見出し画像

20191013

台風がきて、どうなることかと思ったが、我が家は大丈夫だった。

台風の夜は宿泊していたDischarming manのくしこさんと、ミチカさんと、夫と大富豪をして笑ったりして、楽しむことは元気の備蓄だなと思った。
インターネット上で誰かは人の楽しさを時に、不謹慎、とするが、楽しめなくなったら人は終わりだ。
元気の備蓄がなきゃ、いざという時も動けない。

みんなが寝て、1人になってからそんなことを思った。

夜はDischarming manのライブにゆく。

初めて観たNOT WONKは、歌詞もわからないけれど観ていたらいろんな情景が思い出されて泣きそうになる。ああゆうのは、一体なんなんだろう。

コード感とか、声とか、音色とか、リズムメロディーハーモニーとか。音楽は不思議だ。

Discharming manは新生ドラムでのライブ、初めて観た。とても良かった、続けてくれること、ひたすら嬉しいなと思った。好きなバンドがなくなるのは悲しい。

「かつてないヘビーなこと どうすりゃいいの」
こんなに歓喜の歌が似合う状況が、あってはいけないけど、在っている今。
改めて、音楽は不思議だ。


そして深夜の全感覚祭へ。
とてつもない数の人たちが円山町に集っていた。ラブホ街のネオンや雑多な雰囲気がより一層に雰囲気を膨張させるがの如く、得体の知れない大きな生き物が蠢いているかのようだった。

色んなことを想った、けど、言葉のスピードは追いつかなくて、色んなライブを観に行く気にもなれなくて、私はやはり観たいDischarming manを観て、ぼーっとしていた。
同窓会かのように久しぶりの人や色んな人に会った。彼ら彼女らとはきっと、同じ血管が一本通っているんだなと感じた。

多くの、本当に多くの人を眺めながら、ライブを観るのと同じくらいの面白さもあった。


容姿や年代や性別や普段の仕事や趣味も全てごった煮になった会場は、なんだか他の大きなライブで感じるものとは明らかに雰囲気が異なり、
ボランティアの方々が上げる声と歓声とライブの漏れ音と大移動の人々の声とが全て混ざり合い、もう、ひとつでなにか、大きな、何かだった。

会場のひとつでは以前共演したことがある歌い手が大きな会場で、大勢の人の前で歌っていた。それを観て、羨ましいなと思った。けれど卑屈にはならなかった。

「今、何ができる?」

ずっとそんな問いかけがリフレインしているようなこの、大きな物体の中で、卑屈すら滑稽に思えて、わたしは、今、何ができる?

エンドロールのない、超大作、終わらない物語。たくさんの人が生きている。生きている。得体の知れないもの。時代のうねり。

私はこれから、何ができるかな。
ひとまず新曲だな、と思いながら。

活動費や制作費やコーヒー代にします。