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思いっきりクビを宣告されたあの時の俺へ

拝啓
どうも、人間ドックで脂肪肝になりかけてますよって言われた47歳の俺です。でもやっぱり豚カツ食べたい。

あの時の俺は21歳。人生で一番の転機を迎えた時だね。

小さい頃から夢見た目標に向かって、その第1段階を突破してその世界に飛び込んで数年。
その目標を達成できなければ人にあらず、みたいな教育をずっと受け続けてきた。だから脱落することにすごい恐怖があった。
自分だけはそうなりたくない、この苦しい課程を乗り越えて夢を叶えるんだ、同期のみんなと必ず夢を叶えるんだと頑張ってた。
途中で色んな理由で脱落する同期、夏休み明けで帰ってこなかった同期もいた。
同じ年の友人たちは大学に行ってキャンパスライフを謳歌している。かたや制限だらけの生活でその夢を叶えるためだけに頑張ってた19、20歳の頃。
本当に辛かったけど、今の自分の人生の礎となる時期だった。

でも、俺はその夢を叶えることができなかった。脱落した。

クビを宣告された会議のことは今でも覚えている。
薄暗い会議室の真ん中に座らされ、自分を囲むようにコの字に偉い人たちが座っている。
その会議自体は最終的な儀式で、形式上開催しなければならないものであり、その会議の前に結果は決まっている。
俺がその課程からはクビになることは決まっていて、他の職種を選んでその組織に残るか、組織自体を辞めてしまうかの選択を迫られた。

21歳でクビになった。
何の言い訳もない。誰のせいでもない。理不尽なことは何もない。
ただただ、自分が及ばなかっただけ
夢破れた。
途方に暮れるってまさにあの時のことだ。

俺は組織に残って別の職種に移ることを選んだね。
その時、俺はいつかその組織を辞めることは決めた。
でも、辞めるにしても俺には何もない。とりあえず働いて、仕事しながら大学いって、そこから次の道を見つけようと思った。

次の職種と異動先が決まり、その地を離れる時、同期やお世話になった人たちが見送ってくれた。
クビになったからって恨んだりとか、誰かを妬んだりする気持ちは不思議となかった。あったのは不甲斐ない自分への思いと、必ず何者かになってやるという強い気持ちだけ。
見送ってくれた同期は本当に心の底から俺の事を心配してくれた、今後の身を案じてくれたと思う。と同時に俺の姿を見て、ああなってはならないとみんな自分自身に言い聞かせてたんだと思う。
本当に厳しい世界だった。
この同期のみんなと、また堂々と会えるように俺は俺の道を行く。
見送ってくれる同期を見ながら、そう強く思ったことを覚えている。

夢を叶えた同期のみんなは、今となっては俺の誇り。
素直にカッコイイと思える。夢を叶えたみんなが本当に羨ましい。素直にそう思える。

あの時の俺。
本当に苦しかったし、これから俺はどうなるんだろうって文字通り途方に暮れたね。
でも人生ってなんとかなるもんで、47歳になった今もこうして元気に生きているよ。相変わらず色んな出来事あるけどね。人生は山あり 谷ありってまさに実感してるよ。
あの時、いじけることなく
「何者かになりたい」
と強く思ったその気持のおかげで、その時その時で次のStepを見つけ出し、その後10社以上転職することになるよ。
何者かになったかと言われると、今でも堂々と答えられない自分がいるけど、その答えは死ぬまでわからないかもね。
40代になって、所謂ミドルエイジ・クライシスみたいなものにもぶつかったよ。その話はまた今度だね。

こうしてなんとか今もサバイブしてる。
「あの時、クビになったけどそれもいい経験だった」
と思えるのは、今なんとか生き延びてるから。今が悪ければ、あの時の経験もそう思えない。
結局、今を頑張るしかない。過去の評価は今の頑張りで決まるし、未来は今の積み重ねの結果でしかない。変えられるのは今その瞬間しかない。

人間万事塞翁が馬
人事を尽くして天命を待つ
自分の身に起きていることはすべて必然

やることやって、後はお祈りするぐらいでいいんだよ。
どうにかなることもあればどうにもならないこともある。
でも、一つだけ言えるのは、絶対にいじけてはならない、誰かのせいにしてはいけない。
いじけそうになった、誰かのせいにしたいと思った時こそ、諄いほどに自問自答すること、自分の中の自分と向き合うこと。
そうすれば必ず次の一歩が見えてくるよ。

じゃあな、頑張れよ、あの時の俺。東京に出ていくのにそのダサい格好はだめだぞ。
敬具







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