普通
私と一緒にいても楽しくない。私と一緒にいても幸せになれない。私みたいな価値のない人間のことを気にかけてくれるなんてそれはあなたの時間がもったいない。
私は「変わっている」と言われることがよくある。そりゃ私だって普通になりたいし、自分が変わっていることも理解しているつもりだ。普通って何だろう。集団でいる時に目立たないこと?違うんだよな。根本的な感覚みたいなものが私は他の人とズレてる。もっと気遣いができるようになりたい。ズレを補正するためには何ができるだろうか。いつか普通になれる日が来ることを祈るばかり。あぁ、こういうところか。他力本願で受け身なところがよくないんだ。
ありがたいことに私のことを優しいと言ってくれる人がたくさんいる。でも自分ではそうは思わない。優しくなんてない。心からの優しさではないのかもしれない。見返りを求めているのかもしれない。見返りというか、私が人に優しくしているのであればおそらく、優しくしたらいつかいいことがあるでしょうって思ってるのかな。人の話を聞くなんて当たり前だもん。それも落ち込んでるようであれば私はいくらでも付き合う。人に話すことでその人の痛みとかモヤモヤが軽くなったらいいなと思いながら。人の痛みに目を向けていたら、自分自身の痛みを忘れる。この人はこんなに悩んでいて、深く考えていて、気を遣いすぎていて…なんて考えていたら自分はなんてちっぽけな人間なんだと思う。まだまだ頑張れていない。そう思って自分の悩みに蓋をして、気づかないうちに限界を迎えて爆発してしまう。よくあることだ。人よりも頑張れていないのに悩んでいるだなんて私はなんて甘ったるい人間なんだろう。もっともっと頑張らないと。
逃げることは悪いことじゃない。あえて挑戦することも悪いことじゃない。自分が楽になれるように生きることの何が悪い。わざわざ辛い思いをしたいなんて人はいないでしょう?だから、無理だと思ったら逃げてもいいんだって。人には簡単に言えるけど、自分は逃げるのは苦手だ。楽に生きたいとずっと願っているけれど、実際楽に生きたら生きたで罪悪感が生まれる。生きるって難しい。逃げた先でも得られるものはある。限界だって思ったら少しでもいいから休憩をしよう。その前に限界だって気づくことから始めないといけないな。
最近noteで思ってることを書くことに夢中になっている気がする。電車の中ではいつも何か書いている。取り止めのない思いを言語化して、人に読んでもらうことの面白さに気づいてしまった。人の記事を読むのも楽しい。自分にはない視点から物事を捉えていて、それを元に自分も思っていることを書くってことがよくある。そう思うと、たくさんの人に助けてもらっているのを実感する。顔も見たことない、名前も知らないこれを読んでいるあなたに感謝しています。