見出し画像

小さな胸、大きな愛ー授乳期間を終えて感謝を込めてー

先日、息子が1歳になり、同時に卒乳となりました。
思い返してみて、授乳期間に対する自分の感情や思い出が湧き上がってきたので、記録として残したいと思います。

私の授乳記録

上の娘が生まれた時から1歳までの1年間。
+
下の息子が生まれた時から1歳までの1年間。
合計2年間の授乳期間でした。

胸のコンプレックス

そもそもですが、私は小胸であることにコンプレックスを抱いておりました。その経緯をつづってみたいと思います。

大人への階段が嫌だった小学生

胸が膨らみ始める小学校高学年の頃、
私は大人になるということが嫌でした。
正確には変化することが怖かったんだと思います。

まだまだ子どもでいたいと思うような、
少しピーターパン症候群な気質を胸の内では感じており、
胸が膨らむということが嫌で
「どうやったら胸を隠せるだろうかと」か考えていました。

セーラー服を着た中学生

中学校に入り、年頃のみんなはしっかりと胸が膨らんできていました。
制服がセーラー服だったのですが、
みんながキレイに着こなしている姿を見て、
初めて歳を重ねていくと、ある程度の胸の大きさがある方が服をきれいに着こなせることができるんだと感じ始めました。

そして、自分が胸が小さいことをコンプレックスに感じるようになりました。
小学校時代に「胸よ、大きくなるなぁ」と心の中で唱えていた自分に後悔し始めたのです。

小胸がネタになった大学生

大学生になり、胸が小さいことをネタとして、いじられるようになりました。もはやこの時になると、ネタにしてもらえてうれしい気持ちも半分浮かび上がっていました。

その半面で、どうやったら大きく見せられるんだろうか、どうやったら大きくなるんだろうかとサプリメントや豊胸クリームなんかも、めちゃくちゃ調べて試したこともありました。

補正下着も試したこともあります。
ナイトブラも試しています。
でも何も変わらない。

Tシャツとジーパンだけできれいに着こなせる人を羨ましく思う日々でした。

お乳が出るのか不安になる妊婦

29歳で娘を妊娠した時、1番最初に思い浮かんだのはちゃんとおっぱいからミルクが出るのかということ。
私の母は「小さい胸の方がお乳は出るんだよ」としきりに言っていたことを覚えています。励ましてくれていたんですね。笑

出産、そして授乳開始

初産、娘との授乳生活の始まり

娘が生まれた時、初乳がじんわりと出てくるのを見ました。
助産師さんには「もうちょっと滲んできてるね、すごい」と言われたのですが、それだけでは本当に出てくるのか不安でした。

まだじんわりと滲むようにポツポツとしか出てこないお乳に、慣れない授乳で、入院2日目に乳首を痛めてしまいました。
助産師さんの勧めで乳頭保護器を使いながら授乳をし始めました。
そのおかげで保護器の中に、ミルクが出てくるのを目視できるようになり、日に日に量が増えていくところを見ることもできました。
こんな小さな胸でも、子供のためにミルクを出すことができるんだと感動したことを覚えています。

順調に出てくるようになったお乳

その後、入院3日目にシャワーの時間と授乳時間が被ったため、助産師さんに娘へのミルクをあげていただき授乳をお休みしたところ、
シャワーの温かさと授乳しなかったことで急に胸が張り始め、パジャマに染み出るほどのミルクが出るようになったのです…!

退院後も乳腺炎になるほどミルクが出るようになり、娘は生後1ヵ月の頃には完全母乳で育てられるようにまでなりました。

定期的に胸が張るようになり、痛みを感じるほどお乳も出るようになりました。
その頃には、お乳の量と比例して私の胸も膨らむようになってきました。おそらく2~3カップくらいサイズアップしたんじゃないでしょうか。

服装への意識の変化

シンプルで無地の体の体型がわかるようなぴったりとしたTシャツは、小胸であることを強調するので嫌いだったのですが、授乳のペースが掴めるようになった頃には、着こなせるようになった自分がいました。

いつまで授乳を続けるのか

なんてことを1ミリも考えていなかった私に、いろんな知識をくれたのは大学時代からのお友達。その子の影響で娘が生後9ヶ月頃になると、夜間断乳を開始しました。
そして復職をする1歳のタイミングで授乳を終えようと決めて、徐々に回数や1回あたりの時間を減らしていきました。

1回あたりの授乳時間が短くなっていくにつれて、今までは「早く授乳終わらないかなぁ」なんて考えていた自分が、あっという間に授乳時間が終わっていくことに寂しさを感じるようになりました。

娘は遊び飲みも始めていたので、乳首を強く噛まれることもあり、泣きそうになりながら授乳していたこともありました。これも今となっては良い思い出です。

娘の授乳最後の日、その後・・・

1歳の誕生日とともに、これが最後の授乳だと思ってあげた時。
娘が1つ大人になって、私の側から少し離れていくような気がして、寂しさを感じたものです。

そして断乳してから三日間は胸が張り裂けそうなほど痛く、熱を持っており、定期的に搾乳をして落ち着かせていきました。
その後4~5日経過すれば、胸の張りもおさまって痛みも引いていきました。

そして、
バストサイズも元に戻ってきました。

あーそうだった。
自分の胸はこのサイズだったんだと。
授乳期間中、夢を見させてくれてありがとうと感じました。

2人目の育児・授乳の開始

その後、ありがたいことに2人目を妊娠することができました。
出産してから2日後にはしっかりとミルクが出るようになっていました。
2人目ってすごい。自分の身体も一度やったことは覚えているんだなぁと思うとすごい。

息子は少し小さく生まれたということもあってか、
そもそも飲むのが下手だったのか、生まれた翌日には乳首を痛めてしまいました。

娘の時は乳頭保護器で慣れてしまい、直接吸ってもらうまで苦労した経験があります。
そのため傷口を保護するために、乳頭保護器を使ったものの、できるだけ早く手放したいと思いながら使い始めました。

傷との戦い

息子はとにかく食欲旺盛のようで、1回あたりに飲む量がすごく、授乳時間も長いし、授乳間隔も1時間おきと短く。。

なかなか傷跡も治らず、かつ、うまく飲んでもらえなくて、本人もしんどくて泣いており、授乳のペースを掴むまで、なかなか苦しい状態でした。

そして吸ってもらえないことで、お乳が溜まって乳腺炎にもなりました。
結局、息子の授乳期間は、合計3回の乳腺炎となり、39度越えの発熱もそのたびに経験。

今振り返ってみると、息子が上手におっぱいを飲めるようになったのは、離乳食を始めた生後6ヶ月くらいではないでしょうか?

うまく飲むことができず、一部に圧がかかり、傷口ができ、
乳頭器を使うことで、さらに余計な圧力がかかって出血し、お乳が血まみれにもなりました。息子の排便も真っ黒になりました。

2人目の授乳は時間確保が難しい・・・

娘が赤ちゃん返りをし、寂しい気持ちから授乳の邪魔をししてくることもありました。その結果、息子には娘の時ほどしっかりとお乳をあげるという時間が取れなかったようにも思います。

3時間に1回、4時間1回と言われる授乳の感覚の時期でも、4~5時間に1回位のペースでしかあげれなかったこともしばしばありました。

それでも待ってくれて、頑張って飲んでくれていました。
娘にご飯をあげながら授乳したり、お風呂後に髪の毛を乾かしながら授乳したり、振り返るとながら授乳が多かったです。

力を抜いて授乳できないのは小胸のせい…?

もっと自分の胸が大きかったら、もう少し飲みやすかったんじゃないかとか、体勢ももっと楽に出来たんじゃないかと思い、悲しくなることもありました。

色々と悲観的に思うこともありましたが、息子は完全母乳で1歳まで過ごすことができました。成長、曲線のど真ん中ですぐつくと育ってくれています。

私のおっぱい、娘と息子をここまで育ててくれてありがとう

トータルで2年間、必要な時に必要な量のお乳を作ってくれて、痛い思いや痒い思いもしたけれど、ここまで頑張ってくれてありがとう。

この時期だけだったけど、バストアップができて、憧れていたぴったりサイズの服も着ることができて、夢が叶うことができました。

これで私にとっての「授乳」という経験は、人生の幕をおろすことになります。

もう経験することがないんだと思うと、寂しくもなり、
人生にとって最後の経験が30代前半で迎えることもあるんだと思うと、
なんだか不思議で寂しくて。

今は断乳して2週間が経過。
娘の時と同じように、日に日に小さくなっていくバスト。
そうだった、私の胸はこんな感じだった。谷間もない。
サイズの合うブラを見つけることの方が大変なんだった。

でも、娘と息子がこうして大きくなっているのは、
紛れもなく私のこの小さな胸のおかげだった。

私の胸、ここまで頑張ってきてくれてありがとう。
人生において、1番の役目を果たしてくれてありがとう。

これからは、再び妊娠前と同じように
服がキレイに着れない、バストアップはどうしたらいいか、
自分に合うブラはどれか、悩みと向き合うことになるでしょう。

それでも妊娠前と比べたら、自分の胸が少し誇らしくなり、ただバストが小さいということのコンプレックスの塊だった時代とは、意識は明らかに変わったかなと思います。

何とかしてバストアップしたい!という想いは変わらないと思うけれど、これからの人生、また共に頑張っていこうね。

2年間ありがとう。
そしてお疲れ様でした。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?