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【試し読み】挑戦的心理学のいくつかの挑戦(ロイス・ホルツマン 訳=広瀬拓海)

 私は、発達心理学者および、心理言語学者としての教育を受けた。若手研究者としての私の情熱は、どのように子ども達が言語の話し手になるのか、そして幼少期において、生涯を通じて、どのように発話と思考が相互につながっているのかを見出したいということにあった。私はこの情熱を追い求める中で、発達心理学、認知心理学、そして心理学一般の支配的な前提と方法にだんだんと不満を抱くようになった。それらは個人から始まり、発話と思考の社会性を無視し、個人の「成果」(例えば、ことば、理解力、ピアジェの発達段階)を測定する。それらはプロセス──「言語する人 languager」になるプロセス、会話をつくり出すプロセス、人々とコミュニティが発達するプロセス──を無視する。それらは、発話と思考、発達全体を、文化的な活動だと考えるのではなく、人間の内側に答えを探し求める。そんなに不満で、自分の選んだ専門のアプローチとそりが合わないとき、私は何をなすべきだったのだろうか? 私は、違った種類の心理学を望むたったひとりの人間ではなかった。私は、同じように感じている人々を探したいと思った。

 そして、私はそのようにした。およそ50年後、オルタナティブをつくり出している、あるいは強く望んでいる心理学者、ソーシャルワーカー、教育者、医師、看護師などの数はどんどん増え続けている。私達はお互いを見つけ出したのであり、今日その数は数千にもなる。まさに、まったく新しい何かが存在しているのである。

 その新しい何かとは、フォーマルな心理学ではなく、遊ぶこと、パフォーマンスすること、学ぶこと、成長することの社会‐文化的な活動を駆動させ、促進するような生livingへのアプローチである。私はこの社会‐文化的な活動が、人間の生 life にエネルギーを注ぐものだと気がついた。私は今では、自分自身を発達心理学者ではなく、発達主義者 developmentalist だと考えている。つまり、人々が学んで成長し、世界を変えるのを助ける人間だと考えているのである。私がどうやってこれを実感したのかは、主役と敵対者、励ましと攻撃、そして達成と挫折を備えた長い物語になる。それは、ソーシャル・セラピューティクスについての物語である。この物語の一部は、あなたを驚かせるかもしれない。あなたがソーシャル・セラピューティクス、イーストサイド研究所、そして/あるいはフレッド・ニューマンと私のことを聞いたことがあるとしたら、それは主に日本の仲間による私達の仕事の熱心な受け入れと普及のおかげである。このことは、アメリカにおける私達の歴史の大部分の状況とはかけ離れたものであった。

 ソーシャル・セラピューティクスは、ソーシャル・セラピーに由来している。ソーシャル・セラピーとは、1970年代の米国において、哲学者であり政治的オーガナイザーでもあるフレッド・ニューマンによって生み出された、ラディカルに人間性を与えられた心理療法のことである。それは、何十年にもわたって拡大し、遊び、パフォーマンスし、哲学的に思索し、そしてそのプロセスにおいて新しい見方や、新しい存在と関係の仕方をつくり出す人々の能力を駆動することによって、人間とコミュニティの発達および、学習をサポートし、高めるための方法論になっていった。継続した社会的‐情動的‐文化的‐知的な発達が、世界の変化にとって極めて重要だという生きた確信に根差しているがゆえに、それは(破壊的であるよりも、むしろ)発展的な社会変化のアプローチである。言い換えれば、ソーシャル・セラピューティクスは、世界の変化と私達自身の変化はひとつの同じ課題だという前提から出発するのである。

 ソーシャル・セラピューティクスが発展し、教えられ、研究されてきた場所であるイーストサイド研究所や、研究所がつくり出し、サポートしてきた全世界の発達のコミュニティは、プランなしに成長を続けている。その成長は、体系立てられても、合理的でもないものであった。実践に適用されるような理論は、存在しなかった。政治闘争、心理学、芸術と文化、そして哲学からのたくさんのインスピレーションがあった。それと同じくらい重要だったのは、既存の制度のやり方へと挑戦する組織づくりを私達とともに行うよう組織した人々からのインスピレーション、そして有害であるよりも人間性を与えるような組織とプログラムをつくり出そうと呼びかけた際の彼らの創造性と懸命な働きであった。

……(続きは、Re:mind Vol.1にてお読みいただけます)

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