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どこまでも どこまでも

「お…ぼえ…て……い…ます…か……?」

 ずり落ちてくる眼鏡を何度も上げながら目の前にある石碑に刻まれた文字を解読していたぼくは、そこまで読んだところでその作業を中断すると、腰につけたカバンから長細い容器を取り出した。
 高温多湿なこの星では湿気を大量に含んだ生ぬるい空気はベトベトしてとても不快だし、体から滲み出る汗は止まることを知らない。それでもこの星に来ることを選んだのはぼく自身。長細い容器に入った水をひと口飲むと、ぼくはまた解読作業に戻る。

 2年ほど前、ぼくは調査隊の一員としてこの星に降り立った。ぼくの専門は考古学。失われた文明について調べるのが仕事である。今まで訪れた星は数え切れないほど。そしてその全てはそれぞれ違った意味で過酷だった。しかし、それらはぼく自身が望んで派遣された場所でもある。


——
 父親の仕事の関係で、小さい頃から同じ場所に長くいることが無かったぼくは、同じ場所にずっと住み続けるという経験がほとんどないまま大人になった。
 親元を離れ一人暮らしを始めてから2年ほどたったある日、ぼくは突如体の奥底から湧き上がってきた抗い難い衝動を感じた。何が起こっているのか把握することすら困難だったその衝動は、気分転換を兼ねた旅行へと行くことで治まりをみせたが、旅から戻ってしばらくすると、また同じように苦しみがぶり返す。そんなことを何回か繰り返すうちに、ぶり返すまでの時間がだんだんと短くなり、ある日気がつくとぼくは白い壁に囲まれた何もない部屋の中でぼんやりと天井を眺めていた。

 段々とはっきりしていく意識に合わせるように、これまでの生育歴や家庭環境、現在のぼくの置かれている状況などについて詳しく聞き取りをした先生はぼくに対して『過適応による拒否反応ですね』と言った。
 先生が言うには、ぼくは同じ環境に長年居続けることで過適応の反応が強まるらしい。普通の人は長くいればいるほど環境と自分がなめらかに融合していくような感覚になるらしいのだけど、ぼくは一定以上の時間を過ごすと融合率を高めようとし過ぎてしまうそうだ。最終的にはその環境の一部になり切れない自分に対する怒りが爆発し、自らを破壊、もしくは周囲の全てを破壊しつくしてしまうだろうとのこと。それを止めるためには2・3年に一度住む場所を変えるのがいいらしい。
 ということで、それ以来ぼくは2年周期で引っ越しを繰り返すことで発作のようなものとは無縁の生活をしていた。

 生業を決める歳になったとき、ぼくは一般的な仕事に就くことを諦めた。
 一般的な仕事に就くということはこの星に住み続けなくてはならないことを意味する。そしてぼくの住んでいた星は狭いので、それまでの引っ越しで既にこの星の街のほとんどの場所に住んだ事があった。ということは、遅かれ早かれぼくは自分自身を破壊するかこの星を滅ぼすかの道を歩むことが確定しているということだ。

 望まない未来が見えているなら進路を変えればいい。出来ることがまだあるなら、ぼくはその方法を取ることを選ぶ。
 まだ未来を諦めたくなかったぼくは、様々な星に滞在することができる学者になり、希望すればいつでも移動できる環境を掴み取った。


——
 それにしても暑い。

 眼鏡を外し、タオルで顔を拭いながらぼくはすぐ後ろにある湖にチラリと目を向ける。水浴びでも出来たら最高なんだけどな。そんなことを今日だけで何度も考えた。
 しかし、ぼくの視界に映る湖はお世辞にも綺麗だとは言えなくて。不気味な赤褐色に濁る水は近くに寄れば寄るほど鼻を刺す気持ちの悪い匂いが漂っていて、とてもじゃないけど手ですら浸してみようだなんて気になれない。

「ふぅ」

 今日の分の作業をさっさと終わらせてしまおう。気を取り直して石碑に目を戻したぼくは、石碑に刻まれている文字になんだか違和感を感じた。

「あれ?文字が変わって…る……?」
 
 この星の古代文字がスラスラとは読めないぼくでも、文字が入れ替わっていることぐらいはすぐに気がついた。なんだなんだ?石に刻まれた文字が変わるだなんてありえないだろう。
 ぼくは慌ててもう一度、石碑に刻まれた文字の解読をはじめる。

「なんだよ。これ……」

 さっきまでは確かに『おぼえていますか?』と書かれていたはずの部分には『おぼえていますか?』の痕跡はひとつも残っておらず、新しい文字が浮かび上がっていた。

『おもいだして』

と。

 あり得ない状況にぼくの頭はパニックになる。変わるはずのない石に刻まれた状態の文字が変わったこと。それに何よりも、明らかにぼくに対するであろうメッセージがその場所に現れたからだ。


 おもいだして

 

 そう言われても、ぼくはこの石碑が立ったと思われる時代にはここで生活していたわけでもないし、思い出そうにもこの星に関して思い出せる昔の記憶なんてものはひとつも無い。今日この石碑を見つけたのだって単なる偶然だったのだから。
 
 ぼくは怖くなり、石碑から距離をとろうと一歩後ろに下がった。ぴちゃ。水たまりに足を踏み入れた時のような感触が伝わってきた後、引いた右足の靴底からじわじわと水が染み込んでくる。

 おかしい。湖はぼくが立っていた場所からもう少し遠かったはずだ。

 そんなことを考えていると、背後からぼくの右肩に冷たく濡れた何かがペトリと落ちてきた。じんわりと服を侵食していく気持ちの悪い感触は、同時にぼくの頭の中にも黒いシミを広げて行く。
 あんなに暑かったのが嘘のように寒い。
 寒さでガタガタと震えながら、ぼくは後ろを振り返ることもできず、ただ石碑をじっと見つめることしかできなかった。

 石碑の文字がまた変わっている……。

 なぜだか今までと違い、今度はスラスラと文字が読めた。


『おまえをゆるさない』


 その文字を見た瞬間、ぼくのすぐ後ろにまで近付いていたナニモノかがぼくの体をがっしりと羽交い締めにした。

「ひいっ」

 情けない声を出したぼくの身体に回されたのは骨がむき出しの腕だった。灰色に近い骨は濃い青紫色に変色している部分があり、所々にベタベタに濡れたボロボロの端切れのようなものが絡み付いている。前を向くぼくの視界の端にはぼくのものではない濡れた長い髪の毛が覆いかぶさっていて、それがぺっとりと頬に張りついている感触に思わず鳥肌がたつ。

 なんだ?何が起きているんだ?
 一生懸命頭を働かせてみても何ひとつとしてわからない。どうしてぼくがこんな目に遭わなくてはいけないんだ。ぼくはこんなに真っ当な人生を歩んできたのに。

 ぼくには関係ない。
 人違いだ。
 きっとそう。

 その時、頭の中に映像が流れ込んできた。


 星を出ようとするぼくを引き止めようとした彼女。ぼくが壊れても最期まで一緒にいたいと泣いた彼女。ぼくに星ごと破壊されても悔いは無いとすがり付いた彼女。叶わないなら一緒に死のうとぼくに迫った彼女。剥き出しの感情。水を赤く染めた彼女。白い白い彼女。沈んでいく彼女。

 これは全部ぼくとは関係のない人間の物語。ぼくはただ知っているだけ。なのにどうしてぼくの姿が?なぜ?

 ぼくはなすすべもなく、ヌルヌルとした湖に引きずり込まれていく。冷たい。視界が赤褐色に染まる直前、ぼくの目に石碑の文字が飛び込んできた。

 そこには一言

 『愛してる』

 と書かれていた。

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