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空想した神様を依頼して切り絵にして頂いた話


ある方にアイコンの依頼をしたことはあったのだ。その作品のアイコンは今でも愛用しているのだ。ただ自分の子供の頃に空想して絵に描いた神様を依頼して作品にして貰うというなかなか無謀なアイデアは心に秘めたまま数年が経っていたのだ。

筆者が描いたオリジナルの神様の絵、龍でもあるのだ

X(Twitter)の相互の方々に以来をしようとは決めていたのだ。その中で「きりゑだう」氏は民俗ツイートをするアカウントの方であるが前々から切り絵の作品を投稿していて気になっていたのだ。

はじめに感銘を受けた作品は黒住教の教祖黒住宗忠の切り絵で宗教家をテーマにした切り絵は今思うと新鮮だったのだ。黒住教の機関紙に切り絵作品と共にきりゑだう氏が取り上げられていたツイートで知ったように思うのだ。

その時にはまだ上記のアイデアはなかったのだ。ただすごいという気持ちしかなかったのだ。それで確か自分からフォローしたのだ。彼の切り絵作品のファンになったのだ。

昨年はじめから自分が描いたオリジナルの神様の絵をきりゑだう氏に切り絵作品にして貰いたいという気持ちが固まっていたのだ。

しかしながら依頼を引き受けてくれるかどうか少し心配していたのだ。

まず現在依頼を受け付けているかどうか、また神仏などの切り絵作品が多かったので、自分のオリジナルの神様を切り絵にするというのは信条的に大丈夫なんだろうかと自分は考えていたのだ。

上記を踏まえた上で正直にその懸念を含めてDMにて正式に依頼したのが昨年の三月なのだ。きりゑだう氏は心良く快諾してくれたのだ。すべて杞憂だったのだ。

ご依頼して出来上がったオリジナルの神様の切り絵

手元に届くまで実際にどのような作品になるかはDMで少し見ただけで全体像は分からなかったのだ。

作品が入った封筒を開けてはじめて観た切り絵作品を手に取って眺めてこんなにも変わるものかと驚いたのだ。

全体像が素晴らしいのはさることながら神様の鱗や炎の表現にとても感銘を受けたのだ。

鱗と炎

作品について自分が言えるのはここまでなのだ。最後に当作品についてきりゑだう氏に伺ったことを引用してこの記事を終わりにしたいと思うのだ。

「当作に限らず、切り絵を制作するに際して最も工夫している点は、孤立した部品を極力作らないよう、あらゆるパーツが線によって紐帯を結ばれ、一続きの紙として作品を成立させるように設計している点です。
そこがやはり、切り絵に独自の醍醐味だと思いますね。

当作においては、見映えの関係で已むを得ず黒目の部分のみ分離させることにしました。
顔のある作品はやはり目に生命が宿りますから、最後の工程として「目入れ」をし、生き生きとした絵に仕上げました」

最後まで記事を読んで頂きありがとうございましたのだ!

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