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12. THE HANGED MAN / オリジナルタロットカード解説


オリジナルタロット版のカードに込めた物語

丘の上に木が見える。
その木の枝に何かぶら下がっているのが気になって、愚者は近寄って声をかけてみることにした。

「こんにちは、何してるの?」

『答えを待ってるんだよ』

「答えってなんの?」

『私が知りたい答えだよ』

男はさかさまにぶら下がり、足首に巻かれた紐からは血が滲(にじ)んている。痛そうだけれど、男は気にもせずひたすら何かを考えている様子だった。

「何をしりたいの?」

『ふむ。私は愛する人がいるんだけどね、その人が私に言うんだ。「あなたは自分すら愛してない」って。そんなこと言われたの初めてだから、こうして学びを得る為に命をけずってぶら下がっているんだよ』

男が教えてくれた彼が知りたいことは、不思議と愚者が知りたいことでもあった。

「僕もぶら下がると判る?」

『それはどうかな。』

男が笑うと、男の足の先に結ばれたリボンが風で揺らめいた。
『白かったリボンが赤く染まったか。』

「このリボンがどうしたの?」

『愛する人が「これが赤く染まるころには判るはずよ」って結んで行ってくれたのさ。』

揺らめくリボンを眺めながら男はそっと目を閉じた。
何を問いかけても返事がなくなったので、愚者はその場を後にした。


タロットカードにおける『吊るされた男』の意味

タロットカード本来の意味に加えて、私版のオリジナルタロットの解釈も載せています。広義では同じ意味ですので、どちらを採用してもらっても構いません。ピンときたものを受け取ってください。

タロットカード本来の『吊るされた男』の意味

正位置の意味
修行、忍耐、奉仕、努力、試練、着実、抑制、妥協
逆位置の意味
徒労、痩せ我慢、投げやり、自暴自棄、欲望に負ける

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

オリジナルタロット版『吊るされた男』の意味

正位置の意味
自分を知る、内観、静止して考える、焦らない、落ち着き、答えを探す
逆位置の意味
愛の目覚め、結果がでる、答えが見つかる

これは私独自の解釈なので少し飛躍してる部分があります。

愚者が『自分を知ろう』と自分と向き合うことを決め、自分の中に飛び込んでいく旅です。その旅路の途中で、色んなことを思い出してきた愚者、それらを内包するように色んなものが計らいとして表れ始めます。次に現れたのは『吊るされた男』でした。

吊るされた男のモチーフはオーディンです。
 
オーディンはルーン文字の解読方法を知るために世界樹・ユグドラシルの枝から9日間にわたり首を吊り続けたが、縄が切れて一命を取り留めたと神話では伝えられている。

実質吊された場所は処刑場ではなく、生命の息吹を感じさせる物として芽吹いているタウ十字に模された木々のため、吊された人物自身も何らかの希望を持っており、それを見出すために瞑想していると解釈する人もいる

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

吊るされた男は『内観することの意味』を教える存在だと私は考えます。

自分を愛していないと言われた吊るされた男は、自分の中にある愛を知るために吊るされ続けます。
それはくしくもこの旅で愚者が学んでいることそのものであり、自分に向き合うことで答えが判ると教えてくれているのです。

では、自分を愛するとはどういうことでしょうか。
好きなものを食べたり、楽しいと感じることをしたり、体を癒したり、色々あると思います。
けれどそれらを行うためにはまず『何を好むのか』『何に楽しいと感じているのか』『どんなことに癒しをかんじるのか』それらを知らなければできませんよね。

自分を知ることがまず自分を愛することの第一歩なんです。それは他者に判断を委ねるように、誰かに羨ましがられるためにして自慢するようなことではないんです。SNSやメディアが発達すればするほど、きらめいた場所や楽しそうな場所が目に留まりやすくなります。そういうキラキラした場所にでかけて本当に気持ちが華やぐのなら問題はありません。けれどそれを他人に認めて貰うために投稿して初めて満足することが出来てたとしたら、もしかしたら本当はその場所に心踊ってるわけではないのかもしれません。

人それぞれれ感じ方が違うように、キラキラしていると感じる場所は違います。自分が心の底からキラキラした気持ちになり喜ぶようなことをすることこそが自分を愛する事なんだと思います。

私のことを例えに挙げると・・・そうだな、お出かけや旅行が好きだとして話しますね。
私はどこかの目的地で何かするより、その目的地にむかう道中の移動時間がとても楽しく感じられるタイプだったりします。
車での移動なら、道中で道の駅によったり、サービスエリアによったり、あの店なんだ?とたまたま見つけた店に寄ったり、ついた先での滞在時間が減ろうがなんだろうが、その道中の寄り道がすこぶる楽しく感じられたりします。
電車だと向かい合わせの座席(ボックスっていうのかな)でポッキー食べたり、お茶飲んだりしながら景色を眺めたりするのがとても楽しくて、延々移動してるだけでも十分に楽しんでたりするんです。もちろん目的地ありきですけど、こういう感覚って例えば旅行が趣味と説明しても、結構掘り下げると違ってきますよね。

ついでにお話するとしたら、移動してるだけの映像でキラキラした気持ちにさせる、私にとっての最高峰は『世界の車窓から』だと思います。あの番組延々とみてられるんです。

そんな風に自分がどんなことにどんな風に感じるのかを知るために内観する大事さを吊るされた男は体現して教えてくれてるんです。

その行為自体が自分を愛することなんですけど、吊るされた男は知りません。愚者が知るのはいつだろうなぁ。
もう愛の最中にいるんですが、彼の欲しいものが手に入ったときにはじめて気が付くのではないでしょうか。

愚者は吊るされた男に出逢うことで、彼に共感し感心することで、自分が今している旅そのものの意味を深く理解しはじめたのです。

ひとつ前の正義はこちら

2024年4月1日
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