郷土紙という超ローカル新聞(連載16)地域紙の存在意義はどこにあるのか
ついに全国メディアでも報道
2022年1月25日のニュースウオッチ9の中で、地域紙の廃刊や休刊が相次いでいることが報道されました。その中で、2021年3月まで北海道根室市で発行されていた根室新聞を再び発行させようという動きを取材し、その取り組みを紹介していました。※後継の日刊紙(題字も同じ?)を発行することになるようです。参考出典:朝日新聞2021.11.19
NHKの夜のニュースという全国メディアが報道するくらいマイクロメディアである地域紙の危機が目立つようになってきています。
企業の倒産、リストラなどを報じている不景気.comでは同日の記事で山形県の地域紙、米澤新聞の自己破産申し立てのニュースを出していました。
休刊から3カ月。負債総額4億円、発行部数1万4000部(たぶん公称)というのは、私がかつて所属していた地域紙(郷土紙)と似たり寄ったりの規模です。wikipediaに載っている本社社屋も典型的な地域紙という様相です。
人ごとには感じられません。
休刊後の事後処理が進み、自己破産の申し立てになったのでしょう。
原因はカネがない
地域紙の休刊は、このところに限らず続いています。
おおむねどの新聞も発行部数減少による収入減が休刊のおもな理由です。
販売収入、広告収入、事業収入、その他収入(不動産賃貸業、社主の他事業からの支援など)が減少すれば運転資金が枯渇してきます。端的にいえば金庫に現金がなくなります。銀行の残高がゼロに近くなるのです。その結果、さまざまな支払いが延期されます。ときには支払い不能になることもあります。
この中には、記者の給料や新聞ロール紙代など新聞発行に必要最低限の経費も含まれます。崇高な使命を持つ人でも給料なしで続けていくことは、一部例外を除けば無理です。各種支払い延期、減免も限度があります。
米澤新聞のように前社長が亡くなることで「詰んだ」というのはよくわかります。お金を出す人がいなくなってしまい「カネがない」わけですから。
累積債務については、債務超過でもなんとかなります(貸し手にとってはなんとかしてほしくない案件ですがね)。しかし、運転資金がなくなると組織は動くことができません。
今の時代では新しいといえないスピードで情報を伝えている新聞は、存在意義が問われています。この先も地域紙の休刊は続いていくことでしょう。
地方紙の存在意義は
根室新聞がネムロニュース株式会社によって再スタートを切るのは、地域紙界にとって久々のグットニュースです。
発刊準備中のサイト(発刊後はそのまま新聞のトップページになる見込み)にも根室新聞発刊当時の状況、再発刊に向けての思いが熱く、力強く書かれていて地域紙出身者としてとてもうれしい気持ちになります。
この取り組みがうまくいくことを心から祈っています。新社長の他の事業もこの先大きく成長する分野ですのでこちらも楽しみですね。
本連載の2回目でも触れましたが地域紙(本連載では郷土紙とここまで書いていますが同じ意味です)の存在意義は、地域に根ざした情報の発信です。
おもに選挙、経済、地元の官公庁や企業の人事、訃報と地元のおもしろニュースや行事をていねいに取材し、伝えることです。
実は、ここに地域紙の存在意義があると同時に滅びゆくことが運命づけられているのですが、長くなるのでそれはいずれ書きます。
地域紙では、政界を揺るがすような大疑獄事件を扱うことはほぼありませんし、経済界を代表するような経営者のインタビュー記事も、iPhoneのような世界を変えたイノベーションに出会うことも皆無ではありませんが、実質ないと言っていいでしょう。
しかし、市長の多選の功罪や地元の産業廃棄物処分場に関連する環境問題、伝統工芸の後継者問題、高齢化を肌で感じながら関わるまちづくりなど地域それぞれが持つ問題を深く、長く伝えていくことができます。
日々のニュースのほとんどは、ほんわかした田舎のちょっとしたできごとばかりです。
70%以上コマーシャリズムの記事を毎週5本は掲載するのもあたりまえの世界です。
市政についても3年も取り組めばほとんどは前年踏襲の繰り返しです。
そんな中でもわずかな動き、小さな変化をしっかりとらえることで問題の発見をすることができます。ルーティンワークの少しのズレを見つけたときの喜びは、地域紙ならではの楽しみであり、存在意義が見えてくる瞬間でもあります。ほとんどはぬか喜びに終わりますけどね。
地域紙を取り巻く厳しい状況が解消するには、劇的な変化が必要です。その時期が来るまでしたたかに地域に必要とされる存在だあり続けてほしいです。
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