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届かない。

 姉のユノの腕の異変に気がついたのは、数カ月ぶりに休みが取れた僕が実家へと帰ったあの日のことだった。
 
「ユノ、その腕どうしたの?」
「あ、これ?よくわかんないんだけど、多分どこかにぶつけちゃったんだと思うよ?」
「ちょっとよく見せて」

 半袖シャツを着ているユノの袖口からチラリと見えた赤黒い痣。僕はそれが『どこかにぶつけた時に出来る”青痣”』であることを祈りながらユノに近付くと、その袖口をそっとまくり上げた。

「これ、いつからあるかわかる?」
 ゴクリと唾を飲み込むと、僕はユノの顔をゆっくりと見上げる。

「え?先週くらいかなあ。でもこれ、ただの青痣だよね?」

 僕を見るユノの顔に不安が広がっていくのを感じ、僕は慌てて笑顔を作る。これが青痣ではなく特別な意味を持ったものであることを僕は知っている。でもユノに本当のことを気付かせるわけにはいかない。
 
「うん。ホントだ。ただの青痣だったよ。ごめんごめん」
 僕がそう言って笑いかけると、ユノはホッと肩のチカラを抜いた。
 
「ああ、よかった。サクハがそう言うなら安心だ。ホントはね、最近世界中で流行ってるあの病気かと思ってちょっとだけ心配してたんだよね。ぶつけた覚えも無かったし」

「ユノはどんくさいから、しょっちゅうどこかにぶつかってるじゃん」
「どんくさいってお姉ちゃんに向かってひどくない?」
「お姉ちゃんって言ったって数分の違いでしょ?ちょっと違ったら僕がお兄ちゃんだった可能性だってあるんだし」
「そんな”もし”なんて話、意味ないですよーだ」

 慣れ親しんだいつもの日常。
 この日常を崩壊させる足音がすぐそこまで来ている。


 僕は自分の部屋に戻ると、カバンの中から青緑色のバンダナを取り出しユノの元へと戻った。
 
「とりあえずこれで隠しておきなよ」
 僕は痣が外から見えないように、バンダナをユノの腕に巻きながらそう言う。
 
「へえ。女心が分かるようになったってわけだ?誰か好きな人でもできた?」
「ばか。そんなんじゃないよ」

 まさかコレを使うだなんて思ってもみなかった。ユノの腕に巻いたバンダナを見ながら、僕はセンターを出る直前に何気なくカバンにこのバンダナを放り込んだ時のことを思い出す。アレは虫の知らせのようなものだったのかもしれない。
 
「でもさ、あの病気で出るっていう痣は腕だけに出るわけじゃないんでしょ?」
「うん。そうだよ。腕だったり、足だったり。お腹や顔、いろんなところに出るみたいだよ」
「へえ。サクハは医者としてかなりその”痣”を見たんだよね?」
「そうだね」
「そのサクハが大丈夫っていうんだから、大丈夫だよね」

 僕の目を覗き込みながらユノが心配そうにそう呟いた。
 
「大丈夫だよ。ユノの”それ”はあの病気じゃない。僕が保証する」

 その言葉を聞いてユノはやっと安心したように笑った。

 窓から見える空はどこまでも青く、申し訳程度に存在する雲は空の青さを際立たせるために浮かんでいるようだ。まるで平凡な日常の幸せを際立たせる為に、小さな障害が必要なように。
 そう。これは小さな障害。そして小さな障害とするために、僕は出来る限りのことをするんだ。
 
 そんな僕の覚悟とは反対に、ユノは珈琲を淹れ直しながら弾んだ声でこう言った。

「そういえば、ミアが今日遊びに来るって言ってたよ。サクハが帰ってくるって言ったら『毎日でも行く』なんて目にハート浮かべてさ。サクハも隅におけないよねえ」

 ミアは僕の幼馴染。ユノの親友でもある。僕がこの街を出たときに彼女も少し離れた街へと出て行ってしまった。あれから数年、ユノから彼女の近況は聞いていたものの、彼女と会うのは本当に久しぶり。
 彼女の顔を思い出しながらも、僕はユノのことを考えていた。
 
「いや、ミアとはそんな関係じゃないし……」
「そんな関係もあんな関係も、サクハがミアを受け入れてあげないからじゃない。ミアのどこが不満なの?」
「不満なんてないよ。ミアはとても素晴らしい女性だと思うよ。でも……」
「でも何よ?そんな『素晴らしい女性』に言い寄られて迷惑とでも?」
「迷惑……じゃないけどさ。ちょっと押しが強すぎるというかなんというか……」

 もごもごと口ごもる僕の背中をバンと少し強めに叩き「言い寄られてるうちが華なんだからね」と言うと、ユノはテーブルに珈琲の入ったマグカップをそっと置く。
 
「うん……まあね……そうなんだけど……」
 僕はマグカップを手に取ると、ゆっくりと口へと運んだ。


 僕たちの住むこの世界では昔、夏の夕方に突然降り出す雨を『夕立』と呼んでいたそうだ。
 夕立が降った後は空気が澄み、気温が下がりとても過ごしやすくなったらしい。
 だから”世界を正常化するシステム”が完成した時、その夕立にちなんでこのシステムを『夕立』と名付けたそうだ。
 
 誰がいつ考案したのかはわからない『夕立』は、僕たちの住む世界にピンポイントで雨を降らせる。
 その雨は建築物や有毒ガス、そして人間さえも跡形もなく消し去ってしまうことが出来るだけでなく、雨が上がった後は生態系にとって理想的な環境が残される。

 そう。その名の由来の通りに。
 
 そして僕は夕立システムに関わる人間である。

 真実を知らない人間たちに情報が漏れないように、身内であるユノにもずっと『医者』だと嘘をついている。しかし、ユノの言った通り”痣”の出た人間をたくさん見てきたので、ユノの腕に現れた”痣”が本当はあの病気のものだということもすぐにわかった。
 
 今世界中で流行していると言われている『身体のどこかに痣が出来る』という奇病は、侵されると数週間のうちに命を落としてしまうと噂されている。なので病人は迫害され、追放されることが多く、うまい具合に廃墟や入工場が夕立で浄化されるようにできているのだ。
 
 しかし、噂は噂。
 
 本当のところは”痣”が出来た人間は徐々部身体の機能が奪われて行き、意識レベルも低下して眠ったままの状態になり、そうして動かなくなった人間を『標的ターゲットとして『夕立』が降り注ぐ。

 夕立はターゲットを中心として世界を浄化する。綺麗に。跡形もなく。
 
 
 そのターゲットにユノが選ばれた。
 夕立関係者の身内であろうと何であろうとターゲットに選ばれることがあるというのは知ってはいたけれど、まさか僕の身に降りかかるだなんて思ってもみなかった。
 
 しかし、この村に夕立が降ることは意外でもなんでもない。
 なぜならこの村には今勢力を伸ばしつつある、とある宗教団体の教祖が隠れているという情報が僕の耳にも届いていたからだ。
 
 夕立は廃墟や廃工場など人類の負の遺産だけでなく、この国。いや、この世界に対して脅威であるものを浄化するために存在しているのが真実である。そしてもちろんターゲットは『夕立』の上層部によって選定されている。
 
 でもどうしてユノがターゲットになったのだろう。
 ユノは面倒を見てくれる人がいないので、動けなくなってもこの家にいる可能性が高い。だから街を浄化するために選ばれてしまったのだろうか。
 僕の大切な双子の姉。僕にとってかけがえのない大切なユノ。どんな理由があれ、ユノをターゲットとして浄化させてしまうわけにはいかない。
 
 彼女を救うために、僕は悪魔にでもなんにでもなると決めた。


 その日の夕方、ミアが僕たちの所へと遊びに来た。
 
「サクハ~!会いたかったよぉ~」
「ちょ……。顔が近い……」

 家に入ってくるなり僕に駆け寄り抱き着いてきたミア。
 ユノは”熱烈なアピール”とかいうけれど、僕にとってはミアにおちょくられているようにしか感じない。
 
 ミアは小さい頃から腕っぷしの強い女の子だった。
 いつも泣かされていた僕の前に立ち、僕をいじめていたヤツを追っ払ってくれる。そんな女の子。
 
 大人になり、僕はミアより体格もよくなり泣き虫でもなくなったけれど、何となく僕はミアに頭が上がらない。むしろ、心の奥底ではいまだにミアを頼りにしているのだろう。
 だからミアが『女性』として僕に好意を持っているということを認めることが出来ないのだと僕は思う。
 
「ほら、ミア落ち着いて。そんなに抱きしめたらサクハの息、とまっちゃうよ?」

 ぎゅうぎゅうと締め付けられながら身をよじってミアから離れようと必死になっている僕をみて、ユノが助け船を出してくれた。
 
「ええ~?サクハ、ガタイ良くなったんだからこれくらいじゃ息、とまんないよね?」

「いや……くるしい……」

 ますます締め付けてくるミアにギブアップの意志を伝える僕。そんな僕らを見て笑うユノ。
 何年たっても変わらない。幸せな時間。
 
「ほら、ミアもココア入れたから。座って座って」
「おおーユノ!愛してるよ~」

 僕から離れたミアはテーブルにつくとユノの入れてくれたココアの入ったカップをフーフーと冷まし始めた。
 
「ミア、まだ猫舌なの?」
「猫舌は治らないからねー。あ、サクハ。私の代わりにこのココアフーフーして冷ましてよ」

 ミアは僕を上目遣いで見ながらそう言った。
 
「イヤだよ。そんなの」
「サクハ、つれないなー」

 そう言ったユノの言葉を聞いてミア何か思い出したように口を開いた。

「あ、そうだ。サクハあと5日ここにいるんだよね?」
「うん、そうだけど」
「あのさ、私もその間ここに居ることに決めたから」
「決めたって、この家にってこと?」
「うんそう。いいでしょ?ユノ?」
 ユノに視線を移しながらミアがそう尋ねる。

「うん。別にかまわないよ。せっかく久しぶりに会ったんだしねー」
「やったー!ユノ大好き!」
 
 そうして僕がこの街にいる間、ミアもこの街にいる事が決まった。
 僕にとってもミアと一緒にこの街を出発できるということは願ってもない事だ。そんなことを考えているなんて二人は思いもよらないだろうけど。


「じゃあ、そろそろ行くね」
「あっ、サクハ待ってよ!一緒に行くんでしょ?」

 出発の日、家の前でユノと別れの挨拶をしているとミアが慌ただしく家の中から飛び出してくる。
 
「待ってるから落ち着いて」
 僕が呆れたようにそう言うと、ミアはカバンを地面に放り投げユノにとびかかるように抱き着いた。
 
「ユノ~。また遊びに来るからね。ユノも遊びに来てよ」
「はいはい。わかったからー。今度はミアの所に行くからさ。お土産何がいいか考えといてよ。決まったら手紙でもなんでも送ってね」
「ユノー!ホントに大好き。ああー。ユノがお嫁に行く日、私絶対泣いちゃう!!」
「まだお嫁になんて行かないから安心して!って、何サクハ怖い顔してんの?」

 ユノが嫁に?ミアは僕が知らないユノの事を知っているのだろうか。って、まあ、兄弟には言わなくても友達には言う事っていっぱいあるよな。恋の話とか……。って。
 
「まさかユノ、結婚したい相手でもいるの?それって恋人?どこの誰?僕が知ってる人?」
 思わずユノに詰め寄った僕を笑って誤魔化しながら、ユノはミアと離れるとカバンを拾ってミアへと手渡す。
 
「二人とも、気を付けてね」

「ユノも気をつけるんだよ!手紙、書くからね!」
「じゃあ、また。休みが取れたら帰ってくるから」

 手を振りながら僕とミアは約一週間過ごした家を後にする。もうああやって楽しい時間を三人で過ごすことは二度とない。そう思うと心臓を握られたようにギュッと痛んだ。


「ねえ、ちょっといいかな?」

 ミアの住む町まで辿り着いた僕らは、ミアの家でお茶を飲みながら休憩していた。
 ほぼ一週間ずっと同じ家にいたので、もう新しい話のネタは尽きてしまっている。なので僕らはぼんやりと同じ空気を感じていた。いや、僕はぼんやりとした空気を醸し出しながらも、緊張で飲み物を飲んでいるにもかかわらず喉がカラカラになっていたのだけれど。

「え?なになに?やっとミア様の魅力に気がついた?付き合ってくださいって言っちゃう?うん。私ずっと待ってたよ。サクハがそう言ってくれるのを」

 目をキラキラさせながらそう言うミアを見て、僕は小さく頷いた。
 
「え?うそでしょ?」

 さっきまでの勢いはどこへやら。ミアは僕の顔を見たまま固まってしまった。
 
「嘘じゃないよ。ミア。キミが今まで僕にそういった事を言うのが本心なのか、からかっているだけなのかずっと疑問だったんだ。でも、数年ぶりにキミに会って僕は気がついたんだ。僕はキミがどう思っていようと、僕にとってキミがとても大切な人なんだと」

「うそ……」

「嘘なんかじゃない。僕の本当の気持ちだ」

「サクハ……」

 僕は潤んでいるミアの目をじっと見つめ、カップの上から彼女の手を握った。
 
「でも、もう行かなくちゃいけないんだ。ミアともっとゆっくりしていたいんだけど」

 僕のその言葉でミアはハッとして急に顔を赤らめた。
 
「そ、そうだよね。サクハ忙しいもんね。でもほんとに?」

 僕の存在が見えないかのようにミアはきょろきょろと辺りをせわしなく見回して、ぶつぶつと呟き始める。そんなミアを横目に僕は青緑色のバンダナを取り出すと。ミアの手首にそっと巻き付けた。
 
「ミア、このバンダナ、僕だと思ってずっと外さないでいて欲しいんだ。いつでも。ずっと」
「これを?うん。もちろん。綺麗な色ね」

 手を上に上げてバンダナをうっとりと見上げるミアの耳元で僕は囁いた。
「あと、ユノには僕たちの事や、このバンダナのことは絶対に秘密にしておいてくれないかな」

「ユノに秘密?サクハとユノの間なのに?もしかして、サクハはやっぱり……」

 最後の方は声が小さくてよく聞こえなかったけど、僕にとってはそんなことはどうでもいい。
 
「僕とユノの間だからだよ。僕はミアが本当に僕の事を想ってくれてるか自信が無かったんだ。だからミアと両想いになれたことがまだ信じられなくてさ。ユノにバレるとめちゃくちゃ恥ずかしいんだ。だからユノに胸を張って僕が僕たちのことを言えるまで、ミアから二人の関係がバレないようにしてもらえると僕は本当に助かるんだけど……。ダメかな?」

 そう言って僕はミアをそっと抱き寄せた。
 
「わかった」
 ミアは僕の腕の中で小さくそう呟きながら頷いた。
 

 それから2週間後、ミアの住む街に夕立が降り注いだ。
 雨は街全体を覆いつくし、その場所に街があった痕跡は何ひとつ残さずに綺麗に全てを消し去ってしまった。
 
「ああ。ミア……」

 僕はディスプレイ越しにミアの住む町が夕立によって浄化されて行く様子を目に焼き付ける。
 ミア。ミア。
 
 ふふふっ
 
 思わず口元がほころんでしまうのを慌てて僕は手で押さえて隠した。
 
 ミア。
 ありがとう。
 
 ユノの身代わりになってくれて。
 
 
 あの日ミアに渡したバンダナはユノから返してもらったもの。
 僕はユノの”痣”を吸い取ったバンダナを”ミア”の手首に巻くことで、ユノの痣をミアへと転写させることにした。
 
 バンダナは痣を吸い取り、転写するのに最低でも3日はかかる。だから僕はミアにバンダナを外さないでいてもらうためにミアの僕への想いを利用することに決めた。
 そしてバンダナの存在をユノには知られたくなかったから、ユノにはバンダナ、いや、僕たちの関係を口外しないでくれと頼み込んだのだ。
 
 ミアは僕に心底惚れていた。
 僕はその想いを利用させてもらった。
 
 だって、僕にとってはミアよりもユノの方がずっとずっと大切な人なのだから。


 ミアの街が消えた次の日。僕の元へと手紙が届いた。
 
 差出人はミア。
 
”サクハ、私はあの例の病気にかかってしまいました。
 小さい時からずっと思い続けていたサクハにやっと私の気持ちが届いたところだったのに。
 サクハ。
 私は病気にかかる前に、サクハに大切な人だと言ってもらえて本当に幸せでした。
 もう一度会いたい。
 もう一度だけでもサクハの温もりを感じたい。
 この手紙が届いたら、私に会いに来てくれると嬉しいな。
 それまで、私は病気に負けないように頑張るね。
 大好きだよ。サクハ。

 
 最後の最後まで何も知らずに消えて行ったミア。
 ユノの腕に”痣”さえ現れなければミアは浄化されてしまうことなどなかったのに。

 ミアの手紙を読みながら、なぜだか僕の頬には涙が伝っていた。
 もしかすると、僕はミアのことを本当は好きだったのかもしれない。今さらそんなことに気がついてもどうしようもないのだけど。
 
 いや、僕はユノを救うためなら何でもすると心に決めたんだ。愛するユナを守るためなら何だって。
 そう思いなおし、涙をぬぐった僕の手の中の封筒から小さな紙切れがパサリと床に落ちた。
 
 なんだろう。
 紙を拾い上げると僕はそこに書いてある文字を読んで僕は膝から崩れ落ちた。
 
”サクハが私ではなく、ユノのことを愛していることは知っていました。
 でもアナタのあの言葉を聞いたとき、もうこれで十分だと思いました。一生報われない私の想いが、たとえ嘘であっても『届いた』というこの気持ちを持って、私はアナタの思い通りに死んでいくことにします。
 
 でもそれだけだと悔しいので。
 ユノは式こそ挙げてはいませんが、あの町に住む宗教団体の教祖と結婚しています。
 サクハがあの町にもう住むことはないだろうと、ユノはずっとサクハには秘密にする予定だと言っていました。
 アナタの愛するユナは、決してアナタのモノになることはないのです。

 まさか。
 そんな。

<終>


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