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戦争を人を殺しにいく場所と思っている人たちへ

ロシアのウクライナ侵攻が始まった。

昨日、在日ロシア大使のインタビューを聞いたが、今回の軍事的行動は彼らの中では「侵攻」の言葉は当てはまらないそうだ。

同時に、Twitterでつどつど見かける「戦争」そのものの概念についてご家族で語ったというつぶやきなどを見かける。

海外に出ると、戦争理念については日本のそれとは異なるイメージがつくが、日本人とアメリカに住んでいる日本人のそれは、これまた欧州その他との観点が少し異なることにも気づく。

あくまでも私の意見だけれど、日本人が持つ戦争イメージは、戦後にアメリカが進駐し植え付けた概念、またその後戦争経験はないが凄惨さは見聞きしている世代が学んだ中で信じようと決めた理論なのではないか、と思う。

それらの戦争概念は、昨今保守派達が当時の文献を用いて戦争経験者、特に戦場へ行った男性達の思うところを追求研究したレポートとは大いに隔たりがあるように思える。

それもそのはず。

戦争に出征に行った人間達と日本で戦争を経験した人との光景が全く違うから。

出征した人々全ては、本土侵攻を阻止し、家族を傷つけないために戦ったが、

日本では、毎日のように米軍機が頭上を飛行し、帰りの燃料を無駄にしないために持ち込んだ爆弾を畑や建物に落として帰った。もちろん作業している人々でその犠牲になった人々も存在する。

そしてあの日、夜中を狙って総攻撃を試み、東京の中央下町を火の海にした。

当時でも国際連盟の戦争規定には、戦時下民間人を標的にしてはいけないと定めていた。しかし、米軍の言い訳は、

そこに軍用基地の存在が疑われればそこは戦場に値する、

だった。

しかし実際の東京は、そこにはもう戦う軍人などはおらず、地域疎開をしなかった家族達がつましく暮らしていただけだった。

現在、80歳以上の方々、当時10代そこそこだった人たちが、何もかも禁止され、いつも空腹の中、爆撃、空襲の恐怖に怯え夜もそこそこ眠れなかった経験から、

戦争は絶対反対

と唱える。たいていが当時子供で、親や家族を亡くした悲しい経験をお持ちだ。だから、戦争は反対だし、憲法9条に基づく、日本の戦争放棄、そして進駐する米軍がこれから日本を守ってくれる、という名目を深く信じたのだ。

しかし、80年近くもの間、日本が本当に平和で他国からなんの弊害も受けなかったか、というと必ずもそうではない。

日本国は、その戦争の責任を一手に引き取る役を強いられた。それは日本が唯一白人種国に楯突いたアジアの国で、大東亜戦争ではパールハーバーで先制を切ったからだ。

アメリカ他戦勝国の恨みは相当で、後に戦争に勝ってもいない中国、ロシアの国連の常任理事国了任は、実は日本への面当てなのではないか、と深く勘繰ってしまうほどだ。

その後たとえ形成不利な交戦に置かれ、多くの犠牲を伴ったことが証明されても、これまでに日本はいつまで経っても悪者扱い、反省の首(こうべ)をあげることを許されなかった。

現在の中国南京事変や韓国の慰安婦問題などはその一例だろう。その割には中洲事件などの責任問題は全く議題に挙げられることがない。

世間にこれだけ悪行を突きつけられ、自身の辛い過去を鑑みれば、日本に住み、日本で戦争を経験し、日本で終戦、現在を過ごした人々にとっては、戦争は悪そのものと受け止めて当たり前だと思う。

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しかし、戦争は本来戦場で行われるもの。

その規約に基づいて先の戦場で日本軍がどのようにするべく行いを遂行したか、その精神は何によるものだったのかを無視してはいけない。

それは、アメリカ兵に対しても同じ。攻防有利な立場でいると、中には馬鹿がいて人道に反する罪を犯す者もいるが、大半は、戦うことは自分の背中を無作為に狙われること、という恐怖と闘っていたのだと察する。

つまり、戦場に立つということは、目の前の人を殺してこい、という命令に反して、軍人それぞれは生き延びて帰ることを望み、敵が見えたら殺される前に倒さないとという強迫観念、無事でいられない精神状態での現場だったのだ。

先の世界大戦は、全世界を包む大きな戦争となった。そして、前述の通り日本を含めた敗戦国は国際会議の下、審議され首謀者格と認定されると処刑もされた。

刑に処され、何もかも戦勝国に責任を被された日本国だったが、いまだ日本の軍兵器、戦艦、戦闘機、カミカゼ、ブシドウ、サムライスピリッツが固有名詞として人々の口に伝わるのかをみなさんは疑問に思ったことはないだろうか。

アメリカは良きも悪きもつい最近までは非常にフェアなものを好む国だった。

とある米海軍人のエピソードを聞いたことがある。

ある日、若い日本人兵士は神風特攻で敵の空母に撃墜を試みたが、敵のダメージには乏しく甲板にその体を散らせた。彼の頭を見つけた下位兵達はそれを嘲り蹴り始めた。しかし、彼らの上司が駆けつけ、彼らをどやし、彼の亡骸を集めて弔ったという。

日本には逆の実例はないと思う。米兵にはカミカゼ作戦はなかったから。しかし、日本軍が米兵の亡骸を見つけたらどうしただろうか、と思うとこれもまた同じく手厚く弔うだろうと思う。

人を殺しに行くような現場には行く必要はない、

と忠告をする家族に私は罪はない、と思う。

しかし、ぜひ考えていただきたい。もし、人を殺しに行くことを国に命じられた敵が来て、抗うために人は進んで丸腰で壁になるだろうか。それで戦争は止むのだろうか。

戦争の裏には国家の役得を目論む魂胆がある知らず知らずのうちに私たちはその魂胆のおこぼれで豊かで平和な生活を送っている

車も捨て、すぐにお湯が出る湯沸かし器を捨て、24時間営業の便利なスーパー利用せず、床やトイレ、バスタブの汚れは全て洗剤を使わず手で行い、お気に入りの輸入製品の購入をやめる。

それに愚痴ひとつこぼすことなく暮らせるなら、あなたは息子を戦場にやる必要はない。

これまでも、机上での戦争は何年も繰り返されて、条約や国家間の約定を交わし、それを守り、破断しを繰り返して先進国はなんとか武器を伴う戦争を回避してきた。

しかし、民族間、宗教に絡む戦争、領域争いの戦争やジェノサイドは止まることがなかった。これだって、それぞれの有益のために闘っている。

その度に私たちは戦争回避や身の回りの備えの猶予を与えられてきたのだと思う。

今回、私はウクライナのシェルター普及率の高さを実感し、天災が多い日本において避難場所が少ないこと、それを常日民間レベルで話題にしないことが不思議になってきた。現在私が住んでいるスペインでもそう、この点に関しては人々は実にお花畑だ。

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戦場は、戦争に行かない人々が戦える若者を戦場に送り出す行為だと私は考えている。若者達は決して人を殺すことを嗜好として持ち合わせてはいない。死との戦いの中、銃を打たねばならないのだ

どうか、戦場を人を殺す場所、と安易に唱えないでほしい。

そして、戦争が始まったら、現代においては自分達が求める自国での豊かな暮らしを求めすぎたツケだと考えてほしい。

かといって、戦場はいいところだとも思ってはいけない。そこには死や絶望しかないからだ。

しかし、戦士一人一人には善の心があり、国を、家族を守る純真な精神を持っている、それ故に国は彼らを戦場に送り出す。

そして、自国で兵を送る事態になるとき、私たちもそれに加担しているのだということを忘れないでほしい。

反戦は、戦争がない時こそ訴え声を上げてほしい。

そして、今回のことに関しては、国家間の心算は固まっている。

ぜひ、心理がどこかに偏るのではなく、ロシア人を敵視するのではなく、国民にウクライナと共に戦争を一緒にやめさせようと訴えかけよう。ロシア国家が道を踏み外すことを望んでいるのはロシア国民ではないことを知らせるため、ウクライナ国民を砲火から逃れさせるためにも。

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