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音楽家の稼業と品格とは

今回は、いつものショートストーリーはお休みです。別のブログにも掲載した記事ですが、思うところあって、noteにもコピペwしておこうと思いました。

と言うのも、このコロナ禍、そして留学して戻ってきた若いクラシック音楽家方の葛藤をよく目にするからです。

綺麗事抜きで本音をお伝えしております。嫌な気分になるかもしれませんが、この業界そんな物だと思って元気に進んでいただけたらと思います。

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ここのところ、コロナ禍で若い音楽家の苦悩を見かける。しかし、実は他業界よりかなり早く長く定期的に芸術の世界では不景気がつきまとう。

例としてはバブルの頃がそうで、世間で弾けるちょい前には兆しが見え、そこから高額ギャラを望めるスタジオ録音やテレビ番組の収録などで大編成オケの仕事などが減った。駆け出し組はこれを当て込んでいたのが全て計画倒れとなった。

もちろん分け前が減る人々が出現しいろんな画策、引き摺り下ろしが行われた。門戸が非常に狭いから。

しかしそこらへんで精神弱ってると舞台は務まらない。いちいち気に病んで仕事にならないと淘汰される。わたしたちの仕事は常に満身創痍、ひとつもミスが許されないからだ。

アマチュアオケの助っ人に行くと「今日は5つぐらいのミスがあっても合格だな」というメンバーの声を聞くことがあるが、それはわたしたちの話ではない。

つまり、緊張の最中、ノーミスは当たり前、より確実性や安定性、芸術性を発揮せねばならない、自信や環境との戦いで人の無意味で無価値な声を聞いている暇がない。

人の目や声を気にしているうちは、日頃の鍛錬が足りない、と私は生徒に言ってきた。自信を持った持ち前さえあれば、あとは前を向いて歩いていればいい。余計なことは言わなくていいし、楽器一本持って弾けと言われた時に人より良い演奏をすればいいだけのこと。そうすれば誰も何も言わない。

人に根拠のない意見を言う余計なお世話な音楽家がいる。余計なプライベートの噂を流す馬鹿もいる。

しかしそんなものばら撒いても実力自体は上がらない。悪行は、全てそれは当人の自信のなさからくるものなのだ。自信がないから隣人を落とそうとする。そうしてポジションや人気を奪おうとする。一番実力のない音楽家だ、と私は認識している。

実力に自信がなければ、上手い人に相談をすればいい。同じレベルの人間と愚痴をこぼすから、ひどいことを言われたりするし、妙な知恵がついてしまうものだ。

音楽家になるまでには膨大なお金がかかる。しかし、元を取ろうとしないことだ。親御さんの負担、これを考えすぎると取れるところから絞ろうとするようになる。もちろん依頼がないとステージで稼げないから、最も言い値をとりやすいレッスン料でシビアになる。

趣味で教わる子の親御さん方はレッスン料の値上げには敏感だ。値上がるほどレッスン内容に介入したがるようになる。そうすると関係性にヒビが入ることもある。

レッスン料を払えない生徒には時間を削る、といった友人がいたが、クズだな、と思った。教師がモチベのない捉えどころのないレッスンをすれば生徒も満足できない、得るものがないと感じたら途端どんどんやめていくだろう。

親御さんに納得のいく心持ちでレッスン料を出してもらうためには、まずは当分値上げをしないこと。そして子供が快く宿題をこなしてくるようにすること。発表の場では生徒の最高の実力発揮を親御さんに見せること。

レッスンは子供への施しではなく、教師にとっては仕事なのだ。片手間な態度で挑まないこと。自分が受けてきた1番熱意のあった先生のレッスンを模倣すること。

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そして、日々の音楽家の生活について。

身入りが悪い、ステージがない時こそ、家に篭り、水を飲んで一日中基礎練に励めばいい。食べていけないなら、他のバイトを見つければいい。

きっと何かが見えてくるはず。

私は私立音大をビリの成績で卒業した。しかしその後も研鑽を続け、今までの弛んだ精神や意気込みを捨ててやり直しを試みた。なかなか患難な道だったが、必ず見てくれる人はいて、誠実に感謝して仕事をしていれば撒いたタネは大きな大輪となることを身をもって学んだ。

私もそうだった。25年ほど音楽家として過ごし、景気にも乗せてもらったが落ちた時もあった。しかし、師匠から「そう言う時こそ続けるんだよ。と続けてるとなんとかなるもんだよ。」と教わりその言葉を支えに続けた。

自分なりにやれることはやった。しかしもともと優秀ではない。だから、もうできない、と感じた時、自分から退けた。

人にやめろとも何度も言われてきたが、言う人の行いに疑問を感じたし、自身に納得いかないうちに辞めることなんかできない。抱えている生徒を捨てて辞めるわけにはいかなかった。
音楽家の仕事とはそう言うもんだ、と思う。

そして品格よく音楽家を続けたいなら、人と比べず、耳を貸さず、尊敬する存在にのみ信じる道を乞うことです。

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