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「光る君へ」 第19回 放たれた矢

主上と定子様は関白を拒否し右大臣に留まる道長の意図を知る。内裏で孤立する伊周は殿上の間で道長と口論、転倒。以後参内しなくなった伊周と隆家のもとに道長の命を受けた俊賢が訪れる。8月の除目で実資が権中納言、俊賢が参議、行成がついに蔵人頭に昇進。まひろ、一条天皇と定子様に対面。道長の計らいで為時が従五位下に叙される。そして為光の三の君に通う伊周が大事件を引き起こす。


【今日の行成】
やっぱりそういう風に描かれるわけか。
「私で力になれるならやりまする」即答。
この時まだ蔵人頭でもない散位状態のような身分でそんなに内裏の裏情報に詳しいの?ゴシップ好きのヤなやつじゃんw
「女子たちと密なつながりを持っている」
(by公任)ってどこの世界線の行成?
愛想なくてみんなに評判悪いけど少納言にだけは心を開く行成はどこ!
蔵人頭になったのはいいけど、やっぱり「仏法の霊験」スルーだった…。
道長が昇進させたことにならなくてまだマシか。
でもその前に上の宣言があったから暗にその対価として昇進したと思う人もいるかも?そう思わせたいような描写だったかもな。
それにしてもこのドラマでは少納言に続き、俊賢とのシーンも描かれないのか!!


さて例によって雑な感想を。

  • まだまだ長徳元(995)年。

  • 道長、関白にはなりたくないと。
    関白にならない=独裁しないってイメージで言ってるのかな。
    関白と「異なる道」だろうが権力行使してるのは同じじゃないか?
    「顔を見、声を聞き、共に考えたい」要は議論の場を牛耳りたいってことだよな。上がってきた決議を裁定するより、その前段階で自分の思うような結論に持っていければそっちの方が手っ取り早いもの。
    結局、下の者は一上(道長)の顔色を窺うんだし。
    でもあくまでも「これまでの関白とは違うと強調。これ=道隆?
    主上の記憶にある「関白」はほぼ道隆だけだもんね。

  • それにしてもノンポリのぼーっとした男がなんで急にシゴデキ男になってるんだろう?

  • 租税免除の陣定シーンで「誠信さねのぶ」が出てた!万年参議の!!
    字幕で初めて気づいた。でも弟、斉信との関係はスルー。

  • 除目について悩む道長。詮子、自分の手の者を入閣させろと迫るも道長に拒否されるがそれすら誉める(?)。
    ここでも道隆サゲを忘れない。身内を悼む心もないのに世直しとは片腹痛し。
    いつも思うんだが詮子と道長のシーンって下世話で俗っぽい。

  • この期に及んでまだやるかF4シーン。右大臣と横並びで酒盛りなんて。
    それに公任、早くも隠遁宣言?
    斉信に官位を越されて参内拒否した男が?

  • 参議昇格した俊賢、道長の指示で参内拒否中の二条邸に伊周、隆家を訪ねる。
    説得にまんまと乗せられる兄弟(素直)。
    今日はこれまでの分を取り戻すかのような俊賢回!
    道長の指示とはいえ、源の再興のため道長に近づいてるだけというのも嘘でもない感じ(「源の再興」という意識があったかどうかは別)。
    べったりなようでべったりでないというか。
    俊賢の第二の手とはなんだったんだろう?BGMが謎。

  • まひろ、ききょうに連れられ登華殿へ!!女房装束あったの?
    途中の廊下に嫌がらせの鋲。これまた古くさい“嫌がらせ”描写だな。
    靴の中に仕込まれてたとかじゃないんだから目の先に見えてるんじゃない?
    ききょうが御簾の中にいる他の女房に聞こえよがしに言うけど、この頃は入内してるの定子様だけでしょ。
    朝廷に直で仕えてる女房だとしても嫌がらせする理由は?
    前にも貴子が女房の陰口聞く場面あったっけ。

  • そこへ文も先触れもなく主上がお一人でふらっと現れる。
    そして迷うことなく御帳台へGOーー!!
    このシーンは道隆存命の中関白一家のほのぼのエピソードとして見たかった。
    音声解説では「しばしのあと」だったけど、枕草子(第99段)では「ひつじの時ばかりに(13〜15時頃)」から「日の入る程」まで(「信経記」によれば「申刻還御」(16〜17時頃)だった。
    見直したら御帳台じゃなく「塗籠」だったな。御帳台よりは遮音性は高い///
    …ゴールデンタイム的に御帳台ではダメだったのか?
    道長とまひろのあれは良くて?w
    それにしても実際は御帳台だったわけで…そりゃ道隆以下、酔うしかないw
    ちなみに一条天皇には珍しいことでもなかったようである///

昼日中、側近く人も多いのに、いかにも四辺あたりかまわぬ天衣無縫なお振舞である。『紫式部日記』寛弘五年十月十七日条にも「宮の御方に入らせ給ひて程もなきに」と、土御門第行幸の際の中宮彰子とのあわただしい合歓のことが記されている。その時、天皇は二十九歳、中宮彰子は二十一歳である。

枕草子解環/萩谷 朴
  • 塗籠から出た主上と中宮の前でどこの馬の骨かもわからない女が一席ぶつ。御簾がないとか直接言葉を交わせるはずがないとかがどうでもよくなるくらいありえないシーン。
    まぁなんでこんな場面をブチこんだのかは後でわかったけど。

  • 宗ガーまひろ。でも日本にだって一応大学寮とか勧学院とかあったよね。

  • そこに伊周、隆家乱入。伊周のセリフ「仲良くやっておられるか拝見しに参りました」って何目線なんだw
    それに相変わらずの皇子産め発言のあと、他の女御の入内を勧めるかのようなこと言うのは矛盾してないか?

  • まひろ、為時に正月の除目では宗人70名が流れ着いた越前守を望めと勧める。

  • 明けて長徳2(996)年。
    伊周が訪ねるのは「斉信邸」になってるけど、故為光邸(一条殿)。
    斉信の妻が不詳なのでこの頃の斉信の在所がわからないけど、普通に考えたら父の家にはもう住んでないだろう(公任みたいに四条宮に姉や娘と住む例もあるけど)。誠信は婿入りしてる設定か。

  • 伊周の相手は斉信の異母妹 寝殿の上(三の君=ドラマでは光子)、この2年前の993年没の源 雅信(倫子父)の妻でもあった。
    父は為光、母は伊尹女(行成の父義孝の異母妹、よって行成とはいとこ)。
    花山院が通うのは寝殿の上の同母妹儼子たけこ(四の君)。後年道長の子を懐妊し出産時、子とともに亡くなるんだけどそこはやらないだろうね。

  • 内裏。主上と道長。この殿上の間のシーンだけはかたくなに御簾越しw
    出た!!!ここでまひろの話。だから主上に会わせたと。
    創作ネタに主上や定子様を巻き込まないでほしいわ…。
    この後で申文の山から為時のものを探し出し、唐突に叙爵(従五位下)。
    次回相関図に源国盛がいるので、例の淡路守→越前守の件をやるみたい。
    これは「身贔屓人事」じゃないの?道隆と何が違う?

  • 伊周、一条殿に向かうも門前に立派な牛車が停まっているのを見て二条邸に引き返す。いや、あれ目立ちすぎじゃない?w(松明のすぐ目の前)お忍び用の牛車使いそうなものだけど。
    一人酒盛りしていた隆家に痛いところを突かれ悔し泣きww 泣くか??
    前回のあのキレ伊周なら、女に他に男がいたとわかったらその女を責めそうだし、家でやけ酒飲んで弟に泣き言なんて言う?
    (本来の伊周のイメージなら泣く方がしっくりくるけど)
    隆家の「泣いたってしょうがないだろ」「カ〜ッ…情けないな」字幕で見るとなんか笑うわw

  • 懲らしめてやろうと二人で一条殿に向かう。出てきた人間に弓を放つ。脅かすだけだったがそれはなんと花山院だった!《つづく》
    1月の割にあまり寒そうな描写なかったな?
    この時のBGMも大げさで(わざとだろうけど)古くさい演出だったな。
    今回の演出の人(黛りんたろう氏)ってあの明子の呪詛の時の人か。


【今日のソウルメイト】
上に書いたので略。
まぁなんていうか、二人の恋愛パートは二人だけのシーンでやってもらえませんかという感じ。例の廃屋とかでね。
主上に褒めさせるとか定子様に会わせるとかそういうのは勘弁。


第20回予告

ガイド本という防護壁がない状況でのこの予告は不穏…。
え。まひろは「越前守の方が適任だと考え…」?
またどっかに直訴するの?まさかまた主上を巻き込むんじゃないだろうね!?
説話類には確かに主上が為時の漢詩に感動して〜って話はあるけど、それをどういう荒技で「まひろは」に繋げてくるんだろう。
まさかその漢詩を作ったのが実はまひろだったってことにする気か??
あと予告のラスト、定子様の緊迫した場面とは思えないコントみたいなカットあったな…。
詮子、呪詛(冤罪の疑い)もありそう。

「内裏を出ることを命じられる。絶望のふちに立った定子は…」の続きはたぶん「髪を下ろした」なんだろうな。刀を振り回すシーンがあったし。
なんで髪を下す場面があんな大立ち回りになるんだ?
思い詰めた先なんだからもっと静かな場面にしないもの?
どうも感情の解釈、描写が合わないんだよなぁ。
内裏を出るのを「命じられる」って主上に??そんなことある??
▼実際の定子様の長徳2年2月〜の動きはこんなだった。
(6月の二条北宮焼亡以降、翌長徳3年6月22日の職曹司参入の記事まで定子御在所の記録なし)

2/25 凝華舎(梅壺)から職曹司へ退出
3/4 二条北宮(里内裏)に遷御(一条の綸旨)
3/5〜4/24の間のいつか 内裏に一時的に再参入?(krmt先生は12/16の脩子内親王誕生から逆算してこの時期懐妊ではとの説※)
④ 遅くとも4/24日までには退出し二条北宮へ
4/25〜28 検非違使 惟宗允亮、伊周が定子御在所において催促に従わずと奏上 
5/1 検非違使による強制捜査(定子出家)
6/8 定子御在所二条北宮焼亡。祖父高階成忠宅→高階明順邸邸(小二条邸)へ移御。
12/16 脩子内親王誕生(小二条邸で?)

※荻谷朴先生は「枕草子解環」で小右記の10月の記述に「今月御産期に当たる」という記述があることから、2/25の職曹司への退出直前の懐妊。この後の様々なストレスの影響で出産が1ヵ月ほども遅れたとする(それが幸いし、早世した敦康親王・媄子内親王と比べて54歳まで生きられたのではとしている)。

ドラマでは①は省略でいきなり②、⑤⑥だろうな。
⑦の二条北宮の火事もなかったことにして(高階一族が出てないので小二条邸移御もなし)そこでの出産にするのかな。
そもそも懐妊にいつ気づくことにするんだろうか。
ちなみにKrmt先生が妊娠期間12カ月説ではないのは下記理由(『一条天皇』より)。

『日本紀略』は、「『出家の後』と云々。『懐孕かいよう十二ヶ月」と云々」という二つの噂を注記している。前者は、定子が出家の後に出産したことを非難したのものであろうし、後者は、いまだ伊周たちが罪を確定されておらず、定子が内裏にいた二月に懐妊したという、何者かの主張が原史料になっているのであろう。

枕草子ネタをことごとくスルーするのに御帳台シーンは入れてきたのすごく「らしい」気がした。なんかそういうの好きそうだもんな。
あれ自体は枕草子ではまったく不快感ないんだけど、中関白家の全盛エピとして描かず、よりによってまひろが来た時のシーンにしてるのが嫌な感じ。
その後の伊周発言に対して「疲れた〜」ってセリフも「そりゃ疲れるよねww」ってツッコミ出るのを期待してウケ狙いで入れたように邪推してしまう。下世話。

今さらだけど、このドラマの全体のトーンがどうもよくわからない。
変なところでコメディっぽいかと思えば、やけにねっとりのラブシーンがあったり、金切り声で騒いでみたり、統一感がない。シーン毎に雰囲気がバラバラっていうのかな。ブツブツ切れる感じで繋がらない。いいドラマって同じトーンの濃淡でまとまってる気がするんだけど、これは全く違う色がつぎはぎされてるイメージ。

後編ガイドの発売を、前半のキーポイントになる「長徳の変」を描く2回放送分の後にしたのは意図的?だとしたら嫌らしいやり口だなw

最後に次回相関図も一応。


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