松飾りをする家が少なくなった・・・考えながら書く:12月31日
習慣とか風習は時代によって変わる?
大晦日早朝、郵便を出しがてら近所を歩くと、松飾りを飾っている家が少ないことに気がついた。拙宅は古い分譲住宅地の一画にあり、近隣は全て一戸建てである。ご年配の方々も多く、数年前までは、どの家でも門に松飾りを飾っていた。立派な門松ではないにせよ、年神様をお迎えする準備として、概ねどちらの家もこんな感じであった。一夜飾りはいけないということで、30日までには準備出来ているのが普通だったので、31日の朝に見かけないということは、これ以上増えないということだろう。
習慣とか風習というものは、特段その意味を意識しなくても、形を変えつつもなんとなく継承されてきたものではないだろうか。それが廃れてきているものがあるのだ。松飾りは拙宅近辺だけのことかとも思ったが、そういえば、松飾りを売る露店が駅前等に出るのは年末の風物詩だったが、その数も少なくなった。田舎の伝統的なお祭りが担い手が少なくなってきて途切れる、というようなやむを得ない事情、とも訳が違う。日本人のこころのなかで、習慣とか風習を守る気持ちが薄れてきているのかもしれない。一方で、(今回はStayHomeが望まれるにせよ)初詣という習慣は廃れる様子もなく、年越しそばの習慣も変わらない。我々の中で、重きを置くものとそうでないものとの区別が出来てきている、ということだろう。
イスラエルに見る習慣と伝統
イスラエルでは、多くの伝統が日常生活の中に当たり前のように存在する。例えば、ほぼ全ての家の入口にメズーザーという中に聖書の一節の書かれた羊皮紙が入った長方形のケース(写真)が斜めに付けられている。入る都度手を当てて祈るようだ。
また、パスオーバーという祝日には、出エジプト記にちなんだ簡素な食事を取る習慣がある。この他にも、ユダヤ教の新年の後は、”仮庵”の中で過ごすスコットという習慣もある。これらは、ユダヤ教の聖書に基づく宗教的なしきたり(決まりごと)、とも言えるが、あまり信仰に囚われない”世俗派”と呼ばれる人々も、旧約聖書時代から2,000年以上守っている伝統のようだ。彼らは、民族が抑圧されて、国を持たずに世界中に離散したときでも、現在のように先端技術をリードする国になったときでも、これらの習慣を頑なに守っている。世代を超えて受け継がれる習慣であり、まさに伝統である。そこには、受け継ぎ伝えることに関する強固な意思を感じる。
何が文化・伝統で、何がそこから抜け落ちるか?
伝統とは、社会のなかで歴史的に形作られて蓄積され、世代を超えて受け継がれる遺産や習慣である。歌舞伎や能は、長く継承されている文化であり、まさに伝統だろう。同じ伝えられているものでも、もう少し庶民の生活の中にある祭りのようなものは伝承(Folklore)かもしれない。
年末に松飾りを飾り、大晦日に年越しそばを食べ、元旦に初詣に行き、おせち料理を食べる、のは、伝統と言って良い日本の文化であり、習慣であると私は考えてきた。しかし、次第におせち料理はそれぞれの家庭で作るものから買うものへと変わり、松飾りもしない家が多数派になってきた。専業主婦家庭が少数派となり、特に若い世代は共働きが当たり前の世の中では、手間のかかるおせち料理が買うものになること、自体は自然の成り行きであろう。むしろ、作ろうが、買おうが、正月にはおせち料理を頂く、という習慣・伝統は維持されていることになる。しかし、松飾りは、この習慣・文化のなかから抜け落ちてきつつある。
歌にもなっている、羽根突き、コマ回し、凧揚げも正月の伝統的な遊びであるが、もはや見かけることは少ない。これは、電線のない場所、車の通りの少ない場所、が失われることにより、できなくなってきたのは当然だろう。しかし、費用も1,000円程度である松飾りには、このような時代背景的な制約・理由も見つからない。あるとすれば、どんど焼きができなくなってきたことくらいだ。
松飾りにこだわるわけではないが、我々の意識のなかに、習慣や文化の中で維持したいと思うものと、あまりこだわらないもの、の違いがでてくるのは何故だろうか?
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