恋愛ままならないよ、ママにはなれない

母と話していておおっと思ったんだけど、恋愛するためには相手に対する尊敬が必要で、その尊敬は'自分とは違う'から始まるって言われて、まさしくそれを前に自分でも考えていて、おそらく一般論ではあるんだろうけど、それでも数多くある恋愛に対する理論の中でその言葉がまっすぐ出てくるところに親子だなぁと感じたけど、私は母ほど恋と愛をうまく相手できるほどの才能だか器だか技術だか心だかは持ち合わせていないなぁと思った。

それでも恋愛ってめちゃくちゃ面白いよなぁと思う、とても客観的にとても自己中心的に面白いよなぁって思う、別に恋に恋してワクワクウキウキとかじゃなくて、例えば恋愛状態にある自分の行動だとか、他人をストーキングしてしまうSNSの弊害だとか、はたして自分みたいなタイプとうまくいく相手とはどんな人間かとか、身体と心は繋がっているのかとかとか、

要するに自己中心的な議論のしようがいくらでもあって、でもそれだけで終わっては何も発展しない成長しない分野だからこそジコチューで終わらせずにどうにか話を一般化までもっていって、他人(恋愛相手)が自分にどうあってほしいかとかどうアプローチできるのかとかそもそも自分が相手にとってどんな存在なのかとかとか、周りに対する自分の振る舞いを考えることもできて、
見事なまでに自分の内面を外面に繋げていける(努力をする)分野なんだよなぁ、相手に出来るだけ正確に自分をわかってもらいたくて、自分も相手のことを出来るだけわかりたくて、その中庸を探したくて、社会を学んでいくことになって、なんて素晴らしいシステムだろう、さすが繁殖機能に付随する分野なだけある。

もちろんこんな冷静に言葉をまとめ出せるのは実は(少なくとも私は)恋愛真っ只中の瞬間ではなく散った瞬間なのだけれど(要するに絶賛恋愛にご無縁中)、それでもときめいて慌ただしく実地訓練で学びまくってミスして気付かず進めてほつれて終わってしまった後に、しっかりと心に残るものがあるんだよな、この感情は、自分をさらに語っていくためのものをちゃんと実践中の体と脳みそに刻んでおいてくれて、

終わってからでも再現してうぅ〜クソ〜泣きてぇ〜ってなりながら、でも少し経ってちょっと笑いつつ相手はアレがダメだった私はコレが好きだとわかったコーするとアーでソーするとコーで、なんて風な話をどっかの誰かと騒ぎながら議論できて、

決してイタリア人にもフランス人にもなるつもりはないし、おそらく彼らの恋愛観とはそもそもベクトル違いな部分があると思うけど(特に性欲というジャンル)、でも私もある意味恋愛が好きなんだろうな、恋愛によって自分を考え恋愛によって相手を思いやり恋愛によって友と語り合う、辛くて割りに合わなくて私が最も苦手なこの分野が、嫌いにはなれないよ!

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