火葬前夜
「なんで言ってくれなかったんだよ」
四角い木の箱に横たわっている白い顔をした僕を覗き込むと、打ち合わせでもしてきたかのように、皆面白いように同じ言葉を口にした。
他に言うことないのかよ。
なんて全員にツッコミたかったけれど、生きている間に誰にも何も言わないという選択をしたのは僕。だからこの言葉は黙って受け止める必要があるのだと思い、何も言い返さずに口を閉ざし続ける。
まあ、何か言ったとしてもみんなの耳に届くことは無いのだけれど。
過労ですね。
そう診断され、力なく笑った後、点滴を打たれて帰ってくるはずだったあの日。僕はいつもの病院で『すぐに大きな病院へ行くように』と言われただけでなく、その場で呼ばれた救急車に乗せられて運ばれた。
身体は確かに怠く、重く、自分で動かすのが精いっぱいに近いとはいえ、僕は自分がそこまで重症であるとは思えなかった。
ピーポーピーポーとけたたましくなるサイレンの音に包まれているうちになんだか恥ずかしいような気持ちになった僕は、車内では呼吸回数をなるべく減らし、少しでも存在感を消そうとして身を固くしていたのをよく覚えている。
前日まで、いや、あの診断を受けるまでは、快適とは程遠いとはいえ僕は普通に生活していたのに。
普通の生活というものはここまで脆く、儚いモノだったとは思いもしなかった。
死は誰にでも平等に訪れる。そんな当たり前のことは、頭では嫌というほど理解していた。にもかかわらず、死は僕からは物凄く遠くにあるものだった。
「どうせいつかは死ぬんだし」なんてことを平然と口にし「もう嫌だ。死んでしまいたい」と言いながら死に憧れ、手を伸ばそうとしては掴むふりをしてみたことも数えきれない。
しかしそれでも死というものは現実的なものでは無く、あるけれど無い。そんな不思議な立ち位置であり続けた。
その死が僕のすぐそばまで来ている。
僕が気がつかないうちにひたひたと近付いてきたヤツは、いつの間にか僕のすぐ後ろで僕の肩に今にも手を乗せようと笑っている。やろうと思えば一秒もかからないうちに僕に死をもたらすことが出来る距離。
そこまで死の存在が近くなったにもかかわらず、それでも僕には死というものはまだ遠く、現実味のないモノだった。
なんてことを言うと、その後すぐに入院して死んでしまったかのように思われてしまうかもしれないけど、僕はその後、自分の家に戻り半年ほど生きている。
期限付きの帰宅であることはもちろん理解したうえで。
その間、今この場所に集まってきてくれている皆に、連絡しようと思えばいくらでも連絡することは出来た。僕の命はもうすぐ終わってしまうんだ。そんな説明だってしようと思えばいくらでもできた。
でも僕はしなかった。
どうせ僕が死んでしまったら皆悲むことになるのだから、前もって悲しませなくてもいいじゃないか。生きる時間は限られているのだから、悲しい時間は少しでも短い方がいいだろう。僕はそう考えた。
そして、そう自分に言い聞かせることで、自分の目の前で何と声をかけていいのか戸惑う友人たちの顔を見ることから僕は逃げ続けた。
僕が消えてしまうのは仕方のない事だと理解していても、皆が残るこの世界に僕だけが存在できないという、理不尽な排斥から目をそらし続けた。
僕が消えることが嫌なんじゃない。僕だけが消されてしまうことが嫌なんだ。そんな子供じみた我儘な気持ちがあることに全力で蓋をし続けた。
結果として、今日僕が死んだことを知らされた人たちが口々に「なんで言ってくれなかったんだよ」と僕に問いかけることになってしまったのだけど。
みんながみんな、そう口にするのを見ていると、たとえ悲しみを味わわせることになったとしても伝えておくことが正解だったのかな?なんてことも思ったりする。
しかし、あの時に戻ったとして、僕にその勇気は持てただろうか。
いや。多分無理だ。
あの時、考えに考え、自分の心の深い部分から湧き上がってきた見えない意見までをも総合した答えがアレだったのだ。もし、今の知識、感覚を持って戻ったとしても、僕は同じ答えを選ぶのだろう。
明日、僕の身体は焼かれてこの世界から消滅する。
体が無くなれば、僕がこの世界に存在していたという確かな証拠は無くなってしまう。そうなれば、今泣いている彼や彼女の中の僕も徐々に存在感を無くしていき、最後には綺麗に消えてなくなってしまうのだろう。
その時が僕がこの世から消し去られる時。
死にたいとあれほど願った日が嘘のように、今は消えたくないと願ってしまう。
ああ、そうか。
今分かった。
僕が皆に死ぬことを伝えなかったのは、僕が目をそらしたかっただけでは無く、皆の中に「何も言わずに逝ってしまった」という傷を付けたかったからなのかもしれない。
滑らかな魂に少しでも傷をつけ、その傷が癒えるまでの時間の分だけ『僕』という存在がこの世界にいられる時間を伸ばすために。
僕のかけらを少しでも深く食い込ませ、僕という存在を刻み付けることで、この世界と一分一秒でも長くつながっているために。
そんなことに今さら気が付いたとしても、何も変わらないのだけれど。
ただ、僕は自分が思っていた以上に、この世界のことが好きだったんだろう。
<終>
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