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ありのままのじぶん

「いつかありのままの自分を愛してくれる人が現れるはず」

結論を先に書いちゃうぞ。

現在のありのままの自分が、異性に愛される自分なら現れるかも。

ありのままの自分で勝負出来るだけの努力や学びや経験や気付きがあって、愛してくれる人を、ありのまま受け容れて愛して幸せにする努力が出来るのなら現れるかも。

だらけてて学ばず経験せず気付きもないなら、愛してくれるのはせいぜいママだけじゃないのかなあ・・・

ほら、他の異性はママじゃないからな。

この世界は弱肉強食の世界だ。

どんな生物も生存競争を生き抜き、さらに競争に打ち勝って子孫を残す。

残せなければ自分の遺伝子は淘汰される。

我々が恋愛に夢中になるのは、遺伝子レベルでプログラムされている本能に突き動かされているのだから抗いようもないのだが、その目的が、より強い種を次世代に残す為だという事も厳然たる事実だ。

ついつい子供の頃からの押し付け教育で、人間は平等で公平だなんて刷り込まれて来ているが、見渡してみればどこにもそんなものはない。

共産主義も社会主義も、その理想論とは裏腹に、結局国民は腐った権力者の食いモノになって崩壊するか、その思想とはかけ離れてしまったではないか。

つまり異性を獲得するという事は、他の遺伝子と競争するという事だ。

その競争に打ち勝つことができなければ、自分という「種」は絶滅する。

まあ、それでも全体としての「人」が残ればいいのではあるが。

さて、何の努力もせず、本も読まず何も考えず、直接的な経験を怖れて動かない人間に一体どんな未来が待っているのか?

果たして異性は現れるのか?

現れたとして愛してくれるのか?

しかし救いはある。

全世界の異性に愛されなくてもいいわけだ。

たった一人、自分が愛せる人に愛されればいい。

その相手にとって、愛される自分になる努力をすればいい。

それだって簡単じゃないかもしれないが、大事なことはなんだろう?

誰かにとって、この世界で誰よりも自分を理解して受け容れてくれて、無条件に愛を注いでくれたなら、世界で一番光る存在になれる可能性はある。

現実を想像すると、ストーカーを連想してしまいそうだが、ストーカーと言うのは、自分の身勝手な気持ちだけで相手の迷惑や嫌悪を無視してつきまとう事だ。
もしも愛する相手を優先したなら、相手が嫌がる事などしないだろう。

ありのままの自分を自分が愛せればそれが答えだ。

自分が嫌う自分を愛するヤツなんかいない。 


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