見出し画像

仕事ができるできないとは

私の妹が産休で実家に帰ってきているので、生活の中に今までいなかった妹がまた1人増えると違う生活リズムになっていてそれもまた新鮮。

私の2番目の妹は料理が得意で、栄養士の資格を短大で取った。その後で仕事をしながらも管理栄養士の資格を取っている努力家だ。

彼女は仕事ができる、というよりかは気配りしながら自分に与えられた仕事以上のことができるタイプの人間だ。

彼女の職場で仕事ができない、話が通じない子がいることを聞いて、アパレルの仕事をしていた時の自分と通ずるところがあるなと感じた。

できないわけではないけれど何回も同じミスを繰り返してしまうのも障害があるかもと決めつけるのは簡単だけれども、仕事を一生懸命にやっているつもりになっているだけかもしれない。正しさってなんだろうって時々考えるけれど、仕事ができることはいいことなのか。

仕事をできると認識されるといいように利用されるだけの部分があると今のレジ打ちの仕事をしていて思うことはある。なぜなら、同じ時給でも忙しい日にレジの時間が長いことが大半になっているからだ。

ミスがなくて、仕事がスムーズにできるのは重宝されるかもしれないが人より業務量が多いことにはちょっと疑問を持つ。

上司からしたら仕事を回せる方が楽だし、自分も楽なのはわかるけれど仕事量の違いが人と比べた時に明らかにあるとそれはいかがなものかと思う。不満はそれ以外にあったとしても、給料が上がるっていう目に見えてわかるようなバロメーターもない上に同じ時給の人たちと同じ時間働くことに対しての見返りを求めるのはおかしいことなのか。

仕事をする上で向き、不向き、センスが問われるよねって妹とも話していて結論がでた。周りがカバーしなければ回らない仕事をするのも学びなのかもしれないけれど、仕事ないようによってはそれが起こらないことの方がお互いのストレスにならなくて済むのではないのか。

私は今のドラックストアでの仕事は自分が機械になったつもりで無心でスピーディに処理することを心がけていて、それが苦ではないし仕事として評価されていることがわかっているからこそ何も上司にも言っていないが最近すごく疲れることが増えた。

同じ時給で忙しくない方が断然楽だからだ。
楽な方に逃げるのは簡単だけれど、バランスって大事でしょ。自分だけがって思ってたらどんどん働くモチベーションが下がっちゃうわけで、どこかでその会社と見切りをつけるわけだし。

今のところはやめないでいるけれど、これは交渉するチャンスかもしれない。新人が増えたので、自分だけしかいなかった時間帯のパートが増えることで負担が少し減ることに希望が持てたから。

新人教育に対しても言いたいことは山ほどあるけれど、現場で同じようにレジ業務を2時間、3時間やっているわけではないからわかんないんだろうなと思いつつ新人教育でできることはしていきたい。

1冊目のKindle出版で書いていた仕事に対するモチベーションと今と比べると全然違う部分もあるし、大切にしている部分は変わってない部分もあるけれど人と環境は選べるから色々考えて行こうと思います!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?