イエスマンを見て反省
ネットフリックスを開くたびに、面白そうな作品をマイリストに追加し、追加が終わると同時に満足してアプリを閉じる。ここ2年ほど、そんな生活をしている。
本を積ん読にしておくことはほとんどなく、一気に全部読んでしまうくせにどうしたものか。ワタシは動画に関しては少し腰が重いらしい。
思い返してみれば、YouTubeも面白そうなものを見つけるたびに「すぐに見れるように」と(ブラウザで開いているので)タブをそのままにして、新しいタブを開くということを繰り返している。だから、ワタシのスマホ、パッド、PCのBraveはタブの数がハンパ無い。
Braveを開く→それらの動画を見ずに新しいタブで動画をまた開く→用が済んだら閉じる→Braveを開く→新しいタブを……ということを繰り返しているので、最近はBraveを開く時、なんとなく気が重い。いや、重いと思っているのはBraveのほうか……(←
そんなことは置いといて。
詰ん読ならぬ積ん見(つんみ?つんけん?)に手を出す日も全くないわけでは無くて。
先日、久しぶりにそんなイレギュラーな日がやってきた。
時刻は24時を少しまわったところ。
いつもなら「そろそろ寝るか。」となるところなのだけど、何となくネットフリックスでも見るか。とアプリを起動した。
そこで選んだのは「イエスマン”YES”は人生のパスワード」という映画。
主演はジムキャリー。
ワタシはジムキャリーがそこまで好きだというわけでもないけれど、彼の顔は一度みてしまうともう目が離せない。
あの笑顔の吸引力。
すごい。スゴスギル。
と、ジムキャリーの笑顔が画面に映るたびに、アホみたいな顔でガン見してしまう。だから、笑顔のジムキャリーと同じ場面に写っている俳優さんたちがどんな表情をしているのかを把握したことがないかもしれない。
今回見たイエスマンでも、ジムの笑顔はピカイチだった。
キレッキレの笑顔の中にたまに紛れ込む、狂気を含んでいるような笑顔。
たまんない
としか言いようがない
スゴイイイエガオ!!!
⊂⌒~⊃。Д。)⊃
暗い部屋で布団を頭まで被りながらニヤけるオバサン。時刻は25時。
モノノケの仲間入りをした瞬間である。
と、まぁ、それはおいといて。
あらすじでも書いたけど、すべてを否定していた主人公がすべてに「YES」と答えることで新しい出会いやチャンスを掴んでいくストーリーを追っているうちに、人生ってそんなものかもしれないなぁ。と、ワタシの心にジワジワと何かが染み込んでいくような気がした。
確かに、YESって言っちゃっていいの?!ということや、絶対YESと言いたくないことにもYESと言わなくてはいけないというのは、とてつもなく大変なことだし、どう考えたって、自分にとって何のメリットももたらさない。何ならリターンがデメリットもデメリット。そんなことにYESと答え、やり遂げるなんて頭がちょっとどうかしちゃってるとしか思えない。
それに、やっぱり映画でも、そんなことに対してYESって言っちゃったことで、案の定大変な目にあってしまっているし……
でも、そんな不都合極まり無い事を引き受けたことで、いつもとは違う流れに乗り、いつもとは違う結末へと導かれていくジムキャリー。
毎日毎日同じリズムで生活することは心地いい。それに、なんだか安心する。
でも、そんな生活を続けているうちに、そのリズムが崩れることを恐れたり、リズムを崩されることに軽い怒りを覚えたりするようになることだって知っている。
だって、閉じた世界はとても心地がいい。
自分が自分の生をきちんと握っているという感触。自分をしっかりとコントロールできているという快感。すべての要件は自分自身に直接関係のあるもしかなく、他人に振り回されたり、他人のために自分をすり減らしたり自分にストレスをかけることも無い。
でも、閉じ切った世界はやっぱり不自然なことだって知っている。
自分の頭の中の世界に生きるていけばいくほど、この現実世界の生き辛さは加速していく。敵は増えるし、味方は最後、絶対と言っていいほど裏切る。「世の中そんなに甘くない」と言われる世界を頭で理解してしまえば、結末はすべてそこに収束する。
でも。
でも。やっぱり怖くても痛くても、一歩踏み出した先は決して自分が想像していた未来だけがあるわけじゃない。
8割方想像通りだったとしても、残りの2割は思っていた通りになってなかったはず。
想像通りにいって部分にだけ注目して、「やっぱり想像通りだったじゃん。やらなくてもわかってた。時間の無駄。やらなきゃよかった」と思いがちだけど、残りの部分に目を向けて見てみたら、意外と良かったことがあったりしているかもしれない。
面倒だからやめとこう。
いい結果になら無さそうだからやめておこう。
ワタシもそうやって普段手を出さないことって結構多いような気がする。
映画の最初の方、ジムキャリーが「NO」と友達の誘いやなんやかんやを断り続けている場面は、ワタシにとってそこまで違和感のあるものでは無かった。
だって、今、この時代では「気が乗らないことはしなくてもいい」「自分が楽しいと思う事を」と、どこを見ても書かれているし、多くの人がそう主張しているし。ワタシ自身もそういう流れにかなり乗っかっているという自覚もある。
でも、変わっていくジムキャリーの人生を見ていくうちに、色々な世界が広がっていくきっかけを自分自身の手でつぶしているかもしれない。と強く思うようになった。
年老いていく親を見て、自分自身が思い通りに身体を動かし、自分の意思で決めたことを実行できる時間は自分が思っているよりもはるかに短いのだと現実を突きつけられている今日この頃。
大きなことは出来ないし、大きな出来事にこられたら少し困ってしまうけど、それでもルーティーンに埋もれて、世界を閉じてしまうにはまだ早い。だから、とりあえず、面倒くさいと思考停止で撥ねつけていたことを、引き受けていこうと決めたのでした。
そして最後になりましたが、ジムキャリーの役名は「カール」です。