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しあわせをあたえるもの
あなたは皆に幸せを与えるために産まれてきたのよ
ぼくが目覚めた時、目の前に立つ女の人はぼくに向かってそう言った。
ウェーブのかかった茶色い腰までの髪をふわふわと揺らし、ぼくの顔をそっと両手で優しく包み込み、にっこりと微笑みながら。
おかあさん
誰に教えられたわけでもないのに、ぼくは彼女がおかあさんであるとすぐに認識した。
いつでも目を閉じれば、あの時のおかあさんの顔を鮮明に思い出すことが出来る。纏っていた空気やにおいさえも。まるでおかあさんが今、ぼくの目の前にいるかのように。
そして、おかあさんの言ったとおり、ぼくは周りの人間に幸せを与える存在で間違いなかった。
いつだってぼくの周りにいる人間は、ぼくと一緒にいるだけでニコニコと笑ってくれる。
ぼくがひとりでいると、必ず誰かがぼくの肩を叩きながら「よお!どうしたんだ!」と声をかけてくれるし、授業中ぼくが大失敗してしまっても誰かがキレのあるツッコみを入れてくれるおかげで、教室中が笑いの渦に巻き込まれる。
とはいっても、ぼくは何も特別なことはしていない。
ただ、そこにいるだけ。皆と一緒にいるだけ。
ぼくはみんなに幸せを与える存在だとおかあさんは言ったけど、みんなもぼくに幸せを与えてくれる。
みんなを幸せにするだけでなく、ぼく自身も幸せなのだから、ぼくは本当に幸せ者だ。
ある日、クラスではほとんど目立たない存在のアイツがぼくのところへやってきた。
アイツはずば抜けて成績優秀にもかかわらず、いつもノリが悪い。
クラス中がぼくを中心に楽しい空気で満たされている時も、アイツは少し不愉快そうな困ったような顔をしてぼくのことをじっと見つめている。
はじめてそれに気が付いた時は、たまたまかと思ったけれど、それから意識してアイツのことを見ているうちに、いつもぼくのことをそういう顔で見ていることに気が付いた。
なんなんだろう。
ぼくはみんなに幸せを与える存在なのに、アイツはそんなぼくの存在を否定している?もしかすると、アイツにとってぼくが『幸せを与えるもの』になれないとでもいいたいのだろうか。
ぼくに近付いてくるアイツを横目で見ながらそんなことを考えていると、ぼくの目の前に立ったアイツは「ちょっと来てくれる?」と、ひとこと言った。そしてその後、ぼくについてこいと手振りし、スタスタと「音楽室」と書かれた誰もいない教室へと歩いて行く。
ぼくはなんだかよくわからないまま、とりあえずアイツの後について音楽室へと入った。
「ここ、座って」
薄暗い音楽室の奥、ぼくは言われるがまま「準備室」と書かれた部屋の中にぽつんと置かれた椅子に座った。
みんながいる場所では、幸せを感じにくい体質なんだろうか?まあ色々なタイプがいるもんな。
「えっと……今日はどうしたの」
そんなぼくの言葉をまるで聞いていないかのように、ぼくの後ろに立ったアイツは、ぼくのかけている眼鏡をブチっとぼくの皮膚ごと剥ぎ取った。
「何……するんだ……よ」
あまりの衝撃に、ぼくの体は固まる。
「ごめんね。キミがそういう役割を与えられて産まれてきたものだというのは頭ではわかっているんだ。でも、僕はどれだけ考えてもキミの存在を認めることが出来ないんだ」
そう言うと、アイツはぼくの眼鏡を近くの机の上に置くと、ぼくの前へと回り込む。視線の高さにあるアイツの右手には、ドライバーがしっかりと握られていた。
「え……?」
小さな声でそうつぶやくぼくの顎に手をかけ、上を向かせたぼくの右目に、アイツはそれをゆっくりと確実に差し込んでいく。
「あ…あ……あ…………」
「そういう存在だというのはわかっているんだ。でも、どうしても。どうしても僕にはそれが許せない。僕を憎むのならいくらでも憎んでくれていい」
ぼくの左目に映るアイツは、悲しみの中に怒りを秘めている、そんな目をしながらぼくを見下ろしていた。
ぐぐぐ、っとぼくの右目にドライバーが押し込まれていく。痛みはまったく感じないが、ドライバーがぼくの中を突き進んでいく圧をこれでもかというくらい感じる。とてつもなく長い時間だったような気がするけど、数秒のことだったのだろう。
右目の奥底で何かが「カチリ」とハマる音がした。
「上手く行ったみたいだね」
そう言うと、アイツは刺し込んだドライバーをスッと抜き取った。その後、机の上に置いてあった眼鏡をドライバーと持ち替えると、手にした眼鏡をぼくにかけなおした。
「ああ……おかあさん……」
眼鏡をかけられたぼくは、思わず眼鏡ごと頭を両手で抱え込む。
眼鏡と一緒に剥がされたぼくの一部は、ぼくと触れるや否やぼくへと融合を始める。潰された右目はドライバーの存在が無くなると同時に修復を始めており、既に見た目には問題がないはず。後は内部回路の修復が完了するのを待つだけだ。
自己修復が進むと共に、ぼくの中に隠されていた様々な記憶が蘇りはじめた。
ぼくは人間を幸せにするために生まれてきた機械生命体。
人間を幸せにするために、ぼくの感情の回路は一部分わざと機能しないように改造され、そこを自己修復しないようにプログラムされている。
さっきアイツが右目から無理やり押し込んで接続したのは、パッチファイル。ぼくの不完全さを修復するためのプログラム入りチップをアイツは埋め込んだのだろう。
「痛かった?ごめんね」
アイツは少しかがんむと、心配そうな顔でぼくの顔を覗き込んだ。
「大丈夫。ぼくは痛みを感じない」
ぼくは身体も心も痛みを感じたことがない。感じたいと思ったとしても感じることは出来無い。
だって、そういうふうに作られているのだから。
「ならいいんだけど…。僕はどうしてもキミの存在を認められないんだ。この『求められる水準が高すぎる社会』の不満を解消するために作られたキミの存在が。いくら人間同士が争わないようにとはいえ、キミみたいな存在を作り出すなんて間違ってる。ぼくはこんな社会を認めたくない。キミを助けたいんだ」
—-
周りの人間は、ぼくと一緒にいるとニコニコと笑ってくれる。
「お前、ほんっと役に立たねーよな。生きてて楽しい?俺、お前みたいなポンコツじゃなくて、ほんとよかったわ〜」
ぼくがひとりでいると、必ず誰かがぼくの肩を叩きながら「よお!どうしたんだ!」と声をかけてくれるし
「よお!どうしたんだ!チンタラ歩かれるとほんっと邪魔なんだけど、さっさと歩けよ!」
「ちょっとやめなよー。さすがにモノ使って叩くとか、やりすぎでしょー」
「アハハ。こいつにはいいんだよ。ほら、笑ってるじゃねーか。かまってもらえて喜んでるんだよ!スキンシップだよ、スキンシップ!な!」
授業中ぼくが大失敗してしまっても誰かがキレのあるツッコみを入れてくれるおかげで、教室中が笑いの渦に巻き込まれる。
「常識で考えてありえないでしょー?頭の中、何入って……
—-
ぼくは痛みを感じないように作られているのだから、感じたいと思っても感じることは何もない。それなのに、今、急になんだかモヤモヤとしたものが胃の辺りに湧き上がってきた。
これは何だろう。
そう思っているうちに、それは黒く重たいツルりとした塊となり、やがてその滑らかな表面から飛び出してきたいくつものトゲがぼくの心に突き刺さった。
そのトゲで刺された傷はチクチクとした痛みだけでなく、生暖かいドロドロとしたものを、とても嫌な感覚を伴わせながらぼくのなかに吐き出し、そしてそれらはぼくを埋め尽くしていく。
これは心の痛み?
その時、頬に何か温かいものがつたった。
「キミだって、産まれてきたからには幸せにならなくちゃダメなんだよ」
ぼくの手に自分の手を重ねたアイツは、涙を流す僕の顔を覗き込むと満足そうな顔で頷いた。
「しあわせ……」
「そう、幸せ。キミもこれから幸せを掴むんだよ」
「ぼくの…しあわせ……」
「僕に出来ることならなんでもしてあげる。だから、今まで失っていた分の幸せを取り返そう」
キラキラとしたアイツの眼差しには隠そうとしても隠しきれない、ぼくの人生を救ってやったという満足感、いいことをしてやったという得意満面の笑みが浮かんでいた。
「キミが…」
「なんだい?なんでも言ってくれよ」
「キミがぼくの幸せのためになんでもしてくれるというのなら……」
ぼくは満足げな顔をしているアイツに向って顔を上げると、ゆっくりと言葉を投げかける。
「さっき埋め込んだものを取り出してくれないか?」
「……?!」
ぼくの言葉に心底驚いた顔をしたアイツは、一瞬怯んだような表情を見せた。しかし、すぐに心外だとでも言いたげに大きな声でぼくに向かってこう叫んだ。
「あれを取り除くっていうことは、今までと同じ生活に戻るってことなんだよ?今のキミにならわかるはずだ。あの生活がとてつもなく幸せから遠い場所にあるということを。それなのにどうして!」
「ぼくは幸せだったんだ」
「そんなことあるわけないだろ?!あんな扱いされて、幸せなんてことはあるはずがない!目を覚ませよ!パッチファイルは上手く働いているんだろ?僕が作ったんだ。だから失敗なんてありえない。だからキミにはわかっているはずだ。自分がどれだけ劣悪な環境におかれているかということが!」
「目を覚ます?」
「キミにはもうわかっているだろう?キミが幸せだと感じている世界の真実を理解できただろう?それでもキミはあの世界へ戻りたいというのか?」
「ああ、戻りたい。今すぐに戻りたい。早く、早くぼくを元に戻してくれ」
ぼくの手に重ねられていたアイツの手を、今度は逆にぼくがぎゅっと握りしめ、そして頼み込む。
「お願いだ」
そんなぼくを見て、アイツは一歩後ずさった。
「真実を知ってもまだあの生活が幸せだとでもいうのか…?!ぼくには信じられない…。キミは一体何を考えているんだ?どう考えても、ぼくと共にこれからの人生を進んで行く方が、絶対に幸せになるはずなのに…」
「お願いだ。戻してくれ。ぼくはすべて理解したうえでそう頼んでいるんだ」
アイツの手を握っている手にさらにギュッと力を込める。
「ぼくの幸せを本当に望むのであれば、以前のぼくに戻してほしい」
そんなぼくの手を振り払うと、アイツは両手を固く握り締めながら目に涙を浮かべながらこう言った。
「やっぱりそれは出来ない。僕はキミがあんな目にあっている日常をもう繰り返したくはないんだ」
その言葉を聞いたぼくは、ゆっくりと目を閉じると、すべての機能をシャットダウンした。
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