でも通える相手というと相手は内裏内の女房だろうから「ある人」と合致する。
でも仕事場からちょい抜けは可能でも朝まで相手先に留まるのは難しいだろう。
また、前の夜一緒に過ごした相手の寝起きの顔をわざわざ「覗き見」しに行くとは思えないけど、暗いうちに引き上げていれば寝起きの顔を見たことがない可能性もある?
まぁ自分としてはいくら平安人行成であっても、彼が仕事中に女のところにシケ込む(!)とも思えないので、単に今まで顔を見たことがなくて、機会があれば見たいと思ってたそれなりに親しい女房(少納言みたいな)のことだと思うけど。
つまり…
ある人=通ってる相手 → ありうる
ある人の顔の覗き見 → ありうる
ある人の局からの朝帰り → ありえない
といことになる。
「垣間見」目的で「ある女房」の局に寄り、その足で少納言の局に来ている。
この女房が前夜通った相手ではないとは否定できないが、少なくともこの朝はどこか他所からそこに寄ったのだ。
つまり少納言の局に向かったのはいわゆる「朝帰りの足で」ではないことになる。
よって行成、無罪!!
(でも覗きで有罪?w)
(この日は)行成はやることやってるやってない!!
よく考えたら、頭弁行成(垣間見の頃29歳)キミは朝から何を…。
「ある人の局」で成功したから「💡!!このテで少納言もイケるかも!?」と閃いてしまうその思考回路に笑う。
そしてその企みがまんまと成功したら顔が見られた嬉しさと相まってそりゃ「いとよく笑みたる顔」にもなるというもの。
あのお堅いイメージの男がニッコニコで御簾から顔を出す…w
「枕草子」を読む楽しみはこういうところ。
まんまと覗き見に成功していうセリフがまた憎らしい。
「いみじく。名残なくも見つるかな」
(すばらしい。十二分に拝見しましたよwww)
この段の最後の一言が意味深。
ただの回想かもっと微妙なニュアンスを表現してるのか。
日本古典文学全集(小学館)の解説には「『めり』という婉曲な表現をしたのは、多少ははばかる気持があるからか」とある。
ここは橋本治版からの引用で結ぶとする。
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