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「求められる」側は強く、「求める」側は弱い

 まず、編集者時代のことを書く。

 楽しかったのは平社員だった頃だ。

 会議で企画案をプレゼンし、採用されると雑誌の台割(頁ごとの内容が書かれたエクセル表みたいなもの)に自分の企画と名前が書き込まれる。

 たくさん企画が通ると嬉しいが、反面たくさんの頁を請け負うことは仕事量が増えることとイコールであったりする。給料は変わらないわけだから、サラリーマンのコストパフォーマンスという点でいえば割にあわないといえなくもない――かもしれない。

 でも、企画が通らないスタッフには、新刊本のPR頁だとか、懸賞プレゼント頁だとか、「誰かがやらなきゃいけないわけだけど、まあ誰がやってもよいような頁」が割り当てられちゃうから、自分の企画で自分のキャパを埋めるほうがずっと楽しいし、肩で風をきって歩くことができた。

 さて、先にも書いたように、企画が通ると、企画のタイトルと自分の名前が台割に書き込まれるのだが、実際にその頁をどう構成するかは企画者に一任されているのであった。上司も先輩も何も教えてくれない。新人時代には、頁のラフ構成を見せてダメ出しをしてもらえていたが、二年目ともなると、誰も干渉してこないし、訊いても答えを、まあ教えてくれなかったりもする。先輩も自らの頁で忙しいわけだ。

 つまり僕らは、毎号、新しく、「白い頁」を得ていた。何をしてもいい自由なフィールドを、重い責任とともに獲得していたのである。

「締め切りまでに、よい原稿を入稿しさえすれば万事オーケー」とされていて、経費がいくら掛かろうが、どんな人脈に頼ろうが、うるさく言われたりはしなかった。

「締め切り厳守」と「面白さの担保」、決まりはそれだけ。あとは自由。そういうことだった。

 毎号毎号、今までにない新しい何かを、白い頁にぶちまけた。ぶちまけ続けた。

『僕らの夢コンテスト』という企画で、大賞に輝いた読者の夢をかなえるべく、あるときは、香港で開催された『ミニ四駆世界選手権』に少年をお連れしたり、またあるときは、「天文博士になりたい」という夢の実現をお手伝いすべく、読者を山奥の天文台にお連れしたりしていたのだが、この天文台取材のとき、「頑固じじい」と心の中で形容したくなるほどにイカめしげな台長さんが、僕に向かって言った。

「あんたらは毎回新しいことを考えなきゃならんのだからせわしいこったね。わしは毎日、毎月、毎年、おんなじようなことをただ繰り返しているだけだけど……」

 だなんてことを、しみじみとした口調で語ってくれちゃって、地球に最接近している火星を巨大な望遠鏡で見詰めながら僕は、(ふーむ、なるほど、宇宙の時間の流れと、僕ら編集者の時間の流れは、なんというか、ずいぶんと違うんだなあ)と改めて実感したりもした。

 大宇宙や大自然の悠々とした歩みとは対照的に僕らは、冬眠前のシマリスみたいにちょろちょろと、落ち着きなくあちこちを走り回っていたわけだ。

 盆暮れ正月もない、ずいぶんとワーカホリックな日々だったけど、控えめに言って、ものすごく楽しかった。

 のちに編集長になり、現場を離れ、部数や売上や、採算や経費やギャラの管理や、政治的な対外交渉やらが主な仕事となってくると、当然のことながら現場の若手を羨ましく感じた。

 でも、そんなことを悟られては現場の士気が下がっちゃうから、気持ちは隠し、スタッフのみんなに「よき働き」を「求めた」。

 現場は、文句だって言う(かつては僕も言っていた)。理想を語って現実を蔑んだりもする(かつては僕もそうしていた)。ときにはサボタージュだってかましてくる(かつては僕もやらかしてたんだろうな)。

 そんなスタッフを、褒めたり、励ましたり、脅したり、騙したりしながら、売上のために貢献してもらうのが管理者の仕事であった。

 編集長は横暴だよなあ、とか、若き日の僕は感じていたけど、立場が逆になってから、はっきりとわかった。

「求められる」側は強く、「求める」側は弱い。

 バックパック程度にこじんまりとまとめられた責任を背負い、自由の旗を誇らしく掲げて進軍する現場のスタッフたち。その勇姿に、情けないけど嫉妬しちゃうようなスケールの小さな管理者が僕であった。

 最初は、プレイングマネジャーを標榜して、現場の仕事を死守し続けてもいたのだが、そのうち、大人の、いわば政治的な、僕的にいうなら、重くて、気持ちの悪い……、思ってもいないことを言ったり、笑いたくもないのに笑ったりする類いの仕事が増えてきて、現場でモノツクリをさせていただく時間がなくなっていった。

 ――さて、今。

 会社をやめて、サラリーマンをやめて、社会人であることもやめて、むきだしの自由を得て、何もかもが必然的に自己責任となり、笑いたいときに笑うようになった。

 で、思う。

 僕は、ほとんど誰にも、何も「求めていない」のだな、と。

 これは強い。

 インディペンデンスな状態であるわけだから。

 誰にも媚びなくていいし、誰をも騙さなくていい。

 ――逆に、「求められて」はいるだろうか?

 僕に何かを求めてくる上司はいない。

 訳あって、親兄弟にも何も求められていない。

 地域社会も、日本も、世界も、あるいは時代も、僕個人に何かを「求め」たりはしていないだろう。

 ――ただ一人、もしかしたら妻だけが、僕を「求めて」いるかもしれない(あとまあ、ぬいぐるみのがーちゃんたちも)。

がーちゃんたちにはお世話になっております!

 なるほど、と僕は思った。

 多くに何も「求められていない」のは僕の弱さだが、多くに何も「求めていない」のは僕の強さであり、その均衡した強弱の秤の、強を担保する側に、妻が、ただ一人、ちょこんと腰掛けているのだな。

 でもって、と僕は思う。

「妻を含めて他者に、何かを期待するようなことはするまい。何もしてもらえないのが0地点であり、何かしてもらえたら『ありがとう』だ」、と考えてきたのだが、どうなんだろう、人間は、誰かに「求められる」ことにより、いくらかの責任を背負いつつも、自分の価値を得ているのかもしれない。

 ならば、妻を「求めて」差し上げることが、妻の価値を担保し、妻の立場を強めてやることにもなるのかもしれないな。

 人は、人に「求められて」こその人なのかもしれない。

 誰にもなんにも求められず、この上なく純然たる「個」であり続けている昨今の僕だが、唯一僕を「求めて」くれている妻に報いるためにも、妻を「求める」べきなのかもしれない。

 期待をすることは、期待をされることと少なくとも同等にしんどいことである。

 期待をせず、期待をされないで生きることは自由なことだが、寂しくも、虚しくも、儚くもあることなのかもしれない。

 求めたり求められたり、期待したり期待されたり、そういった人間的なしがらみが苦しくて、大口径の望遠鏡や双眼鏡で星々を眺めるに至ったわけだけど、妻との関係性くらいは、人間的なしがらみにからめとられたものであってもよいのかもしれない。

 妻は僕を「求めて」くれている(本人にその気があるのか知らんけど)のだから、僕が妻を「求めなかった」ら、少なくともフェアじゃない。

 だなんて、屁理屈みたいなのをこねながら僕は、星ばかりじゃなくて、たまには妻の顔でも眺めてやろうか、と思った。

 ――以上を妻に読んで聞かせた。

 すると、妻は言った。

「よせよ」

 ――求められた途端に強くなりやがったな。

 いや、元から強いか。

 てことはすでに僕は、妻を「求めて」いたのか。

 我が家のバランスオブパワーは、しっかり、均衡していたのかもしれない。

 しんどく感じることもあるけど、限られたグラヴィティを大切に、強めたり、強められたりしながら、ささやかなしがらみを生きつつ、同時に顎を上げ、宇宙や、時や、流れを見詰めて、風に吹かれよう。

 いつか、強くもなく、弱くもない、完全なる凪の海に漕ぎ出すことになるのだから。






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