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ししとうがらしらがうとしし

夏と言えばししとう。

焦げ目がつくくらいまでやいて、鰹節をのせ、おしょうゆを垂らして食べるのが大好きだ。醤油はダシ醤油ならなおよし。


小さい頃に食べたししとうは「あたり」の確率がものすごく高かった。

もちろん、当たりをどれだけ引いてもなんの商品も届かないし、届かないどころか、手元に残るのは辛い(からい)辛い(つらい)痛みと、少量の涙。そしてししとうへの憎しみだ。


そんな「あたり」は5本に1本くらいの割合で何食わぬ顔をして「ハズレ」の仲間に紛れ込んでいた。調子にのって食べるとすぐに地獄に叩き落される。そんなイメージ。ししとう。

しかし、今ししとうを買って食べても、畑で大量に収穫したものを食べても「あたり」に出会うことがほとんど無い。

なので、この「ししとうは辛いのにあたる確率が高い」という記憶はほんとうは、長い年月を経るうちに改ざんされた「ニセ」の記憶かもしれないと疑い始めている。

まわりに聞いてみても

「ししとうは辛いから食べない」
「昔痛い目にあったからししとうはちょっと…」

と、ししとうを遠慮する人が結構いることからも、ししとうに関する記憶の改ざんは、日本全国で行われているものであると推測される。


それに、美味しいのは「ハズレ」のほうなのに、本当の辛い「ハズレ」を「あたり」と呼び、本当の美味しい「あたり」を「ハズレ」と呼ぶ「ししとう文化」にも違和感を覚えざるを得ない。


記憶の改ざんといい、ししとう文化といい、ししとうを取り巻く世界では、宇宙規模のししとう種存続をかけた闘いが行われているに違いない。

ワタシがそう確信するには、他にも理由がある。


ししとうが大好きなワタシは、いつもししとうをトースターでまとめてこんがりと焼くことにしている。決して昔、グリルで大量のししとうを焼いて、大量の炭を生産してしまったからなんて理由ではない。断じて違う。

で、我が家の構成員は「ガサガサッ」と、アルミホイルをトースターに引く音に反応して毎回毎回台所に姿を現す。

「何焼くん?」
「ししとう」
「また焼くん~」

ボウルにししとうを放り込み、水でざぶざぶ洗うのを見ながら

「そんなに焼くん?」
「焼いたら縮むし」
「多すぎひん?」

トースターに並べているのを見ながら

「多いって」
「多ない」
「いや、入り切ってないやん」
「入るし」

焼き色がついて、いい匂いがしてきたら

「あぁー。ししとう…」

食卓に並べたら

「食べへんで?」

食べてるのを見て

「・・・・・・・・」


と、ししとうに関してだけ調理中や食べているときの眼差しが

「うわー。食べよるで、コイツ…」

といった、少し非難めいた色を帯びているからだ。

旧世代の記憶の改ざんと共に、新しい世代にはししとうを消費しないような、なにか特別なプログラムが施されているに違いない。

ししとうを食べたら可哀そう的な何かが…



しかし、ワタシは負けない。

ししとうは美味しいと布教し続け、目の前で食べることで興味を促す。

ししとうとの闘いは、まだ始まったばかりだ…。



(/・ω・)/ ナカマ モトム


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