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適性検査と分人と

鍵垢からの引RTが怖くてそっとツイ消しする。
どうも 荒木です。

最近、長年憧れていたバイクの免許を取るため教習所に通い始めた。
そこで「適性検査」というものを受けるのだけど、簡単に言えば自分が運転に向いてるかどうかを判断する簡単な心理テストのようなもので、教習所側が要注意人物(追加料金のカモ候補)を炙り出すための上手いシステムである。
例の如く私も検査を受け、数時間待ったのちに出た結果によると私は「社会的な成熟度は高く、空気も読めて人当たりはいいし自己中心性も低い。しかし、実際の精神は不健康で常に情緒不安定、感情の起伏が激しく非常に落ち込みやすい」というなかなかに難しい人間らしい。
一見社会性は普通にあるのに、実は物凄く不安定な精神を抱えてるという一番関わりたくないタイプの人間性が浮き彫りになった。

とはいえこの結果には結構心当たりがある。

以前 平野啓一郎氏の「私とは何か」という本を読んだ。
本を要約すると「人間は『個人』が最小の単位とされているが、SNSの発達やコミュニティの多様化が進む現代においては場面場面で適切な顔の使い分けが必要で、この使い分けられた顔、すなわち『分人』を自認し合って生きづらいこの社会を潜り抜けていこう」みたいな感じだった気がする。
私はこの内容がかなり腑に落ちて、というのも、私は私が属する別々のコミュニティの人間が混ざり合う場(高校時代の友人×仕事の同僚とか)において、両者に「荒木ってこんな人間だったの?」と驚かれることが多い。
どっちが本当の自分の性かなんて考えて振る舞っている訳ではないし、いわば生理現象みたいなものなのでごく自然なことなので特段それを苦労だと思ったことはない。
その場その場で求められる人格を使い分けるのも一つのコミュ力だと思うし、上手く社会を渡る処世術でもある。
とはいえ、これにはそこそこ体力を費やすので1人になった途端ドッと疲れがやってくる。毎度毎度しばらく人間は遠慮しておこうとさえ思う。

この「疲れている」状態こそが、適性検査の結果にある「不健康な精神」に該当するのかなと思ったり。逆に「人格を使い分けている」状態が「社会的な成熟度が高い」に該当するのかなと思ったり。
いや、「不健康な精神」だから人と会ったら疲れるのか。「社会的な成熟度が高い」から人格を使い分けられるのか。

というかそもそも分人同士の性質にそこまで大差がない人なんているのかしら。
1個人が持つ「性格」のキャパは多分そこまで狭くない。ある程度の適応性は持っていてもこの時代のコミュニティの多様化には流石に耐えられなかったからこそ人は分人化するのだと思う。
ならば分人同士の性質に大きな差があっても何ら疑問はない。

ふむ。 
結局のところ、人前であからさまに情緒不安定にならなければ良いし、感情を上手くコントロールすれば良いだけの話じゃないのか(苦手)。

適性検査にはあまり嬉しくはない人間性を炙り出されてしまったものの、正直なところは「まあ上手くバランス取れてるつもりだからいっか」と開き直った荒木であった。やっぱり私の社会性は、高い。

ともかく、適性検査ってものは案外侮ってはいけない。
しいたけ占いより当たると思う。


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