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濁点(2)

 私がコインランドリーを利用するのは労力と時間の削減のため。それに、ランドリーのガス式乾燥機は家庭用のものより断然仕上がりがいい。時間が経ってもふわふわ温かなままのバスタオルで体を拭くと、水気をよく吸収してくれる気もするから、ドライヤーの時間だって短縮できているはずだ。

 乾燥機を回しているあいだにスーパーまで買い物へ行く。そうめんは暑い夏に涼しさを与えてくれるから週に二度ほど食べている。しいたけ、錦糸卵、ネギ、ハム、トマトなどの具材をその時々で変え、飽きの来ないように工夫した。目的の商品をすべてかごに入れたあとは、のんびりと店内を回りながら、このお菓子は昨日よりも高くなっているなとか、こんな新商品が出たんだなとか、あいつは万引きしそうだなとか考えてみたり。毎日のように来ていると、店の事情も分かったような気になる。

 頃合い、洗濯物の回収に向かう。そうして帰宅すると、母はだいたいスマホでパズルゲームに夢中になっているか、付けっぱなしのテレビでワイドショーを見ている。「見てないなら消しなよ」と言っても「見てるから」の一点張りだった。

 ランドリーバッグを床に置き、買い物袋から品物を取り出す。

「しいたけと玉子とハム入れるね」と告げてさっそく昼食の支度にとりかかった。

「明日、金沢行ってくるから」

「また?」と鍋に水を入れながら返す。

「そう。もういっそ住みたいくらい」

「この前は倉敷に住みたいって言ってたくせに」

「あら、そうだったかしら?」

 母はお気楽にとぼけて見せた。

 行きたいなら好きなだけ旅行に行けばいいと思う。私にとめる理由はない。

 母は旅行が趣味だけれど、私は完全にインドアの人間なので、映画を見るか、本を読むかくらいしかしていない。考える必要のない単純な映画を好み、本なら誰かの詩集をいつも手元に置いている。深く考えずに済む、比喩すらもあまりない簡素な詩が好きだった。

 支度を終えてテーブルに並べると、母はリビングのソファから腰を上げてやって来る。少しふらついたらしい。歩行以外で見せる緩慢な動きは老いを如実に感じさせもした。

 あと少しの辛抱だ。

 そんなことを何度となく自分に言い聞かせてきた。

 母はお土産としてその土地で焼かれた陶磁器をよく買ってきたから、食卓を彩るのに不足はない。そうめんは花模様の描かれた磁器に、水を切って弧を描くようそれぞれ盛り付けた。錦糸卵、しいたけの甘辛煮、短冊切りにしたハムを別の皿へと小盛りして、好きなように取ってつゆに浸ける。

「いつもありがとうね」

 いただきますの前に母はいつもそう言う。家事は生きることの根幹にあるものだから、感謝されてもべつになんとも思わない。当たり前のことだし、母がずっとやってきてくれてきたことでもあるから。

 働いてお金を稼ぐこともちろん大事だけれど、家事はそうだ、それだけで色々なものをちゃんと作り出している。だから、最後の最後に生き残るのは、働かない私たちのほうだ。

 生姜のチューブを、左手に持つガラス製のめん猪口へぎゅっと絞り、お行儀悪く箸でかちゃかちゃとかき混ぜる。黄色い雪が茶色のつゆに吹雪いて、きれいでもなんでもないのに、ふと侘しくなった。もちろん、そうめんを食べるたびにそんなことを思っているわけではなくて、たぶん、きっと、テレビが笑うからだ。でも、生活とはどこも似たようなものなんだろう。あらゆる瞬間に侘しさが入り込んでくる余地がある。私は母と話したかった。

「テレビは消してよね」

「あら、ごめんなさい」

 私が子供だったころは、食事中にテレビを見てはいけない、と母が躾けてきたくせに、今では逆転してしまっている。テレビを消すと、とたんに部屋が静かになってしまうからいやだという人もいるけれど、私は一人ではないのだから会話を楽しみたい。一人客の多い食堂ならいざ知らず、複数人で利用するレストランに、テレビが置かれてあるのを見たことはなかった。

「金沢のどこに行くの?」

「さあどこかしら。ついて行くだけだからねえ」

「日帰り?」

「まだ決めてないみたい」

「一泊くらいしてゆっくり楽しんでくればいいのに」

「それはそれでけっこう面倒なのよねえ」

「住みたいとか泊まるのは面倒とか、ずいぶんと気まぐれね」

「このそうめん、香りもいいし、とってもおいしいわ」

 こういった、どうということの会話でも十分だ。私はちゃんと母を見ている。

 食べ終えると母はさっそくテレビをつけてソファにくつろぎ、スマホをいじり始める。なにもない日はずっとこんな感じだった。

 食後のコーヒーを入れながら、このあとの予定を組む。洗濯物をたたんでからはお風呂の掃除、洗面台の掃除、トイレの掃除――。たくさん掃除すればちょうど良い時間になるだろう。そしたら母に食べたい夕飯を聞き、また買い物へ行く。明日も仕事は休むけれど、母がいないなら少し羽は伸ばせそうだ。と、派遣会社に欠勤の連絡を入れていなかったことを思い出した。けれどもまあ、明日まとめて伝えればいいか。優先順位はずいぶんと低いままだった。

 父には本当に感謝している。もし満足できるほどの遺産がなければ、生活は見る間に困窮したはずだから。定職に就き、昔のように働き続けなければならない。私は結局なにも生みだしはしなかった。社会貢献? 単なる労働でも間接的には社会貢献と呼べるかもしれない。でも、そんな言葉は現代の奴隷として手なずけるための、欺瞞の常套句だ。もしかすると、私は、結婚に向いているんじゃないかしら、と今更ながらそんな気がした。

 でも、結婚願望はない。小さいころは憧れたこともあったけれど、今はもう、なるようにしかならないと諦めている。気になった男性はことごとく周りに取られるか、しばらくして既婚者と知れるかの二パターンばかり。だからと言って卑屈にはならなかったし、誰かを逆恨みすることもなかった。

 怨恨はもっと身近にあるものだから。



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