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同窓会

 歩道に植えられたプラタナスは、そのほとんどの葉を辺りにまき散らしていた。クリスマスを三週間後に控えた慌ただしさの中、俺は、卒業以来二十年振り、3度目の同窓会へと向かっていた。
 高校時代から付き合いのある友人はそう多くない。それも声をかけられるのが殆どで、自分から誘うことなど滅多に無かった。それでもどういうわけかこういう時には必ず声がかかる。会場は築地にある小料理屋で、以前一度行ったことがあった。有楽町から歩いて明治座の前を通り過ぎる頃、腕時計を見ると約束の七時を僅かに過ぎている。五分ほどの遅刻だ。

− どれくらいの人数が集まるんだろう? −

 冷たい風が肌を刺し、コートの襟を立てて足早に歩けば、果たして五分ほどで会場の小料理屋に着いた。店の前で立ち止まりネクタイを直してから暖簾をくぐった。
 「お、来た来た。こっちだこっち!」悪友の中野が奥の座敷から目ざとく見つけて手招きしている。やつの屈託の無い笑顔に、こちらも思わず頬を緩めた。コートを預けて空いている席へと促され、注がれるままにビールを飲み干しながら見回すと、男女7:3ほどの割合で、二十人ほどが集まったようだ。それほど広くはない奥座敷は、もうそろそろいっぱいといったところで、中には始まって間もないと言うのに頬を赤らめているやつもいる。

「久しぶりだな、元気でやってたか?」
となりから徳利を差し出したのは、銀行に勤める山本だ。
「まあね。ところで先生がいないみたいだな?」
「いや、法事だかなんだかで都合が付かなかったらしい。」
他愛ない話をしながら、空腹に酒が滲みて行くのがわかる。一時間も経った頃には座は乱れ始めて、バラバラになって思い出話に花を咲かせている。
 
 座敷の反対側で騒いでいる数人の女達の中に、彼女、澤田佳子は居た。
高校の二年、三年と同じクラスだった彼女は、決して目立つタイプではなかったが、思春期の少年が想いを寄せるには十分に美しかった。けれども何一つ積極的な行動をとることも出来ず、そのまま卒業を迎えた。そして彼女が同窓会に顔を出すのは初めてだ。あの頃時々送られる熱っぽい視線に、彼女は気付いていたのだろうか?
 彼女の表情に当時の面影を見て、凍っていた感情がこみ上げて来るのを感じて苦笑した。

− 結婚したのかな? −

 この年齢になると、男女を問わず、見た目と年齢とのズレが少なからず生じてくる。贔屓目に見ても彼女はずいぶん若く見えた。ただ印象は高校生の頃とは何かが違う。もっとも二十年も経っているんだから、それがあたりまえだろう。あれこれ考えてもしかたがない。もう思春期の子供じゃないんだから。

 小料理屋を出て、山本が手配した二次会の会場へと歩く。何でも知り合いのスナックを安く使えるらしい。二次会参加は十人で、半分が残り、その中には佳子もいた。
 店に着いてドアを開けると、こじんまりした店内は、我々が入るとちょうど良いくらいのスペースで、手回しよくボックスのテーブルにはボトルと氷などが用意されていた。店には五十歳くらいの物腰の柔らかいママがひとり、にこやかに我々を迎えてくれた。
 適当に男女交互に座ると、佳子と隣り合わせになった。赤いニットのカットソーから、胸元がのぞいていて、かすかな甘い香水が鼻腔をくすぐる。彼女からは大人の女が匂い立っていた。ほんの少し動悸が早くなるのを感じる。

 水割りが行き渡り、乾杯が済むと彼女が話かけて来た。

「久保田君、卒業以来だよね? 私のこと覚えてる?」

「そりゃ、・・・覚えてるさ。」あわてて言葉を飲み込んだ。

「時々あたしのこと見ていてくれたでしょ?」

「あ? うん、見てたよ。きれいだった。いや、今はもっときれいだよね。」

「もう若くないもの。お化粧がうまくなったのよ。」

 そう言うと彼女は慣れた手つきで、細身のタバコに火をつけた。
タバコを挟んだ指は、手入れの行き届いた少し長い爪に淡い色のマニキュア。ライターは銀のカルティエか。同級生だった彼女とのギャップが大きくて、自分の中でうまく繋がらない。
 彼女は俺が想いを寄せていたことを知っていた。しかし、全くの別人を見ているような、奇妙な違和感に戸惑いながら水割りのグラスを空けた。すると、彼女が空いたグラスをすっと引き寄せて、水割りを作って私の前に置いた。どうやら彼女は水商売の世界にいるらしいことがようやくわかった。感じていた違和感はそのせいだろう。二十年は人を変えるには十分すぎる時間だ。俺だって当時とはずいぶん変わっただろう。急に肩の力が抜けてリラックス出来たような気がして、お開きになるまでは、屈託なく思い出話に興じることが出来た。

 店を出ると、明日は日曜と言うこともあって、更にハシゴする連中もいるようだが、俺はそれぞれに再会を約束して、タクシーを探しに通りへ向かった。ちょっと遅れて佳子が後ろから追いかけて来た。

「久保田君、初台って言っていたよね? 私光が丘なんだけど一緒に乗って行っていい?」

 特に断る理由はなかったので、タクシーを拾うと一緒に乗り込んだ。銀座のランプから首都高速に乗り、環状線から池袋線へと向かった。
 車の中で隣り合うと、妙な緊張感が蘇ってきた。少し混んだ首都高速から車外のネオンを見ていると、彼女が口を開いた。

「さっき言ったじゃない? 久保田君が見ているの知っていたって。」

「あぁ、うん。」

「私も久保田君に見られているの知ってたし、少し意識してたわよ。だけど何も言ってくれなかったのよね。」

「あの頃ね、澤田さんのこと好きだったよ。ほんと綺麗だったしさ・・・・ 」

 それ以上は言葉が続かなかった。あの時は、一方的に彼女を思うだけで精一杯だったから・・・・

 彼女は続けた。

「あたし今は池袋で小さなお店やってるのよ。本当は今日みたいな日は休んじゃいけないんだけど、久保田君が来るって聞いて会ってみたかったんだ。」

「そうなんだ? で? 会ってみてどうだった?」

「そうね。あのとき感じた視線は感じなかったわね。」

そう言って彼女は微笑んだ。

 もう一軒寄る時間はある。タクシーは渋滞を抜けて池袋線に入り、護国寺を過ぎて池袋に近づいている。しかしやはり誘うことは出来なかった。高校生の頃と変わらず、行動することは出来なかった。彼女は以前よりずっと魅力的だったけれど・・・。
 気後れしているわけではない。誘えば断られることも無い空気も感じていたが、なにも言葉にできないうちに、タクシーは池袋のインターチェンジをパスして走り続けた。

 初台のインターで首都高速を降りて、しばらく走った先の団地の前でタクシーを止めた。車を降り際に、運転手に光が丘までもう一人よろしくと告げ、彼女に1万円札を渡そうとすると、彼女はそれをやんわりと押し止めて、名刺を取り出した。

「タクシー代はいいから、今度来られたらお店に来てね。安いお店だし、久保田君ならサービスね。」

「じゃあ、またそのうちに・・・おやすみ。」

 俺は曖昧に言葉を濁して、歩道から彼女を見送った。タクシーのドアが閉じて走り出し、そのテールランプを見送ると、人気の無い歩道を薄暗い団地へと歩き始めた。

 ろくに見もせず、彼女の名刺を無造作にポケットに突っ込むと、手に小さな鍵束が触れた。

− もう寝ちゃったかな? −

 なぜか無性に女房の顔が見たかった。

 空を見上げると、澄んだ空気の向こうに月と星が瞬いていた。


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