見出し画像

私がキャリアコンサルタントになったわけ②

今日の寒さは1月並みだとか・・
寒いと身体に力が入りますね。

さて、私がキャリアコンサルタントになったわけ②です
(①はこちらから・・・

「敷かれたレールを降り、新しい道を歩く」
  
衝撃を受けた私は、妊活をやめた

そのとき配属されていたポジションで残された時間、つまり、夫と確実に一緒に暮らせるのはあと1年ほどというタイミングだった

その後、1年間の中級幹部課程という学生生活(自衛隊では、入隊時の教育期間とは別に、いわゆる管理職や専門に関する研修が数ヶ月から1年、長ければ海外留学など、様々な研修があり、その期間は学生となる。)を過ごしたら、3年ほどの単身赴任がほぼ決定している状況

「中級幹部課程を修了したら、わたしは定年まで自衛官でいよう。」と、20代半ばの時から、決めていたこともあり、妊活をやめたタイミングで、「自衛官として一生働くのか」ということも考えた
  
このまま幹部海上自衛官として生きていくと、どんな人生になるのか
夫との生活は?
別居生活って、本当にできるの?それが私の生き方?働き方?
家族って何?
私は、一体どんな人生を生きたいの?
私の人生って、どうあれば幸せなの?

それまでもぼんやり考えていた 
「働く」と「生きる」を真面目に、根本から、自分だけの人生だけでなく、夫の人生も含めて「真剣に」考えてみた


1つのことにグッと入り込むと、それ以外のことを、上手にバランスを保って考えたり行動することが、当時はめちゃくちゃ苦手だった

毎日薬を飲んだり、基礎体温を測って記録をしたり、
日々の体調の変化に一喜一憂したり
毎月、リセットのたびに落ち込む
 
そんな日々「妊活している」という意識のもとで、これからの仕事、これからの人生を考えることは、とてもとても困難なことだった
だから、まずは妊活をやめることにしたのだ

妊活をやめ、全てをまっさらにして考えた結果、私にとって大事にしたいことは、自分の仕事以上に、家族、つまり

「夫と一緒に暮らすこと」
 そして、
「最終的に子どもがいない人生を送るなら、出産、子育ての制度や環境が整っているから、自衛官、公務員という仕事を選ぶのではなく、自分のやりたいことをやる」

すなわち、自ら望んで防衛大学校に進学し、子どもの頃から望んでいた、「船」「海」に関係する仕事。
何よりも、公務員という安定した収入。
幹部自衛官として保証されたレール。
そして、何よりも、正義感が強く、国防という仕事に就けたことが、天職だと思っていた「自衛官」という仕事

29歳の夏。これら全てを手放して、定年まで敷かれているレールを降り、転職することを決めた

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今でもキャリアカウンセリングをしていると、
多くの女性が「結婚」「妊娠」「出産」「子育て」という、大きなライフイベントについて、予定があるなし、つまり、
  ※イベントが起きるかもしれない
  ※起こらないかもしれない
  ※起きると思っていたのに起こらなかった
という、キャリア理論では「イベント」「ノンイベント」と呼ばれることについての相談を受けます
相談を受ける=行き詰まっていたり、何かしらスムーズにいかない状況にあります  

「仕事」と「婚活」や「妊活」を天秤にかけずに、それぞれを切り離して別々に考え思考整理することをお手伝いします

なぜなら、「仕事」は今やっている仕事が全てでなく、自ら取捨選択ができますが、「妊活」はどれだけ医療が発達しても、「生命の神秘」として、人間が手を加えられない領域があるからです(このことを書き始めると、かなり長くなるので、また、別の機会に書きたいと思います)(「婚活」は「妊活」より自分の意思でコントロールできる領域が広いと思いますが、それでも仕事と同じようには考えられません)

当時の私のように同時に考えることが難しい人には、思い切って、婚活や妊活などを一度お休みすることも提案します



防衛大学校卒、元海上自衛官。その後ベンチャー、スタートアップ経験、経営経験、NPO立ち上げ経験、現在はフリーのキャリアコンサルタントとNPO事務局長の2足の草鞋を履く異色のキャリアコンサルタントです。「生きたいように生きる」がモットー!